時を報せる鐘
とや
時を報せる鐘
「雪や!」
狭い軽自動車から真っ先に降りた千佳が叫んだ。わたしは助手席で少し身を屈めて、フロントガラス越しに空を見上げる。灰色をした空に白い粒がちらちら舞うのが見えた。白い雪の粒のいくつかが、フロントガラスに落ちる。車内の暖房で温められたガラスの上で、雪は即座に水になって緩やかに下へ向かって流れていった。
「降ってきたなぁ」
運転席でマフラーと手袋を身に付けながら、亜衣がぼやく。これから約三時間、夜道を一人で運転する亜衣にとって、雪はあまり歓迎ではないのだろう。
「十一時やで! はよ行こ!」
スマホで時間を確かめながら言うのは、美結。美結の声に急かされて、わたしも慌てて車を降りた。
駐車場には、既に十台くらいの車が停まっていて、ちらほらと人影も見えている。みんなこれから、お城へ登るのだろう。彼らもわたしたちと同じように空を見上げて、降ってきた雪に声を上げていた。
十二月三十一日、大晦日、十一時。
これから彦根城では、集まった人たちの手で除夜の鐘が打ち鳴らされる。
千佳と亜衣と美結と、わたし。高校時代から、気づけばもう十年の付き合いになる女子四人組。除夜の鐘を突いて、その足で琵琶湖の対岸にある
けれどなによりわたしたちの心を掴んだのは、仲良し四人で年を越す楽しみだった。そんな面白いイベント、みすみす見逃せるはずがない。
真夜中、しんしんと降る雪でいっそう静かな城山の、ひたすら続く登り坂を、わたしたちはきゃいきゃいとはしゃぎながら登っていく。時に横に並んだり、時に縦に一列になったり。息を切らせても、わたしたちは沈黙するということを知らない。
そうして、零度近い気温にいったんは冷やされた身体がコートのなかで汗をかき始める頃、わたしたちは本丸下の
「がんばって!」
順番が回ってきて、彦根城の職員さんから鐘突きの綱を手渡されたわたしに、千佳が鐘楼の下から茶化すように言った。わたしは笑ってそれに答えて、それから綱を思いっきり後ろへ引いた。引っ張られた綱は鐘突きの重さを利用して、今度はわたしを引っ張るように前へ向かって進んでいく。その思いがけない力と早さに、少しだけバランスを崩しながらわたしは鐘を突いた。
ごぉん、と耳いっぱいに鐘の音が響く。その音は彦根の街へどこまでも広がっていって、やがて溶けていった。どこかのお寺で、わたしのとは別の鐘の音が、ごぉん、とまるでこだまのようにこちらへ返ってくる。
「ナイスー!」
ただ鐘を突いただけのことが妙に嬉しくて、わたしたちは鐘を突いては順番にハイタッチした。そんな自分たちがおかしくて、また誰ともなしに笑い出す。
本当に、この一晩であとどれだけ笑うのだろうかと呆れるくらい、わたしたちはずっと笑い続けた。
亜衣が面白い冗談を言って、千佳がそれに便乗してボケて、美結がすかさずツッコミを入れる。わたしはだいたい美結と一緒にツッコミを入れる役だけど、ときどき失敗してツッコミのつもりがボケになる。そんなお決まりの会話を繰り返しながらも、ふと考えてしまうことがある。
でも……、と。
あと何回、今日と同じことができるだろう。城山を下って駐車場までの道すがら、まるで高校生の頃と変わらないようにじゃれ合いながらもそんなふうに思うのは、年を重ねた証拠だろうか。
同級生の誰と誰が結婚しただの、子供が産まれただの、早くも離婚しただの。そんな話を耳にするたびに、わたしにはそれがまるで別な時間の流れる、どこか遠い世界の話のように思えてしまう。だって、わたしたちはこんなにも変わらないのだから。けれどその外側で、確かに十年の時間が流れていたのだと、最近になってひしひしと感じ始めていた。
時を報せる鐘は鳴り続ける。ごぉん、ごぉん、ごぉん。その音を聞くたびに、わたしたちは知らず知らずのうちに大人になって、緩やかに変わっているのだろう。
それでも変わらないものがずっとここにありますように。除夜の鐘の音が響いては溶けていく灰色の夜空へ、わたしは人知れず祈りを放り投げる。
時を報せる鐘 とや @toya
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