第27話:夏休みを終わらせるために

 翌朝、俺は自分の気が変わらないうちに電話をかけた。家だと邪魔が入るため外に出た。心の準備をすべく歩いていたら、いつの間にか近所の公園に着いていた。夏休みだし子どもが多いかもしれないと思ったが、いるのは散歩中の老夫婦だけだった。今時の子どもは公園で遊んだりなんかしないのかもしれない。

 一コール、ニコール、三コール目で相手が出た。

「もしもし」

「……」

 通話口からは返事がなかった。電波が悪いのだろうか。そう思って少し声を大きくする。

「もしもし、朝からすみません。黒沢です」

「聞こえている」

 不機嫌そうな声が返ってきた。聞こえてるんなら返事くらいしてくれよ、そう思ったが口には出さない。

「渚深青、って生徒知ってますか?」

「いったい何なんだ朝っぱらから」

「すみません、大事なことなんです」

 そう言うと、河瀬先生は何かを確認するように少しの間黙ってから口を開いた。

「渚深青だな? ちょっと待て」

 仕事中なのか、キーボードを打つ軽快な音が聞こえる。そのまま言われた通り待っていると、

「あぁ、演劇科の一年生だな。面識はないが。彼女がどうかしたのか?」

「住所を、教えてください」

 単刀直入に、そう口にした。

「あのだな、黒沢。生徒同士とはいえ個人情報の開示は」

「夏休みを、ちゃんと終わらせたいんです」

 ひっきりなしに聞こえていたキーボードを叩く音が止んだ。すぐ近くで雀のさえずりが聞こえる。通話口の向こうで何かを逡巡するような間があってから、河瀬先生が口を開いた。

「……そうか。それならちょうどいい。以前『部活に入っていないものが二人いる』と言ったな。あれはお前と、」

 携帯を握り直して耳を澄ます。

「渚深青のことだ。そこでだ。ちょっと頼みごとをしてもいいか?」

「はい。なんでしょう?」

「先日お前にも伝えた部活に関する話を渚深青にも伝えてもらえないか? どうやら担任が話しそびれたらしくてな。本来は直接その担任から話をすべきところなのだが、生徒同士で解決できるのであればそれに越したことはない。なんと言っても我が校のモットーは『生徒主体』だからな。それでは住所を伝える。メモの準備はいいか?」

「あ、ちょ、ちょっと待ってください」

 慌ててポケットをまさぐる。幸いなことにボールペンが一本入っていた。

「お願いします」

 告げられた住所を手の甲にメモすると、俺は河瀬先生にお礼を言って電話を切った。

 調べてみると、その家は二つ隣の駅の近くにあるようだった。


「でもさ、なんで急に撮る気になったの?」

 隣を歩くあかりが顔を覗き込んでそう訊いた。

「あかりが言ったんだろ。撮れ撮れって」

「いや、そりゃそうだけどさ」

 口を尖らせるあかりを無視して俺は目的地へと歩を進める。

 俺たちは先生に訊いた住所へと向かっていた。

 渚碧海がかつて生活して、そして今はもういなくなってしまったその場所へと。

 太陽に照りつけられたコンクリートから熱気がもうもうと伝わってくる。

 遠くには陽炎がゆらめいていて、それはどこか劣化したビデオテープのノイズのようだった。

 そんな風に思っていたから、あかりの口から漏れたことばに俺は思わずどきっとした。

「夏ってさ、映画みたいだよね」

 黙っていると、それを同意とみなしたのかあかりは続ける。

「うまくことばにできないけど、夏って遠くのものが近くに見えたり、近くのものが遠くに見えたりしない? 死んだ人がお盆に帰って来るっていうのもわかる気がするんだよね。そういう距離感とか境界線とかがすごくあいまいになる感じ。あ、って言ってもあたしは別に死んでるわけじゃないけど」

 そこまで口にして、あかりは急に不安になったのか、小さな声で訊いた。

「死んでない、よね……?」

 昨日までの俺だったら、イエスともノーとも答えることができなかったかもしれない。そんな質問に俺ははっきりと答える。

「生きてるよあかりは。それに映画だって撮る。だろ?」

「……あかりチョーップ!」

「痛てっ。なんだよ!」

「アキラのくせになんか生意気!」

 頭をさすっているとあかりが小さな声で付け足した。

「でも……ありがと」

 俺は聞こえなかったフリをして、手元のナビを見る。青い矢印が赤く染まった目的地のすぐそばまで来ていた。

「たぶん、このあたりだと思うんだけど……」

 首をひねってあたりを見回すが、「渚」という表札は見当たらない。

 と、数軒先の玄関からひとりの少女が姿を現した。

 俺は慌ててあかりの腕を引っ張り近くの電柱の陰に隠れる。驚いたあかりが何か言いかけたが、その口をてのひらで覆って右手で「静かに」とジェスチュアをする。

 電柱から顔を出して先程現れた少女の姿を追った。どうやら彼女はこちら側ではなく反対側へと向かったようで、遠のく背中しか見ることができない。

 一瞬しかその顔を見ることはできなかったけれど、それが誰なのかはすぐにわかった。

「あれってもしかして」

 背後からひょこっと顔を出したあかりが右手を眉のあたりに添えて、遠くを見るようなポーズをとっている。

 俺は小さく頷いた。

「渚……深青だ」

 タイミングよく現れた目的の人物に、胸の鼓動が速くなる。ここまで来たのはいいものの、どう声をかけたらよいのかわからなかった。

 そんな俺の心中を察してか、ぽん、と背中を優しく押された。

「余計なことは考えずに、素直にことばをぶつけてごらん。女の子はみーんなストレートなことばに弱いんだから」

 その勢いで、俺は駆け出す。百メートル程走ったところで、小さな背中に追いついた。

「渚……深青さんっ!」

 名前を呼ばれた少女が振り返る。その顔はやっぱり渚碧海のそれとそっくりで、あの日、とうとう振り返ることのなかった碧海が今ようやく振り返ったような、そんな気持ちになる。

「なに」

「ごめんなさい」

 思いっきり頭を下げた。

 それから俺は、ずっと胸の内に抱えてきたものを吐き出すように、話し始めた。

「俺の名前は黒沢晶です。去年碧海さんと映画の撮影をしていました。監督として。あの日、俺は彼女を止められなかった。ずっと俺のせいだと思ってました。俺のせいで彼女は……彼女は消えてしまったんだって。だけどそうやって自分のせいにして蓋をしても、何も解決なんてしてないってわかったんです。俺は……碧海さんがどうしてあんなことをしたのか知りたい。それを知って、ちゃんと前に進みたい。だからもう一度、映画を撮ることにしました」

「そう」

 顔をあげると、渚深青がこちらをじっと見つめていた。

「わたしは、何をすれば」

「映画に、出てほしい」

「わかった」

「わかったって……いいの?」

「碧海が何を想ってたのか、わたしも知りたいから」

 そう言って右手首を左手でぎゅっと握った。その手首には赤い糸がぐるぐると何重にも巻きつけられている。

 彼女も同じだったのだ。

 止まってしまった時間をどう前に進めたらよいのかわからず、きっと同じように足踏みをしていたのだ。

「それに」と何か言いかけて彼女は首を振った。

「どうしたの?」

「なんでもない」

 そこに、遅れてやって来たあかりがまるで自分の手柄みたいな顔で言った。

「どうやら交渉成立みたいね」

 俺はしっかりと頷いた。

 終わらせることのできなかった夏休みを、今度こそちゃんと終わらせるために。

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あの夏の巻き戻しボタンをぼくはまだ押せない 黒埜創 @kuronostalgia

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