備前福岡

本間 ひつじ

第1話

姫路方面から国道2号線を下りの方向に車を走らせると備前大橋の手前に信号がある。国道2号線はそこで備前大橋を渡り岡山の方向に向かう。しかし、信号を左に進むと道は吉井川左岸の土手の上をゆくようになる。土手の右側には広い河川敷のゴルフコースがみる。岡山には3つの大きな川が流れている。岡山の市内の中心を流れるのが旭川、西部には高梁川。備前を流れているのがこの吉井川だ。

吉井川の土手の上を車で5分ほど走り、大きなイチョウの木を過ぎ、土手を下ったところに備前福岡がある。備前福岡が県民のあいだで注目を浴びたのは、NHKの大河ドラマで「黒田官兵衛」が放映された時のことだった。黒田官兵衛の祖父にゆかりのある地として紹介された。わたしもその流れに乗って、初めて備前福岡を訪れた。

備前福岡は土手下にある集落で、その東にも北にも隣の集落まで田んぼが続く、南は乳製品の工場など、邑久上橋まで1キロほど工場が立ち並んでいる。その間にある備前福岡は100軒ばかりの家が立ち並ぶ落ち着いた町だった。土手に並行するように2筋の道が町を横切り、その道に交わるいくつかのの小路がある。しかし、通りと通りは直角には交わらない。道は敵の侵入から町を守るために真っ直ぐには見通せない構造になっている。中世の集落の特徴だという。通りに沿って、古風な佇まいを見せる家、最近の建てられたと思われる家様々な家がいりまじる。静かな佇まいは心が惹かれるが初めて訪れるわたしには、それ以上の感想はなかった。

しかし、その印象はだんだんに塗り替えられていくことになった。土地のボランティアガイドさんに導かれていった町の東の奥には、妙興寺がある。運慶系の仏師が作ったという仁王がおさまる山門があり、本堂をゆき過ぎると墓所になっている。そこには、黒田官兵衛の曽祖父の墓があり、黒田家が財の元となった目薬の木も墓のそばに植えられていた。そのすぐ、近くには宇喜多興家の墓があった。聞けば池田家ゆかりの墓もここにあるという。

その後、備前福岡郷土館で、一遍上人の聖絵をデジタル画像で見せてもらい解説を聞く。「一遍上人絵伝」日本史の教科書にも掲載されているほど有名な絵だ。なんでも、仏教を人々に伝えるために全国を巡った一遍上人が備前の福岡の市を訪れた時の物語を描いたものだという。全国行脚を終えて亡くなった一遍上人の軌跡を絵に残すために、二人の弟子は行脚の2年後、絵師を伴って同じ道を辿って再び歩いたそうだ。そうして、描かれたのがこの絵だということだった。

 鎌倉時代の福岡の市の様子が克明に描かれている。商品は川から船で様々なものが運ばれている。古い時代、水上交通がどんなに経済活動の中で大きな力を持っていたのかということが覗える。備前福岡は吉井川の河口近い船着場として発展した町だったのだろう。また、近くの長船とともに刀鍛冶が盛んだったということも見逃せない。しかし、それも元を言えば吉井川の水運による鉄鉱の運搬など、刀の原料の輸送の力があってのことだと思う。

 ボランティアガイドさんからの話をもとに、歴史の流れを沿ってみよう。南北朝の時代、足利尊氏が政権を確立する前、甥の直冬が九州で兵を挙げたとき、これを打つために九州に向かおうとして、福岡の庄に総勢8千騎で、40日間滞在している。ここ福岡だけでなくこのあたり一帯としてもどうやって8千騎を40日も養ったのか興味は尽きない。

 そして、戦国時代なると黒田官兵衛の曽祖父が近江から移り住んできている。勘兵衛自身は黒田家が播磨に居を移してから生まれているのだが、黒田家はこの福岡で財をなしたと言われている。黒田家は後に九州に領国を持つようになるが、その新にえた領地を福岡と名づけているのはとても興味深い。

勘兵衛の曽祖父が備前福岡に住むようになってから、20年ほど後、宇喜多秀家の父直家は、直家の祖父能家の砥石城が落城し、そこから落ち延び父興家たちに連れられこの福岡に逃れきて、福岡の豪商阿部善定が匿った。後に興家は善定の娘と結ばれ、この福岡の地で亡くなっている。そして、黒田家、宇喜多家ともに後には豊臣秀吉の家臣となっている。備中高松の水攻めの折、一つになって、戦いの中でそれぞれに大きな役割を担っていることはなんとも不思議だ。

 また、江戸時代における岡山藩の藩主池田家の関係では、藩主池田光政の叔父で、赤穂藩主を改易になった池田輝興をこの地に預かったという縁もある。

どんな土地にも歴史はあるものだが、このように幾重にも目覚しいできごとが積まれた場所はそんなに多くはない。備前福岡がどんなに豊かな商都であったのいうことが覗える。しかし、ただ経済的に豊かであっただけでこのような歴史を持つことができたのだろうか?

 様々な理由で福岡を訪れる人々を受け入れていく福岡の人々の懐の広さ、それがあればこそ、このように歴史が刻まれたのではないだろうか。そして、やがて歴史は郷土の財産となった。

 今、現地のボランティアガイドや毎月備前福岡の市を開いている人々の笑顔の中にその懐のひろさは脈々と受け継がれている。

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備前福岡 本間 ひつじ @mimi0109

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