オレと彼女とサンタの幸せ
あいはらまひろ
オレと彼女とサンタの幸せ
「サンタクロースって、いつまで信じてた?」
イブの夜だというのに、街はみぞれまじりの冷たい雨。
仕事帰りに待ち合わせ。オレは彼女のウィンドウショッピングにつきあっている。
「そうだなぁ。小学生の……低学年くらいまで、かな」
外の寒さを忘れるほど暖められたショッピングセンターは、賑やかな子ども連れでにぎわっていた。
オレは、おもちゃ屋の店頭に積まれたサンタ人形の陽気な腰フリダンスを見ながら、10年以上も昔のことを思い出す。
あの頃のオレは無邪気だった。なにしろサンタクロースどころか、戦隊もののヒーローでさえ信じていたのだから。
「私が小学生の頃に、児童館主催のクリスマス会があってね。そこにプレゼント持ったサンタクロースが来たの」
「サンタクロースの格好をした男が、だろ?」
「まぁ、そうなんだけど。でも、白い袋を背負った体の大きなおじいさんでね、真っ白い本物のあご髭まで生やしていたのよ。そりゃあもう、絵に描いたようなサンタクロースだったわけ」
「そのあご髭、ひっぱってみたか?」
「もちろんよ。それで本物のひげだったから、思いっきり信じちゃったってわけ」
当然のように言って、彼女はなぜか自分のあごを撫でて笑った。
「まぁ、子どもなら信じるかもな」
「でしょ? ああ、やっぱりいたんだぁって思ったの。だから学校では、ずっとサンタクロースがいる派を貫いてきて……」
そして彼女は、子どものようにキラキラと瞳を輝かせ、こう続けた。
「実は今でも、サンタクロースはいるって信じてる」
「おいおい。マジかよ」
「マジよ」
「えっと、どこだっけ? 公認のサンタクロースとか、いるらしいな」
「そういう意味じゃなくて」
「なら、どういう意味だよ」
「そうね。例えば……、私はあなたの事が好きです、みたいな?」
しばらく考えてから、彼女は不意にそんなことを言った。
「なんだよ急に。っていうか、わけわかんねーよ」
つきあいはじめて4年も経つというのに、正面からそう言われると動揺する。
「さあ、今の言葉、信じる? 信じない?」
クイズのような口ぶりだが、その瞳は真剣そのものだ。
「そりゃあ、信じるよ。当たり前だろ」
「そう、信じるしかないんだよ。本当のことは私にしかわからないんだから」
その通りだけど、そんなことを言われると不安な気分にもなってくる。
「……まぁ、疑われちゃっても、困るんだけどね」
照れくさそうに笑って、彼女は続けた。
「ほら、気持ちって目には見えないでしょ? サンタクロースも、それと同じなのかなって」
「サンタクロースは目に見えないってことか?」
「違う違う。そうね、信じていた方が楽しいってこと、かな」
「超能力でもUFOでも、あると思ってた方が面白いじゃない。きっちり理屈通りの、不思議なことなんてない世界なんて、つまらなくて嫌」
オレとしては、不思議なことなんて起きてほしいとは思わないし、理屈通りじゃない世界なんて、むしろ怖いと思うのだが。
だが、あえて反論はしなかった。
これは好みの問題で、から揚げにレモンと同じだ。
それに、彼女は時々こんなふうに妙な事を言いだすところがあって、最初の頃はずいぶんとまどったが、今ではむしろ、それを楽しんでいる。
それこそ、こんなことを言いださない彼女なんて、つまらない。
ウィンドウショッピングにも飽きて、1階の広場まで戻ってくる。
吹き抜けになった広場には、3メートル以上はありそうなクリスマスツリーが飾られ、カラフルにライトアップされていた。
「ねえ、お願い事しようか?」
しばらくツリーを見上げていた彼女は、真剣な面持ちでそう言った。
「それは初詣だろ」
「いいの。なんとなく、そういう気分」
言い出したら聞かない、強情な性格だ。こんな時は好きなだけやらせておくのが最適解。それに後々、文句も言われないでいい。
「で、何をお願いするんだ? 人類が平和でありますようにってか?」
「そう。みんなが幸せになれますようにって」
「そりゃまた、ずいぶんと大きな願いごとだな」
「だって、ニュースの向こうで何か起きてたって、私は自分の人生で精一杯。でも、こんな夜くらいは、みんなの事を祈ってもいいかなって」
「それで気が済むなら。好きなだけやってくれ」
「ダメ。一緒にお願いするの」
「はいはい。で、誰にお願いすりゃいいんだ? 神様か?」
「サンタクロースよ」
彼女の思考回路が見られるのなら、ぜひとも見てみたい。
どうやってそんな結論が導き出されたのか、大いに興味がある。
「サンタクロースじゃ、ちょっと力不足じゃないか?」
「そんなのわからないじゃない。魔法だって、信じなければ効かないのよ?」
そいつは、この間見た映画のセリフだ。だがオレは賢明にも、その言葉をぐっと呑みこむことに成功した。
「ようするに、信じろってわけか」
「そういうこと」
「なんつーか」
「なに?」
「いいや。なんて言っていいかわからん」
彼女がそうと信じるなら、オレがとやかく言うことじゃない。オレは嬉しそうな彼女と一緒にいられるなら、それでいいのだ。
「はい、一緒に立って! 目をつむって」
彼女はオレの手をとり、ツリーの前まで連れて行く。
「わかったよ」
毒くらわば皿まで。
黙ってつきあうことにする。
それから、オレは彼女と手をつないだままツリーの前に立った。
オレは律儀にも目を閉じて、人類の幸せがなんとやらと頭の中でつぶやいた。
※
ショッピングセンターを出ると、みぞれまじりの雨は止んでいた。
こんな寒い夜は、つないだ手のぬくもりが心地いい。まるでつきあいはじめた頃のような、そんな気持ちにもなる。
「ねえ」
駅の方へと向かおうとしたオレの手を、彼女がぐっと引っ張った。
「なに?」
「……私のこと、ちゃんと好きでいてね」
瞳の中に街灯の光を映して、彼女は白い息の向こうでそう言った。
そんなの当たり前だろう、そう言おうとしてやめた。
この4年の間に、当たり前なことなんて何ひとつないってことを、オレたちは嫌というほど知ったのだから。それなのに、またしてもオレは、それを当たり前にしようとしていた。
「もちろん。好きだよ」
初めて告白するような気持ちで、オレはその真剣な表情に応える。
いくら言っても、ほとんど何も伝わらない。
でも言わなければ、もっと伝わらない。
何も言わずに信じられるほど、オレたちは強くない。
「本当だって、信じさせてほしいな」
「どうやって?」
「そんなの、自分で考えてよ」
視線をそらして、彼女は不満げに口をとがらせる。
オレは少し考えるフリをしてから、彼女のコートの肩に手を置いた。
そして。
「……信じたか?」
「ん」
わずかな沈黙の後で、彼女はオレの胸もとに顔をうずめ、小さくうなずいた。
※
「腹が減ったな」
駅前に漂う屋台のおでんに鼻をくすぐられ、空腹に気づく。
「どうする?」
「こんな寒い夜は、ラーメン屋だな」
「本気? クリスマス・イブに?」
「このへんの店、どこもいっぱいだろ」
「そうかもね」
時計を見ると夜の6時を少し過ぎている。
クリスマスではなくても、このあたりの飲食店はいつも混雑する時間帯だ。
「並ぶのとか嫌だろ?」
「嫌。お店、予約しとけばよかったね」
「だな。あ、でもこのあとなら予約してある」
「え? どこ?」
「オレの部屋……って痛てっ!」
彼女のバックが、オレの尻を打つ。
「なんだよ、オレのこと信じてんだろ?」
「それとこれとは別」
「それとこれって、なんのこと?」
「ばーか」
くるっと背を向ける彼女。
さて、この反応はどちらだろうか。
ロマンチックなムードはすっかりどこかへ消え、妄想ばかりが膨らんでいく。しょうがないではないか。男ってのはそういう風にできてるのだ。
「ウソウソ、冗談。この間、うまいラーメン屋見つけたんだよ。おまえの好きなトンコツしょうゆの店。行ってみない?」
「ほんと?」
「ほんとほんと。マジ超うまいって」
「よし。じゃあ、そこ行こっ!」
途端に機嫌を治す。
長いつきあいだけに、これくらいの操縦ならオレでもできる。もっとも、彼女に言わせれば、操縦されてあげてるわけで、実際はオレが操縦されているのだろう。
「とんこつしょうゆ、とんこつしょうゆ!」
ふざけて、オレの腕にぶら下がってくる。その姿を見て、つくづく自覚してしまった。オレは、もう彼女のことが好きで好きでしょうがないのだ。
誰だって、連絡がつかない夜なんかには疑心暗鬼になったりもする。
オレも彼女も、それは同じだろう。
気持ちは伝えなくちゃ、はじまらない。
伝えても、信じてくれなきゃ意味がない。
きっと信じてくれるって、信じるしかないのだ。
気持ちは、放っておけば毎日の時間の中に埋もれ沈んでいく。
必要になってから、あわてて掘りにいっても間に合わないかもしれない。
だから今夜、オレはサンタに感謝するべきだろう。
埋もれかけていた気持ちを掘り起こす、そのキッカケをくれたのだから。
サンタクロースの存在だって信じてやろう。
それで、彼女が見ている世界を、少しでも感じられるのなら。
「なあ、さっきのみんなが幸せになれますようにってさ」
「うん」
「みんなの中に、オレたちも含まれてるんだよな?」
「もちろん」
それなら、サンタにも幸せになってほしいものだ。
自然とつないだ手のぬくもりに幸せを感じながら、オレはサンタの幸せを祈った。
オレと彼女とサンタの幸せ あいはらまひろ @mahiro_aihara
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