偏光性モラルエッジ
I.
【注意】
この物語には、「動物虐待」など倫理や道徳に反する過激な表現が含まれます。
気分を害する可能性もありますので、予めご注意の上お読みいただくようお願い申し上げます。
また、作中の思想につきましては作者個人の見解・価値観とは全く異なります。
この物語は完全なるフィクションです。
僕はケンタッキー・フライドチキンが食べられない。嫌いなわけではない。むしろ好きだ。肉の中なら鶏肉が一番好きだ。けれど食べられない。
理由は至って明確で、しかし遡ること十年ほど前の事になる。
中学校三年生の僕は、来る受験に向けて勉強漬けの毎日だった。英単語を書いたカードをペラペラ捲る姿は、冬の到来を思わせるものだ。
その年初めてのマフラーを巻いた帰り道、僕は歩きながら単語カードと戦っていた。歩きスマホと同じくらい危ないが、むしろ褒められるのだから受験生はお得だ。
しかし前方不注意を起こした以上、僕が悪い。やらなければ良かったと思いもしたが、しかし未だにいまいち納得し切れていない事件を起こした。
ばきっ。骨付きチキンの骨を折ったような、乾いているけれどどこか生々しい音に僕は顔を上げた。
眼の前には青ざめた様子のおばさんがいて、その右手はロープを持っていた。彼女の視線を辿り地面を見ると、頭部の砕けた子犬がいた。
僕は子犬を踏み潰した。すぐに理解できたから、まずは靴の裏を確認した。血で赤黒く染まっている。スニーカーの布地にまでそれは飛び散っている。
血って放っておいたら取れなくなるのかな。鉄っぽい匂いも残るだろうし、帰ったらすぐ洗剤でこすらなきゃ。そんな事を考えていると、おばさんは耳を真っ二つに割かれるほどの悲鳴を上げた。
僕は警察によって取り囲まれ、ドラマでしか見たことないような取り調べを受けた。
子犬の死体にそってチョークで線が描かれ、そこを指差すよう指示された。あれこれと言われるがままポーズを取り、写真を何枚か取られ、母親が呼び出された。
僕は何が何やら分からなかった。だって蟻を踏んづけたってそんな事にはならないのだから。
分かっている、蟻は小さいしそこら中にいる。子犬は小さいとはいえ早々踏んでしまう事もない。ましてや踏み潰すほど力を込めてしまった事は悪いことだと思う。
しかし、怒られたり嘆かれたりカウンセリングを受けたり、そこまでされる意味が分からなかった。
結局、受験のストレスからおかしくなっているのだと、要約すればそのような見解を述べられ、僕は第一志望の高校を受けられなかった。中学卒業後、一年間をカウンセリングに費やし、浪人という形で別の高校に進学した。
それから僕は考えた。この道徳の線引きはどこにあるのだろうと。蟻は踏んでも構わない。犬は踏んだらいけない。
つまり、何であれば殺しても問題ないのかを確かめることにした。そうすればまた大事になったりしないし、何より周りの目を気にせず済む。やはり近所の連中に下らない噂話をされたり、露骨に避けられたり気を遣われたりというのは目障りだ。
中途半端に関わるくらいなら放っておけばいい。身近なゴシップをおやつ代わりにされたくはない。
だから十七歳の僕は、手当たりしだいに動物を踏みつけて回った。
研究の結果として、明確な線引きが見つけられた。しかし非常に苦労した。というのも、踏み方によって結果が変わるし、人によってもその判断がまちまちだったからだ。
例えば猫を踏んだとしても、それが飼い猫か野良猫かで反応は変わる。踏んだ部位が頭部か尻尾かでも変わる。
害虫ならどんな奴でも大丈夫だろうと思っていたが、靴で踏むぶんにはまだしも、素足で踏むと困惑される。それは調査の意図とは少し異なるリアクションなので除外したが、踏む時の靴の有無まで考えなければならないのかと思うとうんざりしてしまった。
そしてボーダーラインとなる要素は二つに決定された。
まず、人間との共存を得られている動物だ。調査の過程で「抱きかかえられるもの」という仮設も立てたのだが、ハムスターを踏んだときに額を五針縫う怪我を負い、間違いだったと分かった。
これも必ず当てはめられると思えないでもないが、現状はこれが精一杯だ。人間との共存、つまり飼われたり懐かれたり、動物園で触れ合えるような生き物はダメという事だ。
これならリスや鳥類でも当てはまるし、ペンギンやライオンといった飼うには難しい生き物でも適用される。流石にライオンを踏んだことはないが、ネコ科がダメならライオンもきっとそうなのだろう。
次に殺してはいけない事。
踏んだとしても、それが猫の尻尾であればそこまで怒られない。むしろ思いっきり噛み付かれたり引っかかれたりしている僕を心配してくれた。
部位の問題なのかと思い、頭部以外に腹部や喉も踏んでみたのだが、死に至るような踏み方ではどれも批判を浴びた。
つまり、部位に関係なく殺してはならない。それが結論となった。
そういった経緯から、僕はケンタッキー・フライドチキンを食べないようにした。子犬を踏んづけた事を思い出すから、とかじゃない。殺されるというのはとても悲しく忌避されるものだから、殺されたものを食べるのは良くないのだと解釈したからだ。
これは明確に理解出来ているわけではないが、植物の場合は何であれそこまで大事にはならない。人としてどうなのとは言われても、何かの法によって裁かれる事はなかった。つまり、植物は殺してしまっても問題がない。
なので僕は植物だけ食べるようになった。動物を殺して食べちゃダメ。だけど植物ならオッケー。そんなよく分からない判断基準を受け入れることにした。
別に何だって良かった。動物と真にコミュニケーションを得られない以上、動物でも植物でも同じような枠組みじゃないのかと思ったけれど、でも何か食べないと生きていけない。だから植物だけ食べる。味気ないけれど、調味料をかけてしまえば刺激は得られる。
だから。
僕は屋上で大の字になって寝ながら考える。
この地球がどうなったって、それは仕方のない事なのだ。人はその時々でコロコロと考えを変える。犬を殺せば非難されるけれど、朝のトーストと一緒に遠い異国の戦争のニュースを飲み込んで生活している。
だからきっと、間違いのないボーダーラインなんて存在しない。もしかしたら人を殺したとて、時と場合によっては正当化されるかもしれない。
それに気付いてから、僕は先程のボーダーラインを暫定的に設定し、もう考えるのを止めた。疲れてしまったのかもしれない。
そういえば、人間を踏んだことはなかったな。他の動物に比べて背も高いから難しいだろうか。それだけが心残りだ。
遠くからクラシックの音楽が聞こえる。そろそろ時間だ。
いま、地球は大気汚染に見舞われている。ウイルスだか化学兵器だか知らないが、特定の時間に空気を直に吸うと死ぬらしい。
だから人々は予め告知された時間にはシェルターに籠もるか、あるいは防護マスクを付けてやり過ごす。
街から人が消え、そこには大仰なクラシック音楽と僅かな静寂だけが残る。
素敵な景色だ、と僕は思う。
あれはダメでこれは良い、なんていう不確かな道徳に振り回されなくて済む。多分、今ならどんな動物を踏み倒しても怒られないだろう。
でも僕は試したくなった。
自分が踏まれるのはどんな気分になるだろうという好奇心が芽生えた。
人間が多くの動物を踏み台にして生きているのなら、人間もまた誰かに踏み潰されてもいいんじゃないか。
しかもそれが地球を相手にしていたら、それはもうとても素敵なお話だ。
だからどうか。僕は願う。恐らく、僕だけが願っている。
この大気汚染が、自然的に発生したものであってほしい。人間が人間を踏み潰すなんて日常茶飯事だ。どうせ踏まれるなら地球のようなデカいスケールの奴に踏まれたい。
今回の音楽は『カンパネルラ』だろうか。子守唄には丁度いい。午前五時、死ぬには心地よい天気だ。
さあ地球よ、僕を踏み潰してくれ。フライドチキンの骨のように、乾いていて生々しい音を奏でて、僕を殺してくれ。
変異性パラノイア 宮葉 @mf_3tent
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