其の十一 辻斬り
今宵は新月、星もなく、漆黒の闇が辺りを包む。
街道から宿場に抜けるこの道は暮れ六つを過ぎると人通りもなく、時おり行商人や廓で遊んできた者だけが通る。一本松の陰に隠れて、俺は獲物を物色する。
遠くで揺れる提灯の灯り、それは次第に此方へ近づいてくる。町人か、商家の
いきなり木の陰から飛び出し、二人連れの行く手を遮ぎる。暗がりに剣が光った。
「辻斬りだーっ」
叫んだ瞬間、刄が男を斬り裂いた。
目の前で主人を殺され丁稚は恐怖に慄き動けなくなっている。
年端もゆかぬ子どもだが、「見られたからには生かしておけぬ……。主人の元に送ってやる」胸をひと突。小僧が倒れた時、風呂敷から何かが転がり出した。
色鮮やかな
「ただ今戻りました」
「
貧しい
仇討ちの旅に出て、かれこれ一年半……金はとうに使い果たし、職もなく、旅先で身寄りもいない。無一文では、嫂上とこの先暮らしてゆけぬ――。
幼い頃より武士として剣の修練を積んできた、剣術には自信がある。この腕を活かし手っとり早く金を稼ぐには辻斬りしかなかった。
「
先ほど拾った紅藤色の反物を渡す。
「まあ、きれいな柄」
「呉服屋の主人が与太者に絡まれていたので助けたら、お礼にと反物をいただきました」
「女物ではありませんか」
「嫂上の着物に仕立ててください」
「私の着物より、和馬どのの
「紅藤色の着物はきっと嫂上にお似合いです」
俺は天女のように美しい嫂上のことが好きだった。兄上の婚礼で花嫁姿の千世を見て以来、すっかり心奪われて……それから、
元々、千世には慎之助といういいなづけがいたが、うちの兄上が横恋慕して無理やり自分の妻にしたのだ。――ところが癇癪持ちの兄上は千世を可愛がるどころか、些細なことで怒鳴り散らし手を上げた。
厨房の隅で泣いている千世の姿を何度も見かけたことが……慰めてやることもできず、酷い兄上を殺してやりたいと思ったこともある。
そんな兄上が斬られて堀に浮んでいた。
下手人はいいなづけ千世を盗られた
藩内で慎之助の上役だった兄上は、千世を奪った上、毎日嫌がらせをしていたという。何をされてもじっと堪えていたというが……ついに堪忍袋の緒が切れたか? さぞ憎かろう、むしろ仇の慎之助に俺は同情する。
それにしても剣の使い手だった兄上が、あんな弱輩者に斬られるなんて信じられない。おそらく酔っ払っていたのか、相手に油断していたのだろう。
すぐさま仇討ちをしたいと嫂上が申し出た。
なんと健気な……俺も
元々嫡男の兄上が家督を継ぎ、次男の俺はいずれ家を出ていく運命だった。だから剣の腕を磨き指南役になるか、商家へ婿入りするより仕方なかった。今は仇の首を持って帰えれば、家督を継がせて貰える。
だが仇討ちなんぞどうだっていい、それより嫂上と一緒に居られるのが嬉しいのだ。いずれ夫婦になって他国で暮らしてゆきたい――。と俺は願っていた。
武士の誇りを捨てて辻斬り強盗なった、嫂上を守る為なら人殺しも厭わぬ。
今宵は満月、仄暗い闇の中、俺は一本松に身を潜めていた。
先日、襲った呉服屋の主人は思いのほか金を持っていなかった。日をあけず、またしても辻斬り強盗をやることになった。
宿場から男女が此方へ向かって歩いてきた。浪人と
俺は眼を凝らして見た、まさか、あの紅藤色の着物は……!?
「待たれい!」
木の陰から飛び出した。
「おのれ、辻斬りか?」
男が剣の
「慎之助さま、早く逃げましょう」
間違いない、その声は嫂の千世!?
二人は身を寄せ合い、お互いを庇うように立っている。
「何故だ? なぜ嫂上が仇と一緒なのだ」
「もしや、数馬どのか?」
俺が辻斬りだと知れてしまったが、そんなことは構わん。
「嫂上、そんな格好で何処へ行くつもりですか?」
「止めないで! 最初から私は慎之助さまのいいなづけでした」
「さあ、一緒に帰るのです!」
連れ戻そうと、嫂上の手を掴もうとしたが、俺の手を払い慎之助の後ろに隠れた。
「その男は兄上を殺した憎い敵だ」
「殺したのは私です。酔って寝ているところを懐剣で心の臓をひと突きしました」
「まさか? 嫂上が殺ったのか」
突然の告白に耳を疑った。天女のようにたおやかな嫂上に、そんな怖ろしいことができるなんて……。
「夫を殺して自害するつもりでしたが、死ぬ前にひと目慎之助さまに逢いたくて……事情を話したら、自分が犯人なるからと罪を着てくれて、刀で斬られたように死体に傷を付けお堀に捨てました。直後に出奔した慎之助さまを追って、仇討の旅に行くからと私も国元を出て、二人で逃げる手筈だったのに……数馬、おまえが付いてきたせいで計画が狂ってしまった!」
険しい目で嫂上が睨んだ。
「俺は邪魔者だったと……」
「そうよ。おまえさえ居なければと何度思ったことか!」
「居ない隙に逃げる気だったのか? 慎之助と……」
「慎之助さまとはずっと文のやり取りをしていて、やっと迎えに来てくれたのです」
男の袖にすがり、夢見るような声でいう。
「嫂上と暮らすために、俺は辻斬りになったんだ」
「人殺しの金なんて汚らわしい!」
「ずっと好きだったのに……」
「おまえなんか、夫の幽霊みたいで大嫌いだった!」
「嘘だーっ! 慎之助おまえが嫂上にこんな酷いことを言わせているんだな」
じりじりと仇にじり寄り「殺してやる」呟くと抜刀した。
上段に構え剣を振り下ろすと、慎之助を庇うように嫂上がいきなり前に飛び出す。刃を止められず、俺は最愛の人を斬ってしまった。
肩から胸にかけて深い刀傷、断末魔の嫂上は、「慎之助さま」と男の名を呼び、
血塗れの嫂上を抱いて慎之助が泣いている。
「触るなっ! 千世は俺のものだ」
怒りに
一人旅、背中の
嫂上のことは仇討で慎之助に殺されたことにしようか。俺は国元に帰って家督を継ぐ、嫂上と過ごした日々を心の糧に独り生きてゆくのだ。
たとえ、この世に千世が居なくとも……永遠の片想いのまま、この心は変わらない。
時代小説掌編集 桜の精 泡沫恋歌 @utakatarennka
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。時代小説掌編集 桜の精の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます