第1話 その少女は

 その少女は、健気だった。

 それは、嵐の中で根強く咲き続ける一輪の花のように。

 その少女は、秀麗であった。

 それは、争いに燃える人々すら剣を収めるような清廉さで。

 その少女は、夢を見ていた。

 それは、ごくごく普通と呼ばれる、とても純真な願いで。

 そしてその少女は貧しくて、傷だらけで、つまりは私にお似合いだった。




「おやおや、あなた、怪我をしているじゃあありませんか」

 薄暗い路地裏で、私は思わず声を上げてしまった。相手は猫だというのに。

「キミは1人かい? それから、助けが必要かい?」

 小さくうずくまる猫は答えない。当然だ、異種族なのだから。

「うーん、困ったな。私は猫の言葉がわからない。わからないから、このままではキミが嫌だと言っても助けてしまうな、うん」

 怪我がある右前足に触れないよう、そっと胴を掴んで猫を持ち上げながら、独り言のように私は弁解した。

 これまで何度こんなことをしてきただろうか。猫を抱きかかえてその体温を感じる度に、私は思う。

 私はこの世界の人間という種族から見れば「魔物」なのだと言う。その証拠に私は彼らには扱えない力を持っているし、彼らの持っている体温を私は持っていない。

 私の腕の中で、猫は小さく鳴いた。猫語がわからなくとも、あまりこちらに懐いていないことぐらいは伝わってくる声で。

「ああ、気にするな。誰も悪くない。悪いのはせいぜい、猫語を勉強していなかったこの私ぐらいさ」

 動けない猫を抱えて、私は人目を避けるように薄暗い路地裏を歩いた。

 人目はないものの、人の声は表の通りから少しばかり漏れてくる。

 トランシア王国南領土ならではとも言えたこの人通りの多さを窺わせる賑やかな空気は、きっと人間にとっては心地の良いものなのだろう。なんせ昼時になると毎日のようにこう騒がしくなるのだから。

 しかし、今日はいつもの騒がしい空気は控えめに、代わりを埋めるかのように殺伐とした空気が混じっているのが感じられる。

 まるで、人ごみの中で起きた事件に対して周囲が一斉にその場を見やったときのような、そんな静寂と怒りと息遣いが混じっているよう。

 それを感じ取っていたからなのだろう、こちらに息遣いの主が近付いて来ていることは既に理解できていた。

「ハァッ……! ……ッ!」

 姿こそ視認できないものの、おそらくは事件の中枢にいる人物で、ついで言うなら追いかけられて逃げているところなのだろう。路地裏の空気を揺らしている動悸が、そう告げている。

 そんな動悸の犯人が、私の前にぐらりと揺れて姿を現し。

「うう……!」

 バタン、と倒れた。

 しかし、いやだからこそ、倒れたそれがまだ幼い人間の女の子だったということを視認できた際でも、驚きはしなかった。

「神様……お願い……」

 その少女は震える声で地面に向かって、残り少ないであろう力を割いて呟いていた。

ただただ祈るように。

その祈りに含まれていたのは願いか、それとも悔恨か。

「……私は神様じゃあないんだがね」

 私はその少女に向かって話した。というつもりだったのだが、少女からの返事はない。

「これは、少し急がないとマズいやつか」

 私は結局猫と同様に、話を聞く前にその少女を抱えて助けることにした。




悪い癖だ、自分でもそう思う。

いや、そう思ったのは、何度目だろう。

おそらく、本当は悪いことではないと信じたいのだろう。だから治さない。

 治す治さないといえば、このトランシア王国では魔法という私の持つものとはまた違った特殊な力が存在しているらしい。その力であればこの猫や少女の怪我を瞬時に治すことも可能なのだろうが、私は生憎そのような力とはとんと縁がないらしく、勉強した程度で身に付くものではなかった。

 そんなことを考え家のソファで悶々としていた私は、先ほどの猫が足元の裾を引っ張らなければ危うく怪我人の声を聞き逃してしまうところだった。

「……お、ず……」

「……ん?」

「おみ……ず……」

「み、水か……?」

 いつの間に目を覚ましていたのか、その少女は寝かせていたベッドの上で空中に向かって声を発していた。

「さあ、水だ。ああ、起き上らなくていい。ゆっくり飲むんだ」

「……ぷは」

 コップに入っていた水を飲みきると、少女はようやくまともに声を発した。

「あ、ありがとう、ございます……おじさん、誰……?」

「いや何、家に帰ろうとしたら倒れているキミを見つけたものでね、別にキミを取って食おうとか、そういうことを目論んでいるわけじゃあない。安心してくれ」

おじさん、という部分は聞かなかったことにした。通常の人間よりは遥かに長生きしているが、これでも人間で言えば30代ぐらいの外見であると自負しているのだ。

「あわわ、そうなんだ! ありがとうね、おじさん! 私、帰らなきゃ……」

「ああ、そうするといい。ここは、キミのように可愛らしい少女とは不釣り合いな場所だ」

 まだ完全に体調が戻ったわけではないのか、少女はフラフラとした足取りでベッドから立とうとする。

「キミ、まだ大丈夫じゃあ……」

「あっ……そうだ……私、パンを盗んだって疑われて、追いかけられて……アーラ孤児院に帰れない……どうしよう……」

「ふむ……昼間の騒ぎはそういうことか……」

 少女の表情が目まぐるしく変わっていく。表情豊かなのは人間の良い特徴だが、今はそうも言っていられない。

「と、とにかく、私がいるとおじさんも迷惑しちゃうから、そろそろ……」

「……いや、気が変わった。キミはしばらくここにいた方が良さそうだ」

「えっ……? い、いいの……?」

「ああ、キミの次なる居場所が見つかるまで、好きに使うといい。もちろん、キミの好きな時に出て行ってくれて構わないさ。私は人の事情に深入りしない性格でね」

「ほ、本当に!? おじさん、いい人ね!」

「……そうだな、私は悪い人ではない。良い人でないのも確かだが」

 少なくとも、初対面で素性の知れない男性を信じ切れる純粋さを持った少女を騙せるほど残酷にはなりきれないつもりだ。

「ふぅん。あっ、私はね、ナリアっていうの! よろしくね!」

 ナリアと名乗った少女はそう言うと、私に向かって笑いかけた。

 うむ、そうだな。なぜかはわからないが、不思議と無条件に良いことをした気分だ。

 だから私は、ナリアほど上手で無邪気で純粋ではないものの、人間たちを見て覚えた「笑顔」をナリアに返すことにした。

「私の名前はアシュラだ。よろしく、ナリア」

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路地裏には魔物がいる、らしい ~トランシア王国物語~ 私はロリコンではありません。 @first1178

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