第5話灰の声

世の中は何が起こるかわからねえ。もしものためにこの手紙を書いておく。読んでるのは美人の姉さんかい?だったら嬉しいねえ。あんたのおかげで夢のような体験をさせてもらった。人の道に外れたことだが、数百年分の医療実験をさせてもらったよ。しかも美味い飯や酒や女まで奢ってもらった。欲を言えばあんたも……やめておくか。地獄から連れ戻されそうだ。

最初、俺は貧しい連中のために手術を開発していたが、今じゃその気持ちもだんだん湧かなくなった。この贅沢な暮らしから抜け出せそうもない。これはあんた達の望みどおりの展開なんだろ?人の弱みがよくわかってるねえ。だが、俺は長く生きられないはずだ。こんな実験をしておいて長生きできるはずがねえ。神様がいるかは知らないが、世の中ってのは釣り合いが取れるようにできてる。そういう仕組みなのさ。悪いやつは必ず相応の目にあう。

なあ、命を見続けてきた俺から一つだけ言わせてもらえるか?あんたらは永遠に続く栄光を目指してるみたいだが、それは考えもんだぜ。どんな人間もいつか死ぬ。不死の種族だって滅びがある。国だってそうさ。世界の始まりから続いてるものなんていないだろ?命ってのは永遠を目指すものじゃないのさ。命ってのは―――


ルプスレギナはそこで解読用アイテムを仕舞った。

部屋に紅の光が踊り、焦げた匂いが広がる。

「どうかしましたか?」

若い男が訊いた。

「なんでもないっす。さあ、ここがあなたの新しい職場っすよ。あっ、これが食事も睡眠もなしで働けるマジックアイテムっす。高価だから失くしちゃ駄目っすよ?」

「わかりました」

男は緊張してそれを受け取った。

「ということは食事をしてはいけないのですか?」

「いや、そんなブラックな職場じゃないっすよ。成果さえ出せばここの人間に頼んでお酒や女の子も頼んでいいっす。ただし……」

そこで彼女は表情を変える。

「成果を必ず出すこと。情報の偽りや隠蔽があった時は……わかるわね?」

「は、はい!」

若き研究者は背骨を氷柱で貫かれたように感じ、この女性を絶対に怒らせてはならないと理解した。



誰かがこれを読んでいるということは僕は死んだのだろう。読んでいる相手はルプスレギナ・ベータ嬢だろうか?その可能性は低いと思うが、ここからは彼女が読んでいると思って書こう。

やあ。僕の家を掃除してくれている最中にこれを見つけてくれたならすごく嬉しい。僕は君たちに協力する気になれなかった。魔導国にはわかりやすい非道な振る舞いこそなかったが、勢力を拡大しようという意図がはっきりとある。たとえば帝国に頼まれたという形で行った王国軍への大量殺戮。あれはとても賢いね。帝国に責任を転嫁したうえで示威行為ができる。魔法の実験という目的もあったのかな。

魔導王の英知には感動したし、敬服もする。だけど、彼の意見は理屈こそ通っているが心が通ってない。人間が愚かゆえに知識を取り上げることを悲しんでいると思えなかった。むしろ人間にはそのまま愚かでいてほしいと思っているのではないだろうか。

君も人間に好ましい感情を持っていないと知っている。君は表情がころころ変わるが、その目には暗く禍々しいものが常にあった。しかし、希望もある。僕が陛下と会う直前に君が「偉大にして慈悲深き至高の御方」と言った時。あの時の目だ。あの時だけ君はどこまでも優しい目をしていた。あんな目ができるなら希望はある。君にそこまで思わせる魔導王にも。

ルプスレギナ、君達の大事な人への想いをほんの少しだけ他人に分けてやってくれないか?無限の想いのほんの一部を。そうすれば世界はもっと善くなるだろう。世界に必要なのは力でも英知でもなく心だと僕は信じている。

ああ、わかってるとも!

君はそんな事をしない。死んでもするものか。

狼が草ではなく肉を食らうように君は君であり続けるだろう。

ならば存分に踊るといい。君の舞踏会を。終わりの鐘が鳴るまで。

それでも僕の最後の願いを聞いてくれることを願いつつ、嘘を1つ告白しよう。

僕は思いついた構想や理論を本に書き残している。僕自身は覚えられるから不要だけど、研究を引き継がせたい人が現れるかもしれないからね。僕の机の一番下の引き出しを引き抜いて底の板を外してごらん。あっただろう?君達が知識を悪用しないことを切に願う。もしよければ僕の墓に花を飾ってくれ。

ここからは手紙を読んでいる相手が彼女でない場合のために書く。君は僕の後任の学者だろうか。それとも家の掃除を任された誰かか。この手紙に書いてある場所に彼らの求めている本がある。君がそれを使って研究しようとも彼らに渡そうとも君の自由だ。この手紙を見なかったことにしてもいい。僕はルプスレギナや魔導王にも世界をより善いところにする可能性はあると思うが、君がそう思わないならやめておけばいい。

奇妙な決断を迫ってすまない。自分の心に従ってくれ。

結局、生きるとは自分の心に従い、進む道を決める事だ。

僕の道はここで終わりのようだが。


コニールが息を引き取ってから1週間後、その家には新しい住人がやってきた。彼はそこで働く美人のメイドから家の中を案内され、以前の住人が使っていた装置をさっそくいじり始める。

メイドは家の外へ出ると庭へ移動した。

「反応はどうっすか?」

姿なき声がメイドに聞いた。

「装置にとても興味を抱いています。以前の研究者が残した資料はないかと聞かれましたが……」

「あー、それはないっすよ。書かせようといろいろ苦労したんすけどねー」

声に不快な感情がこもり、メイドは足を震わせる。

「あっ、あなたに怒ってるわけじゃないっすよ。で、あなたに興味を持ってる感じっすか?」

「は、はい。それなりに好意を持ってくれているかと」

メイドは元々そういう仕事をしていたので男を誘惑する自信はあった。服も普通よりやや露出が多い。

「それならOKっす」

声は機嫌が良くなった。

「好意を持たせるのはいいけど、すぐに抱かせたら駄目っすよ」

「はい。研究の成果を一刻も早く出すように説得します」

「そうっす。そしたらあとはご自由に。子供作っても構わないっすから」

「はい……」

優秀な人材がほしいから。そして逃亡や裏切りの気配があった時に人質として使えるから。その2つが理由であることを彼女は知っている。自分の人生は彼らの計略のために使われるのだ。それでも彼女は仕事を引き受けた。報酬が破格だったこともあるが、あのまま娼婦として薬品臭い男やその同類に抱かれて金を貰うよりずっと希望のある人生になりそうだから。

「それじゃ、あとはよろしくっす」

「はい!あっ、お待ちください」

彼女は勇気を出して一つだけ質問した。

「ん?」

「ここで亡くなった御方ですが、お墓はどちらに?」

「そんなのないっすよ」

女はさらりと言った。

「珍しい病気だったから標本になったっす」

「……標本?」

「それがどうかしたんすか?」

「……いいえ」

「もう用はないっすね。じゃ」

声と共にぼんやりした気配もなくなる。

彼女はその場に立ち続け、本当にあの女がいなくなったことを確信すると家に戻る。手紙に書かれていた所へ行き、机を調べるとその本はあった。

彼女は手紙と本を持って居間へ行く。

そして燃え盛る暖炉へそれらを投じた。

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狼と踊る羊たち M.M.M @MHK

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