小さな恋

浅野 紅茶

短編


俺は果たしてこの世に存在する価値などあるのだろか?

高校に入ってそう思うことが増えた。精神的に病んでるわけでも、辛いことがあるわけでもない。ただ、朝起きて、飯を食って、学校に行って帰って、寝ての繰り返しの人生に価値を見出せなくなったのだ。高校生だから仕方ないといわれるが、社会人になったからといって、別段現状がかわる事もないだろう。

誰の役にも立たない。そんな自分が嫌で許せない。たいして、自分を特別に思ってるわけでも、ましてや自惚れているのでもない。それでも、思ってしまうのだ。存在価値というものを。誰かの役に立てばいいというものでもないのだろう。だがしかし、自分だけでは存在価値が見つけられない。人に頼るしかない。それが例え、人助けであっても、それはギブアンドテイクとして納まるだろう。


高校2年の秋。田舎の高校に通ってる俺は、進路も未だに決まっておらずただ日々をのほほんと暮らしていた。学校での成績は上位の方だが、何せ田舎の高校故に上位であろうが、井の中の蛙ってもんだろう。全国模試でも受ければ、国公立の大学をB判定も貰えない程度だ。運動も得意な方だが、それだって人よりちょっと出来る程度だ。中途半端の極みだと我ながら思う。そんなだから、存在価値が見つけられないのだろう。この時期になれば、誰もが少なからず将来を見据えている。それがない全くー。見つからない、見つけれない、見つけない。似ているようで、全く違うこの三語はフワフワしてる俺にピッタリだった。


誰かの為に何かしたいー。


そんな思いはいつの間にか馳せて、儚い記憶へとなりつつあった。そんな時、俺はとある少女に出会った。彼女はまだ小学生で6年生だった。俺とは5つ違う。小さな少女。

初めて彼女と出会ったのは、学校帰りにフラッと立ち寄った公園でだった。落葉もいよいよ大詰めを迎え、裸の木も多くなった頃。俺は落ち葉で作られた、カラフルな地面に寝転がった。家に帰ってもすることがない。かといって、他に用事があるわけでもない。そんな時の穴場だった。することといえば昼寝だが、これが案外気持ちいいのだ。そして、いつものように目を閉じかけた時だった。ドスッという鈍い音が耳に届いた。どこからだ?俺は少しばかり右目だけを開けた。隣には20段くらいの石段が見える。そこの一番上で俺赤いランドセルの少女が尻餅をつくのを見た。転んだのだろうか?そう思い、目を細める。よくみると、頬と腕のあたりに傷がついていた。そして、少女の目からは涙が伝っている。俺が状況を把握するべく、立ち上がると、石段の上にいた少女の前には木の棒や石を持った複数人の男女がいた。もちろん、みな小学生だろう。でも、一目でいじめだとわかった。

「やめろ!てめーら女の子一人囲んでなにやってんだ!!」

俺は気付くと石段を駆け上がり、いじめっ子を怒鳴っていた。その威圧に驚き、子どもたちは一斉にその場を去った。去った姿を見送ると、俺は少女に手を差し伸べた。

「大丈夫か?」

「....うん」

少女は涙を拭きながら、俺の手を小さな手で握った。

「いつもやられてんのか、あんな事?」

少女は小さく頷く。

「先生や親には言ったのか」

次は、首を横に振った。俺は思わず溜息をついた。少女の気持ちはよくわかる。無責任な大人たちは、何故自分たちに相談しなかったというが、それはあんまりな発言、失言である。子供は子供なりに大人に気を使っているのだ。要らぬ心配をさせまいとするべく。まったく...。

「やる気の出ない世界だ」

きっといじめも、親の圧力も、その他のことも、なくなることなんてないのだろう。なら、解決方法を探すしかない...。

「お兄さん、強いね!」

考えを止めた俺は、声のする少女の方を向いた。涙を拭い去った少女は目を輝かせて、俺を見ていた。

「そんな事ねーよ」

「ううん。誰も助けてくれなかった。でも、お兄さんは助けてくれた。何にもいわなくても、助けてくれた」

「だから、そんなんじゃ...」

「これからも私を助けてくれますか?」

俺はその問いにノーとは言えなかった。無力を知りながら、否定できなかった。愚かさを隠しながら、拒否しなかった。醜さを持ちながら、愛想笑いをした。

そんな自分が苦しくて、嫌で、死にたくもなった。

それでも、期待する少女は裏切れなかった。小学生にしながら、輝かしい目つき。自分にはないものだと直感した。やっと見つけたのだと理解した。


俺に少女は存在価値を示してくれた。


それからというもの、俺らは親しくなった。傍から見れば、小学生を連れまわす高校生なんて怪しいが、少女は嫌がる素振りを見せず、俺に守られた。いずれ彼女も中学生になり、俺も高校3年生になった。中学になってからは少女も人気者になったらしい。それでも俺との時間は確保していてくれた。一方、俺は3年になっても進路は決まっていなかった。それでも、少女だけは守る。それだけは誓っていた。存在価値だったから。生きる理由だったから。更に一年が経ち、俺は大学に行かず地元の警察官になった。受験勉強もロクにしていないため、その時間を彼女との時間に当てた。別に付き合っているわけでもないのに、彼女は俺を慕い、俺は彼女を守った。そして、警察官になった俺は、一層彼女を守れるようになった。楽しみはといえば、やはり彼女と過ごす時間。彼女が高校生になってからは、時折、お弁当なども作ってくれた。土日になれば、免許を取ったバイクでニケツし、ドライブを楽しんだ。


だが、次第に変な感覚が俺を捉えた。彼女を見る度、彼女が笑う度、彼女に出会う度。それが恋である事に気づかずに...。


彼女が高校生の2年の秋になった時。彼女は俺に言った。

「私、この町を出て東京の大学へ行きます」

驚きよりも先に悲しみが襲った。

「お...おう、お前成績いいもんな。いい大学とか目指してんの?」

「はい。一応」

「すげーな。感心、感心」

俺はこの時どんな顔をしていただろうか?無理に笑顔を作ってはいなかっただろうか?

「いえ、全部お兄さんのお陰です。勉強も見て下さいましたし、なにより...私をいつでも、どんな時でも守ってくれました。あの時のことを忘れないで」

「当たり前だろ?警察官だぜ俺は」

「それでも。嬉しかった...です」

彼女が俯き、声が震えるのがわかる。

「だけど...だけど、それも終わりです。もう、頼ってばかりではいけないんです...」

「そ、そうか」

心の何かが疼く。痛い。俺はどうしたいんだろう?彼女にどうして欲しいんだろう?何も言えない。何もできない。

「...何も言ってくれないんですね。わ、私は...。ずっと、ずっと...」

冷たい風が吹き荒れる。すすり泣きをしながらも彼女は話を続けた。

「やっぱり、やめときます。...さようなら」

嗚咽交じりのその声は、いつかの少女のように小さく、弱かった。でも、俺よりははるかに大きく強かった。走り去る、彼女を追うことも、さよならを叫ぶこともできず、ただ佇む俺なんかよりずっと。

結局、守るだのなんだの全部言い訳で、戯れ言でしかなかった。俺は自分の存在価値を見つけられず、探していた一人の少年だった。でも、それを見つけたの途端、解放感と同時にまた新たな重りを得た。それを避けてきた。見ないフリをした。知らない事にした。そして、隠した。

自分でもわかっている。いや、わかっていた。俺が彼女を好きだったってことくらい。存在価値を示してくれた相手だ。好きじゃないはずが無い。そうでなくとも、あれだけの膨大な時間を過ごしたのだ。なのに、俺は。自分に嘘をつき、彼女に嘘をつき、守るべき相手を傷つけた。きっと許してもらえない。そんな失望感に押しつぶしされそうになる。


あれから、月日が経った。俺は彼女にあれ以来会っていない。あの日から1年ちょっと。そろそろ、彼女はこの町を去るだろう。俺からも卒業し、きっと新しい人生を俺の知らない何処かで送る。今よりも、充実している事を祈ることくらいしかできない。そう思っていた...。

いつものように、小さな交番にバイクで通勤した俺はスタンドを立てて、バイクを止めたところだった。その時、後ろから叫び声が聞こえた。

「お、お兄さーん!!」

聞き覚えのある声。懐かしい声。実に一年ぶりだった。こんな小さな街で会わなかったのは奇跡とも言えよう。だが、出会えたのはもっと奇跡なのかもしれない。

俺はその声に振り向いた。彼女と目が合う。

「私を助けてください」

彼女は俺にそう告げた。

「ここまで来た所為で、このままじゃ、電車に間に合いません。だから...」

「バイクで送ってやる。後ろに乗れ」

俺は手にあった自分のヘルメットを彼女に投げる。自分のはダサいが警察のを使った。

「いくぞ」

「はいっ」

彼女が俺に抱きつくのを感じた。肌寒い季節なのに、ポカポカ暖かい。これもまた久しぶりだった。離れてみてわかること。そんなものはないと思っていた。でも、ここにあった。俺の欲しいものが詰まったすべてがあった。ここで手放せば一生手にははいらないだろう。

そんな事を考えていると駅まですぐだった。

「助けてくださってありがとうございます」

彼女はヘルメットを丁寧に手渡しし、俺に返した。カバンを肩に提げ、改札へと向かう。


今しかないー。


「待ってくれ!」

彼女が俺の放つ大きな声に足を止め、肩を震わせた。振り向く事はない。

「俺、馬鹿だった。ごめん。いや、そんな一言で済むなら警察官は要らない。だから、聞いてくれ」

彼女が小さく頷いたように見えた。

「俺って、不器用なくせに、なんかかっこいい事とかしようとして、結局なんもできないやつなんだ。お前に会う前だってそう。自分に自身が持てず、人の所為にして生きてた。でも、お前に会って変わった。いや、変わった気がしてた。確かに、お前は俺を変えてくれた。でも、肝心なところは今の今まで抜けていた。それがお前を傷つけ、泣かせた。自分が許せない。守るとか助けるとか言っておきながら、結局は俺がお前を傷つけ見放した。今更、許されることでもない。わかってる。でも、これだけは知っててくれー」

俺は大きく息を吸った。


「俺はお前が好きなんだ」


俺に背を向けている彼女の肩が小刻みに震えている。そして、俺を振り返った。笑顔を浮かべつつも、無数の涙が彼女の頬を伝っていた。

「...遅いよ。私はずっと、ずっと好きだったのに。いつでも頼れて、優しいお兄さんが。大好きで。でも、好きになるほど、お兄さんのことがわかるほど、戸惑った。...お兄さんはもしかしたら、私のことが嫌いなのかも知れないって...。だから、だからっ」

彼女は俺を目掛けて走ってきた。俺に小さな腕を絡みつける。

「今だけは、こうさせて」


「じゃあ、本当にお別れだね」

涙を拭いながら、彼女は俺に告げた。

「さようなら」

「さようなら」

小さく会釈して、手を降る彼女に手を振り返す。今の俺はきっと笑っていない。愛想笑いくらいならしてるだろう。でも、本気で笑えてない。それはきっと、このままだと、前とは何も変わらないからだ。だから、俺はしなければならない。言わなければならない。気持ちを伝えなければならない。

「俺はっ!ずっと待ってるから。ここで待ってる。お前を守ってる。だから!...帰ってきたら俺と結婚してくれ!!」

名一杯の声で叫んだ。どのくらい届いただろう?改札を潜った彼女は戻っては来ない。でも、返事なら届く。

「はい、もちろん喜んで」

彼女もまた名一杯の笑顔で俺に答えた。

そのやり取りを最後に、俺は今ここにいる。4年後の3月。吐く息がまだ白いころ。俺は再び駅にいた。こんな町にいて駅など使わない所為か、ここにくることすら4年ぶりだった。

「そろそろか」

腕時計を覗きながらそう呟いた。と、同時に電車の来る音と振動がした。しばらくして、電車がブレーキをかけ、止まる。ドアが開く音と閉まる音。そして、改札を誰かが通り抜ける音。

「お帰り」

「ただいま」

「さー、帰るぞ。後ろ乗れ」

俺はヘルメットを彼女に投げる。自分の分は...ないけどいいか。警察官が聞いて呆れるだろう。彼女が俺に後ろから抱きつく。

「好きだ」

不意にそう呟いた。

「え?」

エンジン音で聞こえなかったらしい。まあ、いっか。

「どーしたの?お兄さん?」

「何でもねーよ。あとそろそろお兄さんやめろよ」

「えー、何?教えてよ」

そんな会話をして帰った。俺らはいつまでこんな幸せな時間を過ごせるかはわからない。

明日の事も昨日の事も変えられはしない。ならばせめて今だけでも。幸せで、君を愛して。

俺と彼女を乗せたバイクは人生という坂道をゆっくりと上昇した。



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