ラブレターの秘密

那由多

ラブレターの秘密

 文化祭が終わり、高校には一時的な静けさが戻っていた。

 この後には期末テストという二学期最後のビッグイベントが待っている。人によっては死の宣告に等しいそのイベントが、校内に喜怒哀楽入り混じった嵐を巻き起こす事はすでに約束されている。

 そんな嵐を前に、例え僅かでも穏やかな日々を貪りたい。

 高校全体がそう願っているかのごとく、毎日が平穏だった。


 高月晴樹たかつきはるきは、現在二年生である。

 歴史も名誉もさっぱり無い図書委員会にて長を務めている。

 中肉中背。頭脳、運動神経は共に並。文化祭を人並みに満喫し、来る期末テストにそれなりの恐れを感じる平凡な男子である。

 図書委員会の長に任命されたものは、昼休みに貸し出し係を担当する役目を負わねばならなかった。

 いつ利用者が来ても良いように、昼食も貸し出しカウンター奥にある事務室で食べなくてはならない。お陰で図書委員長職は貧乏くじと称され、敬遠されるのが常だった。

 これを晴樹は二つ返事で引き受けた事で、図書委員会内では変わり者呼ばわりされている。

 そもそも晴樹は委員会に入った当初から昼食を図書室で食べていた。つまり、別段今までと生活が変わるわけではなかったのだ。もちろん引き受けた理由はそれだけでは無い。だが、そんな事も二つ返事で引き受けた理由のうちにはちゃんと入っていた。


 晴樹にとってカウンター奥の事務室は天国のような場所だった。

 第一に、落ち着いて昼食を食べられる。

 いつ来ても良いようにと言っても、昼休みの頭から図書室に駆け込んでくる生徒はまずいない。昼休みに入ったら、誰もがまず昼食を食べるものだ。

 第二に、図書委員が使うことを許されたポットと冷蔵庫がある。

 学校内で許された範囲のうちであれば、なんと自由に使う事ができる。

 ただ、ポットに関しては以下の二点を必ず守る様にと定められていた。

 まず、ポットは必ず定位置であるキャビネットの上に置く事。

 そして、利用者はその背後の壁に掛けれた戒めを必読の事。

 戒めは墨字で半紙に書かれ、御大層な額に納められていた。

 その文言は「匂いの強いもの禁止!!!」の一言。

 わざわざ三つ並べられたエクスクラメーションマーク。

 墨と筆と言う筆記具が漂わせる物々しさ。

 そして、筆者独特の金釘文字が感じさせる力強さ。

 それらが相まって、見る者を威圧するようなオーラを放っていた。

 筆者は先代の図書委員長に他ならない。

 自戒と反省の意味を込めて、自ら書いたものを自腹で買った額に納めて掛けてあるのだ。

 ちなみに墨と筆と硯と文鎮は書道部の備品を借りていた。


 先代の委員長は変な女性だった。

 彼女は名前を加古川通子かこがわみちこという。

 事件は彼女がインスタントのチゲスープを作ろうとした事で起こった。

 お湯を注ぐと同時に溢れ出す強烈な匂いは、事務室と閲覧室を隔てる見掛け倒しの薄壁をあっさり突破。そして、瞬く間に図書室中に広がったのだ。閲覧室にいた読書を楽しむ生徒からは苦情の嵐。彼女は顧問からこってりと怒られた。

 ポットが強制撤去とならなかったのは、不幸中の幸いとしか言い様がない。

 事件ついて晴樹が問いただしたとき、彼女は壁の防臭性能を試したと宣った。

 だが、見たまんま安普請の軽く蹴れば穴も開くであろう薄壁。彼女がそんな物に過度の防臭性能を期待する愚か者であるはずがない。晴樹はそう確信していたから追及の手を緩めなかった。

 さらに彼女には都合が悪さをしらばっくれで逃げようとした過去が何度かあった。その事をつつくと、観念したように彼女は口を開いた。

「辛い物が食べたかったの」

 結局吐き捨てるように言ったこの一言こそが真実に違いない。


 そんな彼女も高校のしきたりに従い、一学期の末で委員長職を退いた。

 本来であれば、その後話し合いによって次代委員長が決められるのだが、通子は自分の後継者を指名した。

「晴樹、後の事はあなたに任せたわ!!」

 晴樹は、二つ返事でこれを引き受けた。

 何しろ、晴樹は通子の事が大好きなのだ。人として、そして女性としても。

 そんな彼女からの使命を断る理由なんて、晴樹の中のどこを探しても見当たらなかったのだ。


 だからと言って、彼女が図書室に来なくなったかと言えばそんな事はちっとも無かった。


 晴樹が委員長を継いでからも、通子は毎日のように図書室に現れた。

 それは、晴樹にとっても歓迎すべきことだ。何しろ、晴樹と通子が同じ学校で過ごす時間はもう残り少ない。

 通子に告白したいと日々思い悩む晴樹少年だが、なかなか問屋が卸してくれない。

 嫌われているとは思っていない。だが、いつもさばさばとしていて掴みどころも無く、恋愛系の話にも興味がなさそうに振る舞うので、晴樹もつい躊躇ってしまうのだ。

 もしも断られたらと考えただけで泣けるし、今の関係が壊れてしまったらと想像しただけで動悸が止まらなくなるのだ。


 その日の通子が姿を見せたのは、晴樹が弁当を半ば食べ終えたころだった。

「おいすー」

 軽い挨拶とともに通子は事務室に入ってきた。 

「こんにちは、通子さん」

 彼女は名前で呼ばれることを好んだ。そして他人に対しても名前で呼ぶ事を好んだ。

 晴樹は名前呼びされた経験もした経験も無かったので、最初のうちは抵抗を試みた。しかし、全ては徒労に終わり、結局すっかり受け入れるしかなかった。慣れればどうって事は無い。

「あー、疲れた。午前中って疲れるわ」

 通子は身を投げ出すように適当な椅子に腰を下ろし、持っていた紙袋を開いた。中からは出てくるのは大きなサンドイッチ。バケットに横から切れ込みを入れて、トマトにレタス、ハム、チーズと色々詰め込んでいる。

「引退したのに、毎日来てくれますね」

「まあ、ずーっとここで食べて来たからね。昼休みの教室に私の居場所はないのよ。晴樹も来年になれば分かるわ」

 肩を一つ竦めてから、通子はサンドイッチに豪快にかぶりついた。

「コーヒー入れます?」

 晴樹が訪ねると、通子は大きく頷いた。


 珍しく、昼の利用者が来ない昼休みになった。

 そうなると暇なもので、通子と晴樹は思うまま雑談にふけっていた。

「受験勉強は大丈夫なんですか?」

「受かるところしか受けないもの」

 あっけらかんと笑う通子。受かると豪語できる大学があるだけでも凄い。

 熱いコーヒーをふうふうと冷まして啜っているにも拘らず、熱さで顔をしかめている姿からは感じられないが、通子はなかなかに成績優秀な学生である。

 本人はそんな事に全く興味が無いらしく、すぐさま話題を変えてくる。

「晴樹ってさぁ、ラブレターって貰ったことある?」

 突然尋ねられた内容にあまりにも脈絡が無かったので、晴樹は驚いて一瞬呆けた。それからすぐに我に返って首を左右に振った。それを見てにんまりと笑う通子。

「だろうねぇ」

「大きなお世話ですよ」

「まあまあ。で、仮に、仮によ? 君がラブレターを貰ったとしてさ」

「念を押す必要あります?」

 通子は何も答えず、更に話をつづけた。抗議が無駄なのは言うまでもない。

「中身が空だったらどうする?」

「捨てますよ。悪戯でしょう?」

「決めつけるね。例えばありふれた白い横長の封筒で、丁寧に糊付けしてあってハートのシールが貼られていて、差出人の名前は無く、封筒の表面の真ん中に印刷した文字で宛名だけが書かれてあっても?」

 通子は少し身を乗り出してきている。

「やけに具体的ですけど、何かあったんですか?」

「うん?」

「その言い方だと、まるで封筒を見たみたいですよ」

「あー……」

 通子の目が二、三度宙をうろつく。

「うん。クラスで……ちょっとした事件がね」

 珍しく歯切れの悪い通子。その態度に何かしらの含みを感じつつ、晴樹は先を促した。

「詳しく聞きましょうか」

「そうこなくちゃ」

 通子は、二度ほど偉そうに頷き、わざとらしい咳ばらいを一つ。それから、ようやく話し始めた。

「受け取った人間をA君とするわね」

「何で仮名?」

「どうせあなたの知らない人だから」

 確かに、上級生の知り合いなど通子ぐらいではある。

「A君は朝、教室の自分の席に着いた。それで机の中に教科書を入れようとしてそれを発見したの。ハートのシールを見た彼はピンと来た。これってラブレターだってね」

 差出人不明のラブレターなんて、随分と古式ゆかしい人だ。ロマンチストとでもいうべきか。晴樹はそんなことを考えながら話を聞いていた。

「で、彼は宛名を確認した後、早速それを開封して気付くわけ。中が空っぽだって」

「あの?」

「はい、晴樹探偵」

 突然、探偵役を振られた。それっぽくせねばと、今更足を組んでみたりする。

「A君は教室で一人きりだったんですか?」

「ん?」

「普通、ラブレターってこっそり開けませんか? 教室の中で開けたりしますかね?」

 その質問に対し、通子は眉を八の字にして唇を尖らせた。

「細かい奴ね」

 探偵ってのは細かいものだ。自分から役を振っておいて、その態度はいかがなものか。

「もちろん、教室で開けたりはしなかったわ。手紙をもってトイレに駆け込んだのよ」

 なるほど、と晴樹は頷く。学校でトイレの個室に駆け込む。これにはかなりのリスクが付きまとう。だが、それを度外視してでも中身を安全に確認できる場所は確保したいところだ。その気持ちは容易に理解できた。

「しかし、すると通子さんはどこで知ったのですか?」

「ん?」

「いや、ラブレターをA君が貰ったってどこで知ったのですか?」

「ホントに細かいわね。えーと……」

 通子の視線が宙を彷徨う。

「トイレから出てきたところでばったりと。様子がおかしかったものだからカマをかけたの」

「それは災難な……」

「災難っていうな。まあ、私の鋭い観察眼をごまかすことができず、彼は白状する羽目になったわけよ」

「ノックアウト強盗みたいですね」

「誰が金属バットで人の頭ぶん殴って金品を強奪するのよ」

 似たようなものだ、と晴樹は思ったがそれ以上何も言わなかった。

「さてと、ここからが本題よ」

「はあ」

「このラブレターは何だったのかって話」

「悪戯でしょう」

 晴樹の言葉に得意満面から急転、肩を落とす通子。だが、すぐに顔を上げて晴樹に詰め寄った。

「その根拠は?」

「第一に苦労して書いた中身を入れ忘れて封をしちゃった、なんてことはあり得ません。しかも、封筒はしっかり糊付けされていた。それだけ触ったなら分かるはずです」

「ふむふむ」

「そして、教室ってのは意外と人の目がある場所です。周囲はクラスメイトばかりだから、何かしら不自然な動きをすれば絶対バレますよね。悪戯の方が可能性高いと思います」

 晴樹としてはそれで充分満足のいく回答だったが、通子は尚も食い下がった。

「朝早くとか、放課後誰もいない隙にとか」

「放課後、うちの学校は全員退出確認後、担任が教室のカギ締めるでしょ?すると、最後までいた生徒ってのはおのずとバレますよ。朝も教室のカギを取りに来た奴が一番乗りですから、自然とそいつが怪しくなる」

「……そうかも」

「さっき聞いた話で行くと、中身無し、差出人無し、宛名もワープロ打ちですよね。ここまでして正体を隠そうとする奴が、些細なことでバレる危険を冒しますかね?」

「そう……かも」

「白封筒の中央に印字するなんて苦労、普通はしませんよ。徹底しているって事です」

「そ……うか……も……」

 ぐうの音も出ないのか、通子は唇を尖らせたまま黙り込んだ。 


 晴樹は壁の時計に目を向ける。昼休みも残り少ない。

 晴樹が話を締めくくろうとした次の瞬間、彼は言葉を失った。通子の瞳が微かに揺れている事に気付いてしまったのだ。

 泣いてる? まさか、あの通子が? 

 慌てる晴樹。

 通子は大きく一つ息を吐いて、さらに続けた。

「……じゃあさ、これが本物だとしたらさ、誰が出したんだと思う?」

 通子の目は真剣だ。ならば、晴樹も自らの知力を総結集して真剣に答えるべきだろう。

 先輩の為に。

 あるいは一人の女子の涙の為に。

 なぜ、封筒は空なのか。簡単な事だ。空であっても伝わるからだ。どうしてこんな回りくどい真似をするのか。それは伝えたい相手がただ一人だから。それ以外に対しては解らなくて良い。解られたくも無い。

 最後にハートのシールは目的を伝えるため。目的さえ伝われば、おのずと差出人もわかる。

「まあ、親しい間柄の人ですかね。薄々お互いの感情に気付いている様な」

 恋愛ドラマの最終話近辺で描かれるような感じの二人、と晴樹は例えた。

「甘酸っぱいってやつね」

 甘酸っぱい。良い言葉だ。

「でも、それでもせめて、宛名は手書きであって欲しいですね」

「そうかな?」

「見た時のインパクトが違いますよ。そういう間柄なら、お互いの字ぐらい知っているでしょうし」

「なるほど。晴樹は良いこと言うね」

 通子はそう言って嬉しそうに笑顔を見せた。

 それを見た晴樹は、安堵のため息混じりに尋ねた。

「クラスであった話とか嘘なんでしょう?」

「分かる?」

「分かりますよ。こんな回りくどい真似、現実では誰もしないでしょ」

 嘘を暴かれた通子は、悪戯っぽい笑みを浮かべ、軽く肩をすくめて見せた。

「一体、何なんです?」

 晴樹の問いかけに、しばし黙り込む通子。何か考えているようにも見えるし、晴樹の様子を見て楽しんでいるようでもある。

「通子さん?」

「うん。……えーと、小説……を書いているの」

 通子が小説を書くとは知らなかったが、そういう事なら出鱈目な話でも理解はできる。

 先ほど泣きそうになっていたのは、渾身のネタを叩き潰してしまったからか。

 あるいは、既にプロットまで立てていたのか。

 ひょっとして、投稿サイトで一部公開し始めていた?

「それならそうと言ってくれれば」

 もう少し柔らかい表現だってできたのに。

「初めて書くもんだからさ。何というか……恥ずかしくて」

 頬を染め、俯き加減で照れ笑う通子。

 晴樹の胸に、その照れ笑い顔は勢いよく刺さった。


 通子が恥じらっている。なんだこれ。なんで今日に限ってこんなにドキドキさせられるんだ。

 何が起こっているんだ。

 これは夢か。

 いや、夢じゃない。夢であってなるものか。

 鼓動が早い。頬も熱い。

 何か喋らないと。

 だが、焦れば焦るほど晴樹の頭は回転を鈍らせていった。

「よ……読ませてくださいね、その小説」

「え、あ、どうだろ……」

「だってほら、こんなに協力したんですから」

「あ……そう……だね」

「これはもう、二人の合作ですよ」

「合作……」

「初めての共同作業ですね!!」

「は……初めての? きょ……?」

 通子が戸惑っている。その仕草がまた、晴樹の心に燃料をくべてくれる。

 彼の心は、今やすっかり暴走状態に入っていた。

「初めてです。もちろん俺だって!!」

「え……と……なんか、怖いんだけど……」

 彼女がここで言うのは、もちろん春樹の意味不明な熱量に対してである。だがしかし、暴走状態に入っている春樹にはそんな判断力皆無なのであった。

「大丈夫です!! 誰だって最初は初めてなんですから!! 俺に至っては、男なのに処女作ですよ」

 その挙句に飛び出したセリフは、場を凍り付かせるに充分な冷気を帯びていた。

 通子の顔から笑みが消える。

 恥じらいも戸惑いも消え、それと同時に意味も無く燃え上がっていた晴樹の心も、すぅっと火を落とした。

「あれ?」

 晴樹の頭の中に、先ほどまでの暴走っぷりが何度もリフレインされる。そして、外からは刺すような通子の視線。晴樹は自分の心にひびが入る音を確かに聞いた。

「晴樹……」

「はい……」

「あなたにはガッカリしたわ……」

 彼女はきっぱりとそう言い、大きなため息だけを残して、そのまま図書室を出て行った。

 

 ドアの締まる音と共に、彼の中には猛烈な後悔の波が押し寄せてきた。波なんて優しい物じゃない。怒涛だ。 

 バカバカ俺のバカ。死んじゃえ。

 月下美人の如く美しく、そして稀な通子の照れ笑い、恥じらい、困惑。それを自らの一言で台無しにした。

 台無しどころじゃない。粉砕し、擦り潰し、水で溶いて、ホットプレートで焼いて、食べて、消化して、排泄してしまった。

 怒りのぶつけ所が無さ過ぎて、自らを脳内で罵った。それだけでは飽き足らず、机に自らの頭を叩きつけた。死なない程度に、だが出来るだけ痛くした。

 なぜならば、自殺をする勇気は無いけれど、自分を目いっぱい罰しておきたかったからだ。

 ガンガンと無機質な音が図書室にまで響く。

 いつの間にか来ていた利用者の一人、可哀想な女子生徒は本を返却したかっただけなのだ。

 だが、半開きになった事務室のドアの向こうから聞こえてくる異音に、様子を見ずにはいられなかった。

 そして彼女は見てしまう。

 机に頭を叩きつける図書委員の姿を。

 彼女の見ている前で、ぴたりと動きを止めた晴樹は、顔だけを彼女の方に向けた。

「何か?」

 その口調はあまりに冷静だった。

 それが、彼女の恐怖心をさらに煽る結果となる。

「あ、あの……返却を……」

 半泣きになった彼女が、蚊の鳴くような震え声で言う。

「ああ、はいはい。返却ね」

 額を真っ赤にして、髪もぐしゃぐしゃのままにも拘らず、晴樹は実に冷静な口調でそう言った。事務室を出て、カウンター越しに彼女から本を受け取る。

 貸出カードと本をチェックしながら、ふと晴樹はその女子に顔を向けて言った。

「ねえ、殺してくんない?」

「い……嫌です」

 泣きながらぶんぶんと首を左右に振る女子は、貸出カードを受け取ると脱兎のごとく走り去った。


 この日、二代続けて顧問にこてんこてんに怒られた図書委員長として、晴樹は図書委員会の歴史に名を残したのであった。


 それから数日、通子は図書室に姿を見せず、何の音沙汰も無かった。

 晴樹は完全に目の濁った半死人としてその数日を過ごした。その変わり様は顧問の教師はおろか、クラスメイトや他の委員まで慌てだす始末で、中には昼休みのカウンター番を変わろうかと言ってくる者もいたほど。

「いや、俺がいないと……」

 晴樹はそう返事して、弱々しく笑うのだった。


 そして間もなく十日が過ぎようとした日のこと。


 移動教室が終わって戻ってきた晴樹は、机の中に手を突っ込んだ姿勢で動きを止めた。

 指先に当たったそれを、ゆっくりと引っ張り出してみる。

 死んでいた晴樹の目には、たちまち光が戻った。

「ぬぁっ……!?」

 慌ててそれを胸ポケットに押し込め、勢いよく立ち上がる。

 数日間、半死人のように緩慢な動きしか見せていなかった晴樹が、突然奇声を上げ、機敏な動きを見せたものだからクラス中の視線が一気に集まった。

 そんなクラスメイト達に愛想笑いを返し、高鳴る鼓動を押さえんと深呼吸を繰り返す。

 何気ない風を装いつつ、椅子やら机やらに躓きまくりながら速足で教室を出た。

 その姿を見送ったクラスメイト達は、いよいよ壊れたのではないかと騒めいた。

 そんな事とは露知らず、速足のままでトイレに入った彼は、目撃者にもかまわず個室へと飛び込んだ。

 胸ポケットからそれを取り出し、まじまじと眺めながら、小さく晴樹は呟いた。

「何が小説書いてるの、だよ」

 すっかり騙されていた。

 だが、心の中の晴樹は小躍りして喜んでいる。

 ありふれた白い横長の封筒。

 手触りで分かる空っぽの中身。

 しっかり糊付けされた封の真ん中には赤いハートのシール。

 差出人は不明。

 表替えしてみれば、封筒の真ん中に「高槻晴樹様」と手書きの宛名。

 その文字は、力強さを感じさせる独特の金釘文字で書かれていた。





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