第6話 魔人解放⑤

 王都に建ち並ぶ民家の屋根から屋根へ。身の丈ほどもあるフレアグニスを担ぎながら、フュリオは風のように飛ぶ。高台から魔物のいる広場までは数千メートルの距離があったが、常人離れした彼の脚力をもってすれば、ものの数分で到達できる。


 双頭の大蛇はその巨体を存分に活かし、王国騎士団の面々を寄せ付けていなかった。4つの目が彼らの動きを常に注視し、鋭い牙で襲いかかる。時には自らの巨体を鞭のように振るい、背後や側面に回り込もうとする騎士たちを薙ぎ払った。

 近づくことを諦め、遠巻きに魔法で攻撃する者もいるが、大蛇の頑強な鱗に阻まれ、大したダメージを与えられていない。

 苦戦する彼らを尻目に、フュリオは屋根を強く蹴って跳躍し、大蛇の頭上に躍り出た。


「ふっ!!」


 フレアグニスを大上段に構え、落下の勢いに任せて振り下ろす。双頭の一つ、右頭がこちらの接近に気づき、すかさず牙を剥いた。ガキン、と金属音が鳴り響き、刃と牙の間から真っ赤な火花が散る。フュリオは右頭の鼻づらに蹴りを浴びせ、その反動で後方へ跳んだ。

 着地と同時に、左頭が襲いかかってくる。フュリオはタイミングを合わせ、その横っ面に分厚い剣身の腹を叩きつけた。


 今度は、鈍い打撃音。左頭がよろめき、口から唾液と共に苦悶の呻きが漏れる。衝撃で腕がじんと痺れ、一瞬、バランスを崩しかけたものの、ぎりぎりのところで踏ん張り、一気に懐へ飛び込む。そして、大蛇の腹を逆袈裟に斬り上げた。


 ――きゅぃぁぁぁああああああ!!


 フレアグニスの刃が大蛇の鱗を貫き、内側の肉を抉り取る。緑色の体液が勢いよく噴き出し、大蛇の双頭が同時に甲高い悲鳴を上げた。フュリオは足を止めず、円を描くように移動し、側面に回り込む。双頭のどちらも追ってくる気配はなかった。


 敵はまだこちらの動きについてこれていない。そう確信し、側面からさらに一太刀を浴びせる。大蛇の悲鳴が再び重なり、怒りに燃えた4つの瞳が彼の全身を射抜いた。

 ぞくりとしたものが背筋を這い上がる。恐怖か、興奮か、あるいは別ものか。地下に幽閉されていた時には感じることのなかった生の喜びが、じわじわと肉体に染み渡る。今、置かれている状況も忘れ、フュリオは思わず微笑をこぼした。


 標的を一人に定めた双頭が、代わる代わる彼を攻め立てる。ミリアの命令が届いたのか、他の騎士たちは一人残らず姿を消していた。

 右へ、左へ身を投げ、時にはうまく敵の牙をいなしながら、一進一退の攻防が続く。鈍っていた実戦感覚が少しずつ戻り、五感が研ぎ澄まされていくことを実感する反面、痛撃を与えられないもどかしさが胸中に募る。このまま長期戦になれば、体力的にこちらが不利だ。


「さすがに、このままで倒せるほど甘くはないか」


 誰にともなく呟き、身をひるがえす。そして、双頭の連撃をかいくぐり、広場の街灯を足がかりにして、再び民家の屋根へ跳躍した。

 逃がさない、とばかりに咆哮を上げ、広場の石畳を踏み荒しながら大蛇が迫る。フュリオはフレアグニスを屋根に突き立てると、小さく息を吐き、自らの左胸にそっと右手を置いた。そこには、彼の力を封じ、どうにか人たらしめている魔術式が刻まれている。


「封魔刻印≪リミッター≫解放」


 目を閉じ、告げる。刹那、彼の左胸から、闇色の光が溢れた。

身体の各所に紫色の紋様が浮かび上がり、血管のようにドクドクと脈動する。同時に、腕や足が内側から盛り上がり、身体全体が一回りも大きくなった。

彼の発する不可視の圧が空気を伝播し、暴風となって吹き荒れる。

 突然の変化に戸惑い、動きを止めた大蛇を、フュリオの赤眼がひたと見据えた。


「第二ラウンドといこうか」


 再び、フレアグニスを掴む。すると、描かれた紋様をなぞるようにして、剣身に紫の炎が奔った。どうやら、自分の持つ魔の力に呼応したらしい。

 上空から双頭が襲い来る。フュリオはギリギリまで引き付け、大きく後方に跳躍。先ほどまでいた民家の屋根が粉々に砕け、木片が四方八方に散る。向かってくる木片を切り裂きながら、彼はすぐに敵の気配を探った。


――バゴンッ!!


 すぐ真下の屋根を突き破り、右頭が顔を出す。右頭が大きく口を開けたのと、フュリオが剣を逆手に持ち替えたのはほとんど同時だった。口内にびっしりと並ぶ鋭利な歯が彼に届くより先に、フレアグニスの切っ先が眉間の辺りを刺し貫く。大蛇は耳障りな絶叫を上げ、激痛のあまり大きく身をくねらせた。緑色の体液がそこかしこにまき散らされる。


「はぁぁぁああ!!」


 フュリオはその隙を逃さず身体を大きく捻り、一太刀で大蛇の右頭を切り落とした。

 悲鳴とも怒号ともつかぬ咆哮が王都中に轟く。さらに切れ味を増したフレアグニスに、フュリオは思わず目を見張った。

 魔を討つ炎――召喚時のミリアの呟きが思い起こされる。だが、この剣の本当の力は、恐らく同じ魔の力を持つ者にしか発揮できない。

 同族殺しの魔剣……どのような名工が鍛えたのか、フュリオには知る由もないが、相当な偏屈者であることは間違いないだろう。


「道理で使い手がいないわけだ」


 右頭を失い、劣勢に立たされた大蛇の左頭が、かぱっと口を開ける。その口内に、闇色の光が収縮していくのが見て取れた。

 魔物のみが使うことのできる特殊な魔法、黒魔法の発現前に見られる兆候だ。

 黒魔法は精霊の肉体のみならず、その魂までも消滅させる力があると聞く。それゆえに精霊は直接、魔物と戦わず、かわりに人間と契約して力を与える。この共生関係が、小さな町にすぎなかったトランシアを国にまで発展させる原動力となった。


 しかし、それは裏返してみれば、魔物の出現こそがトランシア王国を生み出したということだ。そういう意味では、人間と精霊、そして魔物が歪な共生関係を築いていると言えるかもしれない。

 フレアグニスを左手に預け、右手を前に出す。フュリオの全身に蔓延る紫の紋様が一層、強く脈動し、掌に闇色の光が収縮した。


――ゴウッ!!


 大蛇の口から、巨大な黒炎の塊が放出される。唸りを上げて迫るそれから片時も目を離さず、フュリオは呟いた。


「それでも、俺は魔物≪おまえら≫を滅ぼす」


 次の瞬間、彼の右手から溢れ出した紫炎の奔流が、迫る黒炎を丸呑みにした。

 それでも勢いが衰えることはなく、むしろさらに勢いを増して大蛇の魔物に襲いかかる。

 瞬く間にその身を炎に包まれ、大蛇は天に向かって断末魔の悲鳴を上げた。


「封魔刻印≪リミッター≫発動」


 左胸に手を置いて小さく呟くと、徐々に彼の身体に浮かび上がっていた紋様が消えていく。フュリオは一つ息をついた後、絶命した魔物が光の粒子となって『門』の向こうへ消えていく様をじっと見つめた。

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若き王女と魔人の剣 ~トランシア王国物語~ @godo-mamoru

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