第5話 魔人解放④

「こんな時に……」


 焦りと苛立ちの滲んだ声で呟き、ミリアは天井を仰ぎ見る。

 一方、フュリオは表情を変えないまま、ライコウに視線を移した。


「なぜわかった。精霊は魔物の出現を予知できるのか?」

「あたしは精霊王と直接交感できる精霊なの。こうして地上にいるのだって、精霊王のメッセージを伝えるためみたいなものだしね」

「なるほどな」


 精霊たちの頂点に立つ精霊王は、『門』に最も近い精霊の生まれ故郷、ニシカの木の内部にいる。『門』の異変を誰よりも早く感知できるのだろう。


「フュリオ。申し訳ありませんが、お話はまた後ほど。私はすぐ地上に戻らなければなりません」

「そうかい。だったら、俺もつれていけ」


 ミリアが「え?」と驚く間に、フュリオは壁に手をつき、ゆっくりと立ち上がる。

 そして、目にもとまらぬ速さでミリアの腰に差してあった護身用の剣を引き抜いた。


「ミリアッ!」


 瞬間、ライコウの指先から電撃が迸り、薄暗い地下牢を青白く染め上げる。

 フュリオはとっさに身をよじって電撃をかわすと、ライコウの動きをけん制するように、その鼻先に剣を突き付けた。


「誤解するな。この鬱陶しい髪を切ろうと思っただけだ」

「だ、だったら最初からそう言いなさいよ!」

「時間がないんだろ?」


 軽く肩をすくめた後、背中まで伸びた長い後ろ髪を左手で束ね、右手の剣で一気に切り落とす。

 できることなら前髪も切りたいところだが、そこまでの時間的余裕はないだろう。


「協力していただける、ということでしょうか?」

「ここにいるよりはマシだ。いい加減、牢獄暮らしも飽きた。それより、陛下はここに残っていた方がいいんじゃないか。地上よりも安全だ」

「そのような王に、民がついてきますか」

「ご立派な心がけだな。それが口だけじゃないことを祈る」


 挑発的な笑みと共に、剣をミリアに返す。

 ミリアは憮然とした表情でそれを受け取り、鞘に収めた。


*************************************


 およそ10年ぶりに見た地上の風景は、記憶の中のそれとそう大差はなかった。

 ただ、以前よりも幾分、何もかもが小さくなったように思える。地下牢に幽閉されている間に身長も随分と伸びたので、当然と言えば当然だろう。

 状況を確認するため、三人は見張り用に作られた近くの高台に登る。

 西の空に浮かぶ太陽が赤く色づき、王都の街並みは一面、夕焼け色に染まっていた。ただ、上空の『門』から吊り下がったニシカの木だけが、世界から隔絶されたかのように青々としている。そして、王都の中心に位置する巨大は広場には、10メートルを超す巨大な体躯と双頭を持つ大蛇が、我が物顔で陣取っていた。


「武器をくれ」

「どのようなものを?」

「剣だ。でかくて丈夫なものがいい」

「わかりました」


 ミリアはその場で数歩後退し、静かに目を閉じる。そして、コン、と1つ、かかとで地面を打ち鳴らした。

 途端、彼女の足元から円形の光が広がり、小さな白光の湖が生まれる。続けてもう一度、かかとを打ち鳴らすと、湖にゆっくりと波紋が広がっていった。


「求めるは――剣」


 呟きと共に、三度かかとを打ち鳴らす。


「与えるは――魔を討つ炎」


 湖面が輝きを増し、彼女の身体が眩い光に包まれる。

 初めて見る彼女の魔法――精霊王と契約した者のみが使うことのできる具現化魔法に、フュリオは目を見張った。


「隔世の理に従い、我が前に顕現せよ――フレアグニス」


 閉じていたミリアの瞼がゆっくりと持ち上がる。刹那、彼女の前にゆらりと闇色の炎が立ち上った。それは瞬く間に渦を巻き、形を変え、やがて一振りの剣と化す。フュリオの身長ほどもある、幅広の大剣だった。

 静かに宙に浮くそれを見て、フュリオは問う。


「これは?」

「とある異界の名工が鍛えた魔剣の一つです。長年、相応しい使い手がおらず、封印されていたようですね」

「『門』の向こうから召喚したのか」

「それが私の具現化魔法ですから」


 飾り気などまるでない、ただ持つためだけに作られた武骨な柄を握りしめる。初めて握る剣のはずだが、不思議と手になじむ感覚があった。

 続けて、分厚い剣身に目を向ける。ずっしりと重い、見たことのない漆黒の金属で作られ、表面には複雑な紋様がいくつも描かれていた。何らかの魔術的仕掛けが施されていると推測されるが、具体的な効果まではわからない。

 何にせよ、多少乱暴な戦い方でも壊れない頑丈さを備えていることは間違いなさそうだ。


「悪くない」


 そう呟き、ひょいと肩に担ぐ。常人離れした彼の膂力を目の当たりにしたライコウは、思わず「へぇ」と感嘆の声を漏らした。


「さすが、化け物と呼ばれるだけのことはあるわね」

「行儀の悪いメッセンジャーだな。躾がなっちゃいない」

「あんたにだけは言われたくないわ」


 そんな軽口を叩きつつ、フュリオは再び眼下の王都へ視線をやる。

 広場には王国騎士団のメンバーと思しき連中が駆けつけ、大蛇の魔物と交戦状態に入っていた。だが、その数は10人にも満たない。魔物と戦えるのは王国騎士団の中でも精鋭のみとはいえ、あまりに少なすぎた。

 戦力が不足している、というミリアの言葉が嘘ではなかったことを実感しながら、およそ10年ぶりとなる戦闘への高揚感に身を震わせる。


「あそこにいる奴らを下がらせろ」

「なぜです?」

「邪魔だからだ」


 その言葉を合図に、フュリオは高台から身を躍らせた。

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