おとうさんおかあさんありがとう
目当ての場所はそこにあった。
「後藤」そう書かれた墓石は新しく、つい最近手入れがされている形跡があった。近寄って、持っていた花を手向け、そっと線香に火をつけた。
黙祷。
ここに来たのは何回目だろうか。もう覚えていない。
平日の静かな昼間。……だったはずなのに、後ろで誰かが近寄ってくる足音が聞こえた。振り向きたくないのに、振り向くとそこには1人の痩せた少年が佇んでいた。
瞳が黒い。深淵のようだ。
「……先生」
チュン、チュンとどこからか野鳥が鳴く声がする。春の穏やかな日陰に照らされて、帽子をかぶったその少年は、憂いを帯びた表情でこちらを見つめていた。
「翔吾くん、学校は」
私が咄嗟に出た言葉はそれだった。
「へえ。先生、もしかして僕に常識を説こうとしてるんですか? あんなつまらないところ、行くわけないでしょ。ねえ、先生」
少年は端正な顔を歪ませて、嘲るように笑った。
「人殺しのくせに」
家族の中のたった1人の生き残り、後藤翔吾は唇を曲げてまた笑った。そして、まくった袖の奥の火傷の跡を、ぽりぽりとかいた。それが彼の癖だった。
ヒーターに不備があったたらしい。
後藤家の住人はそれに気がつかずそのまま使い続けて、やがてヒーターは文字通り爆発した。運が悪いことに後藤一家は全員リビングにいた。ただ1人、翔吾を除いて。
ヒーターの爆発はやがて火災に繋がり、リビングにいた後藤一家は重い火傷を負ったまま、家を脱出した。そして火を見た隣家の通報により、無事救急車と消防車が到着する。ここまでは良かった。まだ助かる見込みがあった。
重い火傷を負った母、父、妹と、比較的軽い火傷の兄、翔吾。救急車に運び込まれて大病院へと到着した。そして、当時医師である私が担当することになる。火傷に苦しみながらも、私の顔を見た翔吾の安堵する表情が忘れられない。
もともと会社を経営する後藤家と、わたしの家で家族ぐるみの付き合いがあった。だからこそ、何としてでも手術を成功させて、家族を全員救わなければいけない、という使命感があった。
そして手術は失敗した。私の初歩的な医療ミスだった。後藤家は、ただ1人翔吾を残し全員帰らぬ人になった。
あの日から、私は医師を辞めて後藤家の墓参りを毎日している。今のところ、翔吾はそれを拒否しなかった。たまに会う度に、私を罵倒して、嘲笑したが、「来るな」とは一言も言わなかった。むしろ、私を傷つけるのを楽しみにしているようですらあった。
それでいい。それで彼の気が紛れるなら。
これからも贖罪のために生きていかなければいけない。それが私の罰であり、罪だ。
ぼんやりしたままベッドに潜った。……ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで、大切で大事な命が奪われた。全て自分のせいだ。明日からでも死んでしまいたい。でも、それは理性が許さない。
明日も罪を償うために生きていこう。死んだように。
◆
学校はつまらない。こんなところ抜け出して、あの医師のおじさんをおちょくる方が、愉しい。
今日も霊園にたどり着いて、いつもの場所に着くと、やはり先生は弱々しく背中を丸めて、後藤家の墓に花を手向けていた。
「毎日毎日熱心ですね」
ひょっこり近づいて、僕が気さく微笑んで声をかけると、先生はビクッとして振り向いた。明らかに僕に脅えている。高校生の少年である僕に。
それが、愉しい。
「……本当に、申し訳ないと思ってるから」
「本当に?」
おそらくこれを言ったら傷つくだろう、と思うことを言ってみる。
「実は、自分の罪の意識に耐えきれず、必死になってるだけだったりして」
先生はうぐ、と息を詰まらせた。過呼吸気味の吐息。明らかに動揺していた。
「そ、そんなことは、ないっ……」
必死な様子だった。ぜいぜい、と喘息すれすれの呼吸がしばらく響く。
ふーん、と僕は笑った。
「先生、人殺しのくせに許してもらおうと思ってるんですか? 浅ましいですね。僕の家族を奪っておいて。……なんで、生きてるんですか」
僕の言葉の端に潜ませた"怒り"に気づいた先生は、弱々しくその場で崩れ落ちた。
「許してくれっ、許して……」
言葉を言い終わる前に、先生は喉を詰まらせた。僕の喉が満足そうに鳴った。愉悦。
僕はその先生を見下ろした。そして、僕もしゃがんで先生をそっと抱き寄せた。
「っ……!」
先生は僕の腕の中で固まった。
「仕方ないですね。先生は人殺しの、ろくでもない人間ですもんね? 僕が許してあげないと、満足に息もできないんだ。そうでしょう? 大丈夫ですよ。一生許しませんから。だから、せいぜい罪滅ぼしのために一生を使ってくださいね」
僕が優しく語りかけると、先生はがらがらの声で「……はい」と返事をした。僕は先生の背中を優しくさすった。そして、腕の火傷の跡を掻きむしった。
その火傷は、火事になる前にあったものだった。
母親は妹を愛していたが、不出来で人並みの感情を持てない僕のことは愛していなかったようだ。ごめんなさい、ごめんなさいと謝っても、腕にアイロンをあてられて言葉すら出なくなったことを覚えている。そして、家庭に無関心な父親。愛されればそれでいいと思ってる妹。
僕は先生のことが好きだった。こんな僕のことを「仲がいい友人の息子だから」という理由で優しくしてくれた。あの日も先生のことを思って、1人、部屋で自分を慰めていた。あの火事があった日も。
ねえ、先生。奇跡って起こるんですね。家族は全員死んで、先生は一生僕に執着してくれるなんて!
おかあさん、おとうさん、死んでくれて本当にありがとう。きっと、僕と先生が永遠に繋がるための踏み台として死んでくれたんだね。妹のこともおまけに感謝してあげよう。なんて最高なんだ、あはは!
僕は先生の丸い背中を撫でながら、声を上げて笑った。明日も楽しい毎日を生きていこう。先生と一緒に。
落ちた世界の空の下で 階田発春 @mathzuku
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。落ちた世界の空の下での最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます