誰
鬼神社
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時刻は、深夜2時ごろだった。都内のマンションの一室で殺人事件が起きた。被害者は、その部屋に住んでいた高槻 守・佐智子夫婦の二人。刃物で心臓を一突きされ、即死だった。容疑者はその後逃亡、その手際の良さとマンションのセキリュティの不備が多かったことから、警察も容疑者を絞れず、努力むなしく未だに捜査に進展はないそうだ。実は、この事件の被害者夫婦には二人の子供がいた。しかし、二人とも殺されるどころかケガ一つなく済んだのである。
事件から10年、兄である私、大輔は今年で22歳になる。就職も決まり、大学の卒業をあと1か月後に控えている。妹の優子は18歳、高校を今年で卒業し、自分より数ランク上の大学へ進学することが決まっている。兄妹二人揃って大学まで進学できたことは、紛れもなく養父母の加藤 茂之・由紀子のおかげだった。まだ二人とも小学生の時に両親を失い、身寄りがなくなったところを、母の妹であった由紀子夫婦が二つ返事で引き取り、現在まで何不自由ない生活を送らせてくれた。
加藤家は決して裕福とまではいかないが、とても仲の良い家族だった。養父・茂之は曲がったことが嫌いだが気はそこまで強くないため、家族の誰かに自分の考えを批判されると、いじけてしまうかわいい一面があった。養母・由紀子は優しく時に厳しい理想の母親だった。養父の話の途中に茶々を入れて小さな口論になったりすることはあったが、結局はみんなが笑って終わるというのが加藤家の一種のルーティンだった。
そんな仲睦まじい家庭に育った私だが、就職を機に一人暮らしを始めることを決めた。実は、就職先は養母の知り合いのコネを若干使った節がある。学のない自分を少し無理やりにでも入れてもらったため、勤務地はもちろん決めることはできなそうで、場所が決まり次第それに応じて会社の周辺に住もうという話になった。私が家を出る可能性が高いと知ると、養父母は寂しそうな顔をしていた。私が勧めた会社だからかしら、と養母は少し自分を責めていた。妹も、口では清々すると言っていたものの、目に涙を浮かべていた。もちろん、自分もこんな良い家族から離れたくはなかった。しかし、時間は残酷で、あと1,2か月で恐らく私はこの家を去らなければならない。
そんなある日、突然我が家に悲しい報せが入った。養母、そして実母の兄でもある孝義が自殺したということだった。自分も小さいころよく孝義おじさんと呼んで遊んでもらっていた仲のいい肉親の一人だった。ただ、両親が亡くなる少し前あたりから会うことはあまり無く、両親の葬儀の時も顔を合わせた覚えがないため、なんだか実感が湧かなかった。報せを聞いた養母は涙を流しながら床に座り込んでしまい、それを妹は抱きしめることしかできず、その時会社にいた養父に電話で伝えると、そうか、と小さな声を絞り出しただけだった。
孝義おじさんの葬儀は身内のみで執り行われた。後から聞いた話だと、おじさんは仕事を辞め、10年連れ添った奥さんと離婚し、しばらく一人で引きこもりのような生活を送っていたらしい。小さい頃のおじさんのイメージとは全くかけ離れた話だった。いつもお酒を飲んでいて、豪快な人という印象が強かったからかもしれない。私にはおじさんの死が、時間は人を変えてしまうものだということを強く思い知らされる機会になった。
葬儀が終わった後、一服しようと思い外に出ると黒いロングコートを着た、長身痩せ型の男性が私を待っていたかのように喫煙所に立っていた。無視しようかと思ったが、明らかにこちらをじっと見てくるので声をかけざるを得なかった。
「あの、何か私に御用でも」
「失礼、私警察庁から参りました、このような者です。高槻…いや、加藤 大輔さんでお間違いありませんか」
彼は、よくドラマで見るようなあの警察手帳を目の前に出してきた。どうやら彼の名前は櫻木というらしい。警部補、という役職がどれほどのものなのかはいまいちわからない。そんなことは置いておいても、なぜ私のところに警察が来るのか、全く見当がつかない。…が、一つひっかかる点があった。
「そうですが。…なぜ私の旧姓を出したんですか」
「これもまた失礼、お気に障ったならば謝ります。お話したいことがあるので宜しければ場所を変えませんか。…10年前に亡くなられた実の親御さんについてのお話です」
櫻木の目の色が変わった。どうやら、ここは断るべきところではないことはわかった。私は彼の車に乗り、近くの喫茶店へ向かった。家族へは先に帰ったとはぐらかしておいた。
櫻木は頼んだアイスティーが来る前に、話を始めた。両親が殺害されてから10年が経ち、捜査もほぼ打ち止めのような状態だったところに、突然ある一つの情報が舞い込んできたという。
「何を隠そう、今回の宮崎 孝義の自殺です。自殺ということもあって警察もこの件に関して動いたわけですが、捜査を進めるうちに10年前の事件を連想させるような事実が見つかりました」
「…というと」
「まずは彼の自宅から錆びたナイフが見つかりました。しかも庭に埋められていたんですよ。刃渡りと形状を調べたところ、偶然かもしれませんが…」
「両親殺害に使われた凶器と同じだった、わけですか」
櫻木は小さくうなずく。他にも細かく破られた母・佐智子宛と思われる手紙や両親の血が付着したままのレインコートなど、あの事件に関連するものが多数見つかったという。証拠品の一覧、そして孝義の自殺と両親殺害事件との関連性を説明した後、櫻木はこう締めた。
「当局としては、宮崎 孝義があなたのご両親を殺害した容疑者であるという方向性を固めつつあります。なので、残された家族であるあなたに、先に真実をお伝えしに来ました。妹さんへ伝えるかはあなたが選択してください。しかし、容疑者はもうこの世にはいません。…容疑者からあなたのお母さんである妹の佐智子さんへの手紙は一部復元できたのですが、そこには幾つもの『すまない』や『ゆるしてくれ』という文字がありました。…これ以上の証拠品等の詳細は、お望みであればお教え致します。その時は私に連絡してください」
櫻木は自分の電話番号の書かれた紙を差し出し、きっちり二人分の代金をテーブルにおいて外へと出た。
私は拳を握りしめていた。歯を食いしばり、涙を必死にこらえていた。養父母のおかげですっかり忘れきっていたこの事件を掘り返された挙句、犯人は肉親で、しかももう死んだなんて、この世に神様はいないのか。なんてむごい仕打ちをするのだろうか。これを私に伝えた櫻木にさえ腹が立った。しかし、どうしようもない。櫻木に怒りをぶつけたところで、犯人である孝義おじさんの骨を墓から掘り起こしたって、意味がない。腹立たしさよりも、悔しさよりも、哀しさよりも、何よりも虚しさだけが心を覆った。
真実を知ってから1か月が過ぎた。ついに私は一人暮らしを始めることになった。勤務地は遠く離れた福岡で、海外出張もあるらしく、当分は家に帰れないことを伝えたときは、流石の妹も泣き出して、抱き着いてきた。
現在、櫻木からの話は家族全員が知っている。最初に聞いた時こそ皆戸惑ったものの、今ではそんなことはおそらく気に留めていないだろう。私も妹も新たな生活が始まる。それにむけて養父母も暗いことは考えないようにしようと明るく振舞ってくれていた。私はやはりこの家族を愛している。実の両親も、今の両親にも恵まれた私は本当に幸せ者なんだなと実感した。
福岡へ発つ当日、養母の運転で私は空港へ送ってもらうことになった。見送りに行きたがっていた養父と妹はそれぞれ仕事と学校がある。私はそれを優先するように言った。またすぐ帰るから、と言い残して。
車に乗って2時間くらいだろうか、そろそろ空港が見えてきたころに車は脇道に逸れ、一時停止した。不思議に思い養母に声をかけようとする前に、いつもとは違う低い冷たい声色が運転席から聞こえてきた。
「もう旅立つあなたに伝えなければいけないことがあるの、聞いてくれるかしら?」
その声色に異変を感じ、シートベルトを外して外に出ようとするも、外れない。何か小細工がしてある。先ほど居眠りしていた時にされたのだろうか、何度乱暴に動かしても取れない。後部座席で暴れる私を尻目に、養母は話を続けた。
「少し昔の話、私には今の夫の前に好きな人がいてね…お付き合いもしてたのよ。でも、その人私を捨てて違う女と結婚して、子供まで作ったの、私の知らないうちにね。わかるでしょ?その女があなたのお母さん、子供があなたよ。
私、諦めきれなくてあなたのお父さんを誘惑したわ、いけないことだとわかってはいたけど…。そしたら、私たちの間に子供ができちゃったのよ、それが誰だかも、わかるわね?」
「優子…なのか」
信じられない話の連続に愕然としながらも、冷静に事実を整理すると、言っていることが本当ならば今までの10年間はすべて虚構だったことがすぐにでも分かった。
「そう、かわいいかわいい私の子よ。でもね、あの男とあの女は優子を自分たちの子供にしようとしたのよ、私には何も言わずにね。許せなかったわ、だから殺したのよ、二人とも。優子を手に入れるためにね」
振り返った養母の目に光は無かった。淀んで瞳の奥は真っ黒だった。
「孝義にはいろいろと協力してもらったわ…凶器の類の保管とかね。まあ、あの人が私に借金をしていたのが悪いんだけどね、ふふっ」
乾いた笑いを見せると、再び養母はエンジンをかけ、車を走らせた。車は間もなく黒いバンの近くに止まった。バンの周辺には数人の男がこちらを睨みつけて待機している。
「あなたには佐智子と一緒に死んでもらおうと思ってたけど…そんなことしたら優子が悲しむじゃない?やっぱり、小さいころに兄妹がいるのは大切なことよね。…でも、もう大丈夫。あなたは立派な社会人として独り立ちするんだもの、帰ってこなくてもそこまで不審には思わないわ。大丈夫よ、数年後には交通事故か自殺にしておくから。海外のほうがいいかしら?」
体全体にとてつもない量の脂汗が流れているのを感じる。脳が逃げろと指示を出しているのに、体は全く動かない。まるで、金縛りにあったかのように。
「あなたは覚えてないかもしれないけど、事件の夜に寝ぼけたあなたに話しかけられたのよ。『誰?』ってね。その時は急いでたから無視しちゃってごめんなさいね。
私よ、あなたのもう一人のおかあさん」
誰 鬼神社 @onijinjya
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