思い出の回転喫茶店

楠秋生

思い出の回転喫茶店

 神戸のシンボルともいえるポートタワー。それは世界初のパイプ構造で、美しい鼓の形をしている。真っ赤なその姿を見下ろす山の中腹で私は育った。


 そのポートタワーの上には回る喫茶室がある。そこは密かに私のお気に入りの場所だった。高校生だった私はよく一人でそこに行った。窓の外を向いたカウンター席に座り、ゆっくりと移動していく景色を眺めるのが好きだったのだ。


 東側は海洋博物館のあるメリケンパークを下に見て、遠くに目をやると高層ビル群の立ち並ぶ六甲アイランドがある。その右手にはアーチ形の真っ赤な神戸大橋、それに続くポートアイランド。

 南は東側の遠景からずっと続く大阪の山並み。神戸空港に海を進む遊覧船。それから淡路島との間の友ヶ島水道。

 西には足元にモザイクと観覧車。遊覧船の発着場である中突堤。遠くに見えるのは鉢伏山から高取山をへて山並みが連なる。

 そのまま北の菊水山、碇山、市章山、六甲山へと続いている。

 神戸は海と山の街なのだ。

 

 少しずつピンクに色を変えていく空が、ぐるりと一周まわる頃には全く違う景色を見せてくれる夕方が特に好きだった。街の灯りが徐々に増えていき、夕焼けの余韻を残したグラデーションのかかった空には星が瞬き始める。

 山には錨と市章のマークが浮かびあがり、高速道路のテールランプは赤く連なり走る。そして観覧車は華やかな色彩で色を変えていく。


 その大好きだった場所にも大学を卒業して神戸を離れてから一度も訪れていなかったが、同窓会の案内に誘われて一泊旅行で戻ってきたので懐かしくなり足を運んだのだ。

 一体何年ぶりだろう。上がっていくエレベーターの中で考えた。六年、いや七年か。あまり変わっていないのが嬉しかった。昭和を感じさせるレトロな内装はそのままだ。

 喫茶室に入るとコーヒーを頼んだ。時計を見ると四時をまわったところ。同窓会は七時からだから、二時間はゆっくりできる。時間帯的にもこれから日が傾いていく一番好きな景色が見れる。

 頬杖をついて変わらない景色を眺めているうちに、いろんな思い出が浮かびあがってきた。

 懐かしい、彼との思い出。高校二年生から大学の四年間つきあった大好きな人。神戸を離れる時に別れてしまった。遠距離恋愛はできないと言われ、未練を残したまま終わってしまった恋。

 あれから何度か恋をしたけれど、彼の面影が忘れられず結局長くは続かなかった。今日の同窓会に彼が来るのかどうかはわからない。来たとしても私のことなんてもうとっくに忘れているかもしれない。それでも噂話だけでも聞けることをほんの少し期待してきてしまったのだ。

 

 下に見えるメリケンパークにはよく遊びに来た。学校帰り、手を繋いでいっぱい散歩したね。

 ゆっくりと周っていく景色を眺めていると、思い出がどんどん蘇ってくる。


 北野異人館にはあなたと行ったのが初めてだった。

 南京町、ハーブ園、布引の滝。王子動物園に須磨水族園。


 春には会下山で花見。神戸まつりではサンバを見て。

 夏には須磨で海水浴。神戸港の花火は穴場のスポットで二人っきりで見た。

 秋には再度山で紅葉狩り。

 冬はルミナリエ。点灯から最後の消灯まで一緒に過ごした。

 お正月は長田神社、湊川神社、生田神社。毎年違うところで初詣でして。年が明けたら十日戎えべっさん。それから南京町の春節祭。 


 山にもたくさん登ったね。高取山に鉢伏山。六甲山の縦走路。

 菊水山で初日の出を見たの、覚えてるかな。


 森林植物園は紫陽花の季節が好きだった。

 ビーナスブリッジからの夜景。あそこで初めてキスしたね。

 ”連理の枝”があったのは摩耶山だっただろうか。


 車の免許をとってからは、六甲山牧場やしあわせのむら、フルーツフラワーパークにも足を延ばした。ああ、それから離宮公園も。

 


 神戸の街はあなたとの思い出が溢れすぎてるよ。そりゃそうか。六年もつきあったんだものね。

 それから同じだけの六年たっても未練のある自分が情けない。普段は忘れたつもりで生活していたのに、ここに来たらたくさん思い出してしまった。

 今日会ったらふつうにしゃべれるだろうか。もしからしたもう恋人がいるのかな。ううん、もしかしたら結婚してるかも。

 それを聞いたらあなたを完全に吹っ切ることができるかしら。


 刻々と群青が降りてきて西の空が夕焼け色に染まってきている。あと一回りしたらもう夜景のあかりの方が鮮やかになるだろう。

 同窓会の時間も近づいてきている。


 もう一周だけもう一周だけと思っていたら、ギリギリになってしまった。慌ててレジに向かう。背の高い男の人が清算中。待っている間何気なくその人の背中を見ていた。

 ああ、あなたのことばっかり考えてたから、背が高いってだけで似て見えてきてしまうよ。

 その人が清算をすませ振り返ったので、見つめていたのがばれないようにそっと視線を落として前に進む。


「奈津美?」


 不意に懐かしい声が頭上から降ってきた。


「…………なんでこんなところに?」


 目を丸くして問いかける私に「先に清算してこいよ」と言ってエレベーターの前で待っていてくれる。



「それで、なんでここにいるの?」

「あー、一回だけここに連れてきてくれたことがあっただろ? 一人で考えごとするときによく来るって教えてくれた」


 耳の後ろを掻きながらあらぬ方を向いて言う。


「それを思い出して少し早く神戸に来て感傷に浸ってたんだよ」

「感傷って……」

「あの頃のこと思い出してたんだ」


 それって……。


 胸が早鐘を打ち出す。


「とりあえず会場へ向かおう」


 エレベーターを下り、並んで歩きだす。さっきの続きを聞いていいのかわからず黙って歩いていると。


 コツンと触れた手が、そのままきゅっと握りしめてきた。

 見上げるとはにかんだような横顔。


「あのさ、もう一回…………」


 ライトアップされたポートタワーと海洋博物館が、彼の後ろで滲んでいった。

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