紀州を望む
星 霄華
紀州を望む
――――やっぱ、四角いのばっかやろうなあ。
交差点を自転車で左折すると、雲ひとつない空を背景にした景色が目に飛び込んでくる。生い茂る木々の上で冠のように座する城に、私は心中でため息をついた。
虎伏山から町を見下ろす和歌山城。二度も将軍を輩出し、明治時代の廃藩置県によって城主が廃されて以降は公園として庶民に親しまれる、桜と紅葉の名所である。
その歴史は紀州平定後の1585年、豊臣秀吉が築城の名手として知られる藤堂高虎に、名を同じ字を負う
しかしこの城は、1945年7月9日深夜から10日未明にかけての和歌山大空襲で、多くの棟が焼失した。空からの爆撃に逃げ惑う人々は、天守閣が燃え上がるのを視界の隅に捉えたのだという。今は遊覧舟が浮かび、鯉が泳ぐ堀には、焼夷弾によって火だるまになった人々が熱さのあまり飛び込み、翌日は多くの焼死体が浮いたのだとも。伝え聞く歴史は、過去よりも数十年前のほうがはるかに惨い。
市民と企業の寄付によって1958年、本丸は再建されはした。しかし、秩序を守るために建てられた城が戦火に燃えた事実は消えない。栄光の歴史を負った建築物は、土塀や岡口門、場所によって三種の積み方がされている石垣、国宝である赤く塗られた追廻門のみ。歴史の重みを感じるには、あまりにもささやかだ。
それでも、城内を歩けば城主や奥方たちに思いを馳せることができる。まずは、天守閣へ続く坂。数少なかったという山上へ登る機会に、城主や旗本が苦労しただろうことを追体験することができる。再建された天守閣へ入ればなおのことだ。現代人より体力があった当時の人々でも、やっとここまで来た、あともう少し、と息をついたに違いない。城内に茂る木々の枝から姿を現す栗鼠の姿や、聞こえてくる小鳥や鳶の鳴き声に心癒されていたかもしれない。
二の丸広場では御殿の広さを、大奥跡へ続く再現された御橋廊下はここを歩く城主の足裏の痛みを感じることができる。
歴史の証言者は、彼らだけではない。鎮座と形容するに相応しい威容で石垣の上から人々を見下ろす大楠は樹齢四百五十年だから、城の歴史をすべからく見てきている。天守閣の内部には城にまつわる品々が展示されていたし、聞くところによれば近年、城内の一隅に歴史館が建てられたとか。品々のみならず、映像によっても城について語るのだという。これもまた、見てみたいものだ。
城が背負う歴史は、欠けてなお継がれている。残ったものを宝とし、保存し、活用し、次代へ繋いでいく努力はなされている。
――――けどなあ。
天守閣から見えていたはずなのだ。西には海がもっと広く、東には
でも、そんな景色はすべてが一晩で灰燼に帰し、城下町は姿を変えた。四角い建物ばかりが建ち並び、天守閣から見えていた景色を隠すものになった。武家屋敷に軒を連ねた三の丸跡に、陸奥宗光の生家跡の碑を見つけても在りし日の姿を想像するのは難しい。七月半ば過ぎに刺田比古神社へ向かう、歴代の城主たちが聞いたに違いない神輿の賑わいも、今や小さなもの。町はこれからも変わっていくだろう。それが、この町が選んだ生き方なのだから。
――――だから。
かしましい砂利を歩いて咲き誇る桜の木の下に自転車を停め、門へ向かう。門をくぐれば、そこは別世界だ。ずらりと並ぶ出店、そして桜の木が植えられているところすべてに集う花見客が、様々な匂いと音と大量のごみを生みだす祭りの世。焼きたてカステラはふわふわで美味しいし、陽気な異国のお兄さんが作るトルコアイスは甘ったるくて伸びる伸びる。大正時代から続く動物園では、名物のツキノワグマ・ペニーおばあちゃんの登場を待つ子供たちが檻の前に並ぶ。大道芸はいつ始まるのかわからない。祭りの世は、どこもかしこもが騒々しい。
そんな賑々しさから抜け出して、何度も折れる木漏れ日が射す坂を上る。その先の天守閣前もやはり騒がしく、足早に階段を上って天守閣へ入る。そんな私を迎えてくれるのは、これまで歩いてきた道のりと同じく満開の桜だ。
――――今日はちゃんと想像できるんやろうか。
失われたた景色はよみがえらない。だから私は知識を蓄え、天守閣から町を見下ろし、彼方を望む。歴代の城主たちが一度は目にしただろう、山と海に三方を囲まれた中、城下町の街並みや田畑が広がる我が町の幻想を追うために。
その幻想に重なる何かが見えますように。そう願い、私は天守閣へ入った。
紀州を望む 星 霄華 @seisyouka
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