花物語

ゆら

第1話 ソメイヨシノ



ソメイヨシノ  花言葉――純潔




 毎年、桜が咲く時期になると思い出すのです。あのときのことを。



当時、私は七つ。姉は十五でした。私たちが生まれ育った村の長は、生贄の娘探しに躍起になっておりました。なぜ躍起になっていたのかと言いますと、そのころ村では大水が酷く、作物の収穫もままならず年貢も収められないというありさまが続いておりました。困った村長は村で一番長く生きている老婆のもとへ相談に行きました。村長に事の顛末を聞いた老婆はこう言いました。

「ひとり、娘を生贄にしなさい。さすればこの天変地異もじきにやむであろう」と。

 聞いた話によると、娘は未婚の生娘でなければならなかったようです。そして娘が生贄になるのは過去にもあったという話です。天変地異が起き、村人の生活が立ちゆかなくなったときに娘を生贄に捧げることで天変地異は鎮まり、代々平和が保たれていました。

 生贄に決まった娘はどうするのかと言いますと、穢れのない真っ白な着物に着替え、人々が寝静まった夜更け、逃げられないように監視役のお供を引き連れて村の山頂にある洞窟を目指します。そして洞窟の中へ入り、じっと、命が尽きるまで読経するのです。

 しかし、そんな苦行を進んでやりたがる娘はいるはずもありません。村長は悩み抜いた末に、身寄りのないわたしの姉に目をつけました。

 わたしたち姉妹は早くに父と母を亡くしていました。親戚もおらずふたりきりでしたので、父の友人というかたが好意でわたしたちを引き取って育ててくれました。

 姉は病気がちな私と対照的に、いつも元気で明るく、笑顔の素敵な人でした。そして、自分のことよりも他人を大切にする人でした。私が突然熱を出して倒れたとき、姉は両親の忠告を無視し、雨降るなか私をおぶってお医者のところへ連れて行ってくれたことがありました。あと少し遅かったら命を落としていたかもしれないと言われたそうです。私は育ての父と母に懐いていましたが、姉とは仲が悪かったようです。姉は普段は全くそんな素振りを見せませんでしたが、私のことになると姉は父と母に反抗心をむきだしにしていました。姉は無意識のうちに「いつか自分が売られる」ことを察知していたのだろうと思います。



 あるとき、村長が私たちの住む長屋をたずねてきました。両親と姉に話があるそうで、私はひとり席を外され、仕方がないので縁側に座ってぼうっと外をながめていました。縁側は決して広くはなく自慢できるものではありませんが、ただひとつ、桜の木が植わっているところが好きでした。春になると桃色の花を咲かせて私の目を楽しませてくれます。縁側の桜の木は、まだつぼみでしたがもうすぐ咲きそうでした。今年も姉とふたりで縁側に座って桜が見られることを楽しみにしていたのを覚えています。

「縁側で何をしているの」

 上を向くと、姉が私の顔を覗きこんでいました。

「お姉ちゃんを待っていたんだよ。もうお話は終わったの?」

「うん」

 そう言うと姉は私の隣に腰かけました。姉はどこか寂しそうな表情を浮かべていました。

「もうすぐ桜が咲くね、お姉ちゃん」

「そうだね」

 姉の口調は空気が抜けてしぼんだ風船のようです。

「どうしたの。なんか変」

「……お姉ちゃん、今年は桜見られないかも」

 姉はうつむいてしまいました。

「どうして?」

 私は目を丸くして、姉に聞き返しました。

「大役を任されたの。みんなを守る大きな役目よ」

「なぜ? なぜお姉ちゃんが行かなくてはならないの?」

「私が適任なんだって。身寄りもないから、いなくなっても誰も困らないのよ」

 ここで初めて私は姉がいなくなってしまう事実を突きつけられました。

「そんなことない! 私にはお姉ちゃんがいないと困るよ」

 行かないで、と意思表示するかのように姉の手をぎゅっと握りました。姉はその手を握り返し、

「もうあなたは七つでしょう。私がいなくてもお父さんとお母さんがいる」

「お姉ちゃんと一緒に暮らせなくなるなんていや! お姉ちゃん、いなくなっちゃやだよ……」

 私は泣きじゃくて、姉に抱きつきました。そんな私を姉は優しく抱きしめて頭を撫でながら、

「また春になったら戻ってくるわ。約束よ」

 姉はこんなことを言っていましたが、私を慰める嘘だと子供ながらに気付いていました。涙がとめどなく溢れて返事ができません。姉はずっと、私が泣きやむまで抱きしめていてくれました。



 二、三日経った夜のことです。私は姉を失うショックで連日寝込んでしまっていました。神様、お願いです。お姉ちゃんを連れていかないでください。私からお姉ちゃんを奪わないでください、お願いです……。

 朦朧とした意識のなか目を覚ますと、襖が少し開いていました。縁側から月の光が漏れ、眩しいくらい輝いているのが見えます。とっさに隣を見ると姉の姿はなく、布団だけが丁寧に畳んで置かれていました。

「お姉ちゃん!」

 上体を起こして声を張り上げても、むなしく闇夜に溶けてしまいました。その時、どこからか笛の音が聞こえてきたのです。今まで聞いたことのない、とても澄んでいて綺麗な音色でした。どこで誰が笛を吹いているのだろう。私は熱を持った重い体をふらふらと動かし、襖を開けました。

 縁側には寝間着姿の姉がいました。綺麗に手入れされた長い髪を後ろに垂らしており、それは月の光を受けてより一層輝いて見えました。姉は桜の木を眺めているようでした。私は息を呑みました。お昼まではつぼみだった桜の木が一本残らず花を咲かせているのです。私はお姉ちゃん、と声を掛けましたが、その瞬間、ざあっと風が吹き、私は驚き目をつむってしまいました。

 次に目を開けると、姉はいませんでした。どこからか聞こえた笛の音も、いつのまにか聞こえなくなっていました。煌々と青白く輝く月と薄桃色の桜の花びらがひらひらと舞っているだけでした。



 翌朝、村長がやってきて、昨夜姉が姿を見せなかったのだがどうなっているのだ、とたずねてきました。どうやら昨夜が決行日だったようです。村長は姉が指定の時間になっても待ち合わせ場所に来ないので、もしや逃げたのかと思い私たちの住む家に行こうとしたが、何度向かっても道に迷ってしまい辿り着けなかったことを私たちに説明してきました。村は狭く、迷うような複雑な道はありません。おかしな話です。肝心の両親は何をしていたのかと言うと、深い眠りに誘われて全く起きることができなかったようです。これもおかしな話です。昨夜縁側に立つ姉を見たのは私だけだったようです。みな起こった事実に動揺していました。

 姉の捜索はただちに行われました。村人総出で村中を探しましたが、見つけることができませんでした。陽が暮れてきたとき、山を捜索していた村人のひとりが「洞窟が崩れている」と知らせてきました。しかし、崩れた洞窟の瓦礫の下を探しても、姉の死体は見つからなかったそうです。代々祀られてきた娘たちの死骸が瓦礫の下敷きになっているだけでした。村人たちは改めて、長年幾人もの娘を捧げてきたことに絶句し、直ちに供養を行ったそうです。



 洞窟が崩れたことで、この忌まわしき風習にも終止符が打たれることとなりました。村長の息子が、これ以上大きな被害が出ないように、高台に農作物を貯蓄する倉庫をつくることを提案したためです。

 この案はすぐに着手され、いつ水害が起きても最低限の対処はできるようになりました。ですが、姉は一年経っても、十年経っても戻ってきてはくれませんでした。

 ある人は、生贄が嫌で誰にも知られずに逃げ出したのだと言い、またある人は自然を司る神様に見初められ神隠しに遭ったのだと、みなそれぞれ言い合っていましたが、真相は誰にもわかりません。でも、姉がいなくなってからは決まって毎年失踪した日に合わせて咲く桜を見ると、姉が戻ってきてくれたのだと、姉は私との約束を果たしてくれたのだと、思わずにはいられません。

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花物語 ゆら @corail_y

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