其の十 鹿鳴館etc.
明治初期、
政府要人たちは、サムライの象徴である
この鹿鳴館を中心にした外交政策を『鹿鳴館外交』といい、欧化主義が広まった明治10年代後半を『
この政策には、アメリカ帰りの
現代とはまったく生活様式の違う、当時の女性たちにとって、それは想像以上の苦痛でした。
――とある、明治政府要人の屋敷から悲痛な女性の叫び声が聴こえてきます。
「わたくしは死にます!」
「お嬢さま、どうか気を静めてください!」
「もう耐えられません! 死んでしまいたい……」
「どうか、その
ふたりの女性が揉み合っているところへ、この屋敷の主人が入ってきた。
「何ごとじゃ、騒がしい!」
「これは旦那様、お嬢さまが自害なさると申されて、ばあやが止めておりました」
「まことか? なにがあった?」
「踊りのお稽古から帰られたらお嬢さまが、突然、死にたいと申されて……ばあやはどうしたらよいものやら……」
「自害するなどけしからん!」
ただ、ただ泣くばかりの娘である。
「おまえはもうすぐ鹿鳴館で社交界入りするのではないか、なぜ泣いておるのじゃ?」
「わたくしは仏門に
「馬鹿者! 尼などもってのほか!」
父の言葉に、娘は肩を震わせしゃくりをあげて泣く。
「泣いてばかりでは理由が分からぬ。どうしたというのだ?」
ひとしきり泣いて、気が収まったのか娘は小声で話しはじめた。
「……父上様、わたしくには西洋の踊りダンスのお稽古が辛くて、痛くて、苦しゅうございます……」
「令嬢のたしなみとして習っておるダンスのことか?」
「はい」
「ダンスは我が国の西欧化のためにはやらねばならん」
「……ですが、わたくしハイヒールという西洋の履き物が窮屈で、歩くと足元がふらふらして怖いのです。それを履いて西洋の音楽に合わせて踊るなんて……とても無理でございます」
「草履や下駄に慣れた日本人に、あんな小さな靴は不安定で転びそうじゃな」
あの靴は履きづらいだろうと父親も思っていた。
「一緒にお稽古していた、子爵家の娘が転んで足を挫いてしまわれた」
「なんと!」
「わたくしの足も爪が剥がれて血豆だらけですわ」
「ふむ、そうか……痛々しいのう」
「夜会服を着るのに、コルセットという道具で身体を締めつけるので、もう苦しくて、苦しくて……息ができません」
「西洋人の女はあれをする
「コルセットを付けて、小さな靴を履いて、くるくる舞うなど……まるで
「西洋人との社交場に鹿鳴館が作られたが、舞踏会では妻や娘もダンスを披露せねばならぬのじゃ」
「父上様、ダンスはまるで
「これも家のためじゃ、堪えてくれ!」
封建時代、家長である父親の命令は絶対である。
「知らない殿方と手を取り合って、人前で踊るなんて……恥かしくて……恥かしくて……」
「これもお国のためじゃ!」
「わたくしはもう死んでしまいたい」
娘は、よよっと泣き崩れた。そして、苦渋の表情を浮かべた父親の顔がそこにあった。
――まあ、こんなエピソードがあったかどうか分かりませんが。
当時の日本人の女性は、人前での立ち振る舞いにまったく慣れていなかった時代だった。
それが明治政府の方針とはいえ、熊みたいに大きな西洋人相手にダンスをさせられるのだから、たまったもんじゃない!
死ぬほどの恥辱だったかもしれない――あくまで想像としてそう思う。
日本の舞いや
先人だった明治の人たちは、このような
けっして娯楽ではなく、国策として始められたダンスだったが、現代では多くの日本人がダンスを愉しみ興じるようになっている。
ダンス発祥の地、鹿鳴館の開館日にあたる11月29日は『ダンスの日』に制定されています。
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