もし自由さえ手に入るなら

歌峰由子

もし自由さえ手に入るなら


 たった一隻の宇宙船という、窮屈な世界で生きている。


 船の外には、ただひたすら真闇の虚空。音もなく、光もなく、匂いもなにもない世界だ。


 世界の窮屈さは、物理的な狭さだけじゃない。社会構造、人間関係、人生の計画まで、全てが最初から決まっていて、平凡で冴えない独身女の私に、自分で決められることなんてほぼ無かった。


「自由がもし手に入るなら、他には何も要らないのに」


 自分の人生の全てに失望し、呟いた私に差し出された電子チラシは、船外作業の人員募集のものだった。


「じゃあ、全て捨ててみればいい」


 へろりと軽薄に、あっさり言ってのけた胡散臭い「リクルートマン」の前で、私はタブレットに映し出されたチラシの募集要項を読む。


 業務内容、移民船の船体外壁のメンテナンス作業。正確に言えば、メンテナンスロボットの操作だった。作業自体は簡単な講習で行える程度、ただし、船外作業ゆえ無重力。搭乗しているメンテナンスロボットが船体から剥離すれば、船にはほぼ戻って来れない。


 危険手当がつくため、給料は高い。移民者区分は、ごく普通の一般市民である「一般移民者グループ」から「移民船管理者グループ」に変更される。一般移民者の台帳から私の籍は消除され、新たに「管理者区分・D」に登録される。管理者区分、D。つまり一番の下っ端だ。


「これで、自由になれるの?」


 私は思い切り胡乱げな視線を男に送った。管理者グループは一般グループよりも更にガチガチの身分制度に凝り固まった世界だと聞く。その一番下っ端で、奴隷のように働かされるののどこが「自由」なのか。


「少なくとも、婚姻出産義務はなくなる。生涯恩給が支給されるから、老後の心配もない。ペアリング推薦会や、生殖機能検査に行く必要もなくなる。何より……『生殖』より他に、自分の『意味』が持てる。己の存在意義を選べること、これは『自由』じゃないかな?」


 淡々と語られる内容は、全て私の心に突き刺さった。


 私は移民船第三世代だ。両親もこの船内で生まれ、船の管理AIが提示した「ペアリング候補」からお互いを選んで結婚した。基本的な各夫婦の推奨出産人数は二人。船の人口を増やしも減らしもしないためだ。しかし当然イレギュラーは起こるため、毎年始めに「今年の目標出生数」が掲げられる。その数値次第で、一人に抑えられることも三人求められることもあるようだ。


 そして、私は残念ながらその「イレギュラー」である。


 元々、母親の病もあって私は兄弟がいない。


 婚姻適齢期になった私は、幾度となくペアリング推薦会に呼ばれ、遺伝子配列的に私と適合性の高い(つまり、子供に遺伝子性疾患が出にくい)男性と引き会されてきた。最初は言われるがままに「お付き合い」をして誰かを選ぼうとしていたが、なぜだろう、どうしてもそんな気になれなかった。


 次第に推薦会を欠席するようになり、今年とうとう管理部署から警告が来た。


『貴女の出産可能年齢は残り1年です。次回の推薦会には必ず出席してください』


 頑なに「結婚」しようとしない私を、両親は悲しんでいた。結婚をしなければ船員義務を一部放棄したとみなされ、行政サービスの一部を受けられなくなる。特に給付金関係が厳しく、私自身はもちろん、両親の老齢年金まで減額される仕組みになっていた。


 正直、吐き気がする。家族の連帯責任というやつだ。


 何度も両親とは喧嘩をし、最後はお互い何も言わなくなったが、常に無言の圧力を感じていた。だが、それももう過去の話だ。


 先日、両親が死んだ。事故だった。


 全て決められた手順で葬儀が終わると、私は両親と住んでいた家を追い出された。家族用住居に単身者は住めない制度になっているからだ。


『子を作らなければ、お前に存在価値はない』


 社会制度の全てが私にそう言っている。


 外側からだけでなく、内側から、自分の中の声も私を責めた。お前が子を産まないのなら、お前の両親は何のために生きたのか。次の世代に、いつか辿り着く新天地に己の子孫を残すため、この船の人間は生きている。ただ、ただ、血の糸を繋ぐために生きている。糸を切ってしまえば、両親の、祖父母の努力や価値を全てご破算にしてしまうじゃないか。


 祖父母はまだいい。両親以外にも子はいる。だが、私の両親は。私が結婚しなければ、何のために生きて、私を育てたんだろう。


 両親の遺体が政府に回収されて、分解装置に投入されて元素に戻った時、私は全てが虚しくなった。


 ごめんなさい。全部無駄にしてごめんなさい。


 生殖年齢の期限はもう目の前だ。あとは一般グループ内での仕事をみつけ、政府の給付金では足りない生活費を稼ぎながら死ぬまで生きていく。それだけだ。

 そう思っていた。


「それに、『何も無い』というのも自由のひとつだ。良いモノだよ、虚無の世界は」


 くつくつと笑って男が手を差し出す。生きるも死ぬも自由。仕事をしていれば何かの役には立つ。嫌になれば、いとも簡単に宇宙空間へダイブできる。確かに、なんて『自由』なんだろう。にわかに気分が高揚して、私は軽やかにその手をとった。






 目の前に虚空が広がる。


 目視検査のため、三百六十度透明なメンテナンスロボットのコクピットで、私はレバーを握る。


 八つの足を船体に吸着させた、スパイダー型と呼ばれるメンテナンスロボットに、命綱となるケーブルはない。ロボットが船体から剥離して消失するリスクよりも、ケーブルが船体に絡まって事故が起こるリスクの方が大きいからだという。


 無重力にはまだ慣れない。上も下もない世界だ。ロボットのライト以外に光も無い。ただほんの少し、遠く遠く星の粒が見える。


「さあ、自由だ」


 声に出して呟いてみた。何も無い空間が、そこにはあった。




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Twitterフリーワンライ企画 #深夜の真剣文字書き60分一本勝負 参加作

使用お題:窮屈な世界で

     虚空

     もし手に入るなら、他には何も要らないのに


TwitterのSFシェアワールド企画 #科楽倶楽部(@club_karaku )に参加しております。

企画サイト:http://ipuzoro.web.fc2.com/karaku/karaku_index.html


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もし自由さえ手に入るなら 歌峰由子 @althlod

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