其の十 鹿鳴館etc.

 鹿鳴館ろくめいかん――日本人のダンスはここから始まった。


 明治初期、文明開化ぶんめいかいかの日本ではダンスは娯楽ではなく、西洋人に対して、日本が文明国であるということをアピールするためのパフォーマンスだった。明治政府にとって、近代化とは西欧化せいおうかすることであり、それは西洋人のモノマネから始まった。

 政府要人たちは、サムライの象徴であるまげを切り落とし、燕尾服モーニングを着て、東京の日比谷に国賓や外国の外交官を接待するための社交場として『鹿鳴館ろくまいかん』を建設、そこでは連日のように、華やかな舞踏会が繰り広げられていました。

 この鹿鳴館を中心にした外交政策を『鹿鳴館外交』といい、欧化主義が広まった明治10年代後半を『鹿鳴館時代ろくめいかんじだい』などと呼ばれています。

 この政策には、アメリカ帰りの大山捨松公爵夫人おおやま すてまつ こうしゃくふじんが中心となり関わっていましたが、それに従事した名家の子女たちには“ ”ような労苦だったようです。

 現代とはまったく生活様式の違う、当時の女性たちにとって、それは想像以上の苦痛でした。


 ――とある、明治政府要人の屋敷から悲痛な女性の叫び声が聴こえてきます。


「わたくしは死にます!」

「お嬢さま、どうか気を静めてください!」

「もう耐えられません! 死んでしまいたい……」

「どうか、その懐剣かいけんを収めて!」

 ふたりの女性が揉み合っているところへ、この屋敷の主人が入ってきた。

「何ごとじゃ、騒がしい!」

「これは旦那様、お嬢さまが自害なさると申されて、ばあやが止めておりました」

「まことか? なにがあった?」

 妙齢みょうれいの女性が泣き腫らした眼を恥かしそうに着物の袂で隠す。


「踊りのお稽古から帰られたらお嬢さまが、突然、死にたいと申されて……ばあやはどうしたらよいものやら……」

「自害するなどけしからん!」

 ただ、ただ泣くばかりの娘である。

「おまえはもうすぐ鹿鳴館で社交界入りするのではないか、なぜ泣いておるのじゃ?」

「わたくしは仏門に帰依きえして尼になりとうございます」

「馬鹿者! 尼などもってのほか!」

 父の言葉に、娘は肩を震わせしゃくりをあげて泣く。

「泣いてばかりでは理由が分からぬ。どうしたというのだ?」

 ひとしきり泣いて、気が収まったのか娘は小声で話しはじめた。

「……父上様、わたしくには西洋の踊りダンスのお稽古が辛くて、痛くて、苦しゅうございます……」 

「令嬢のたしなみとして習っておるダンスのことか?」

「はい」

「ダンスは我が国の西欧化のためにはやらねばならん」

「……ですが、わたくしハイヒールという西洋の履き物が窮屈で、歩くと足元がふらふらして怖いのです。それを履いて西洋の音楽に合わせて踊るなんて……とても無理でございます」

「草履や下駄に慣れた日本人に、あんな小さな靴は不安定で転びそうじゃな」

 あの靴は履きづらいだろうと父親も思っていた。

「一緒にお稽古していた、子爵家の娘が転んで足を挫いてしまわれた」

「なんと!」

「わたくしの足も爪が剥がれて血豆だらけですわ」

「ふむ、そうか……痛々しいのう」

「夜会服を着るのに、コルセットという道具で身体を締めつけるので、もう苦しくて、苦しくて……息ができません」

「西洋人の女はあれをするならわしだという」

「コルセットを付けて、小さな靴を履いて、くるくる舞うなど……まるで軽業師かるわざしですわ」

「西洋人との社交場に鹿鳴館が作られたが、舞踏会では妻や娘もダンスを披露せねばならぬのじゃ」

「父上様、ダンスはまるで折檻せっかんのようで……」

「これも家のためじゃ、堪えてくれ!」

 封建時代、家長である父親の命令は絶対である。

「知らない殿方と手を取り合って、人前で踊るなんて……恥かしくて……恥かしくて……」

「これもお国のためじゃ!」

「わたくしはもう死んでしまいたい」

 娘は、よよっと泣き崩れた。そして、苦渋の表情を浮かべた父親の顔がそこにあった。


 ――まあ、こんなエピソードがあったかどうか分かりませんが。


 当時の日本人の女性は、人前での立ち振る舞いにまったく慣れていなかった時代だった。

 儒教じゅきょうの教え『男女七歳にして席を同じくせず』育てられた彼女たちは、男性に対して非常に初心うぶであり、異性と手を繋ぐなど淫らな行為だと教えられていたのでした。

 それが明治政府の方針とはいえ、熊みたいに大きな西洋人相手にダンスをさせられるのだから、たまったもんじゃない! 

 死ぬほどの恥辱だったかもしれない――あくまで想像としてそう思う。

 

 日本の舞いやうたいとはまったく違う、異国の楽器で奏でられたリズムや音楽は、明治の人々にとっては異文化コミュニケーションというより、未知との遭遇そうぐうだったに違いない。

 先人だった明治の人たちは、このような艱難辛苦かんなんしんくを乗り越えて、ダンスを受け入れて、日本の文化として根付かせてきたのである。

 けっして娯楽ではなく、国策として始められたダンスだったが、現代では多くの日本人がダンスを愉しみ興じるようになっている。


 ダンス発祥の地、鹿鳴館の開館日にあたる11月29日は『』に制定されています。

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