S#11 「マッツン」… 松浦 靖


〈キーンコ~ン♪カーンコ~ン♪ キーンコ~ン♪カーンコ~ン♪〉



「ツヨっさん、数字数字で頭がクラクラだっちゃ。いっちょあれやらぁーか!」


「よっしゃ、負けれへんでー今日は」



二時間目、算数終わりの休み時間。数字だらけで憔悴した頭をリフレッシュする為、俺はツヨっさんを“あれ”ことクツシングに誘った。


『クツシング』とは、俺が考案したボクシングとフェンシングを足して二で割ったようなニュースポーツである。


ルールは簡単、自分の上履きをボクシングのグローブのように両手に装着し靴底を相手に向けてファイティングポーズをとる。


「fight!」もしくはゴング替わりの「カーン」の合図で、相手の胸に付いている名札を靴底で先にタッチした方が勝ちだ。


激しいパンチの応酬となるが、相手との距離感と駆け引きが最も重要となる。ボクシングに似てはいるがパンチ力は全く関係ない。フットワークが勝敗を左右する俺みたいなチビにも優しい格闘技である。


まぁー俺が考えたんだから、その辺は当たり前か……。



「ムッヒッヒ……」



勝敗が判定しやすいように……と言うよりも、対戦相手に敗者の烙印を押すため、俺は黒板消しにたっぷり吸わせたチョークの粉を自分の上履きの底にペタペタと擦り付けた。



「シマダイちゃん、それマジかいやー」


「あんらーツヨっさん、戦う前から自分が汚される心配しとったらアカンでー」


「そ、そんな心配するかいや」


「ほんならゴングや。カーーン!」



ジャブジャブ、シュッシュ!


リーチのあるツヨっさんのパンチを小刻みに体を揺らしながらかわしていく。


〈パーーン!〉


時折二人のパンチが相撃ちになる音が廊下に響く。理解できず残っていた数字達が破裂音と同時に頭から吹っ飛んでいく……、これがまた最高に気持ちいい。


リズミカルにパンチを重ねながら格闘の世界に浸れそうになった所で、突然奴の声が現実に引き戻した。



「おめえら、相変わらず幼稚くせぇ遊びしとんな。恥ずかしないんか。まぁー、どうでもええけど」



声の主はやはりマッツンだった。



「どうでもよかったらほっとけや!」


「試合の邪魔やマッツン、早よ行けぇや」


「プッ、試合って。両手にくっさい靴はめて試合って……プフッ、きっしょ!」


「あぁー?」


「ほっとけってシマダイちゃん。混ぜて欲しかったら素直に言えーやマッツン」


「ケッ、誰がしたいかそんなしょーもないもん。アホくせーし行かぁーや」



はぁー、何でこうアイツはいちいち人をムカつかせる事ばかり言うのだろう。逆に面倒臭くないのか。



「なぁーツヨっさん」


「なに?」


「アイツの……、マッツンの笑った所って見たことあるか?」


「笑ったとこって、さっきも俺ら見て笑ってたやんアイツ」


「いや、そんなんじゃなぁーてな。そうやなぁ……お、ツヨっさん窓の外見てみ?」



俺はツヨっさんに、休み時間の生徒で溢れかえっている運動場を見るように言った。



「外って……、あれ? ナオチとヨー君が走っとるな」


「たぶんヨー君がナオチに挑戦したんやろ」


「ふぇー、そりゃまたヨー君無謀なことを」


「まぁー見とってみって」



二人は特に白線もないトラックの端っこに並んでスタートした。声までは聞こえないが、どちらかが合図したのだろう。



「頑張れヨー君、走れ、走れ!あー、やっぱナオチかぁー」


「ハハ、何かヨー君って応援しちゃうやんなぁー。見てみあの顔」


「お、めっちゃ笑ってるやん。ヨー君ってあんな顔して笑っとったっけぇ?」


「ハハ、知らんなツヨっさん。ヨー君めっちゃええ顔で笑うんだっちゃ。ほんでぇー、あ、あっちも見てみ。教室の端っこ」


「端っこって……、ワエの席やん」


「そうそう、ミサコがツヨっさんの缶ペンケース開けて……」


「わ!何やっとんだミサコ! やめれっちゃ!」



ツヨっさんは、明らかに自分の筆箱へいたずらしようとしていたミサコの元へと飛んでいった。



「気づいとったら早よ教えてやシマダイちゃん! ほらこれ見てみ? 筆箱に毛虫って」


「ぅわっ。ほんでもミヤマも入ってるやん。好きやろ? ミヤマ」



ミヤマとは、俺たちがこの時期懸命に捕獲に走り回るミヤマクワガタのことである。



「ま、まあな。ミヤマは好きやな……」


「ほら、ミサコこっち見てめっちゃ笑ってるやん。わ、顔真っ赤っかやでツヨっさん」


「嘘つけ! 赤ないわ。ちょっと熱いだけだっちゃ」


「ハハハ……、な?」


「うん?」


「マッツンのは、笑っとるんとちゃうやろ?」


「あ、あぁーその話か。あー!鼻の穴広げたその顔は、また何かしでかしちゃろー思っとるなシマダイちゃん」


「いや、別にそんなんじゃないんやけどな……」



何かを閃いた時、俺は若干鼻の穴が膨らむらしい。



「マッツンだけはやめとけってシマダイちゃん。こっちが損するだけやって。時間が勿体無いわ……、それに……」


「うん? それに……なんかあるんか?」


「アイツ中学生に目ぇ付けられて、万引きとかやらされとるって噂やで」


「ふーん、そっか……。そうなんや……ほーーん」


「しゃったーー! 話すんやなかった。あかん、あかんでシマダイちゃん。アイツだけはホンマ最悪やで。城中生まで出てきたらシャレにならへんしな」


「大丈夫やって。ただちょっと……」


「ただ……ちょっと?」



自分でも鼻の穴がプックリ広がったのがわかった。



「俺、マッツンと睨めっこしてくるわ。アイツ笑かしてくるわー!」


「ほらぁーもう! わかった、ちょっと待てって。俺も付き合ったるわー」



何やかんや言って、君も好きだなツヨっさん。



マッツンはスポーツが得意だ。でも、ナオチには敵わない。


マッツンは背が高い。でも、ツヨっさんには届かない。


マッツンは勉強ができる。でも、ヨー君にはいつも勝てない。


マッツンは喧嘩が強い。でも、俺には……。


ヒリヒリ……パチパチ。心に溜まった静電気が漏れ出して、マッツンの体を覆っていく。



俺たちはその日から、『マッツンと睨めっこ大作戦』を決行した。俺とツヨっさん、どちらかがマッツンを笑わせるまで、この作戦は終わらない。


レフィリーなんていらない。そんなの、めっちゃええ顔で笑ったら、誰にだって分かるだろ?




           *




「おいマッツン!」


「何だいや幼稚な凸凹コンビ」



氷のような態度のマッツンに対して、俺達は怯まず仕掛ける。



「今日はその挑発には乗らへんぞ……。喰らえっ、俺の最強の変顔!」



ドリフの志村ばりに下顎を突き出し、目を左右から指で押さえ1センチ角まで縮めた。



「……と見せかけてからの鼻からドングリーー!!」



《ポンッポン!》



「……」



軽やかかつ艶やかに鼻から飛び出した二発の弾丸も、マッツンの笑いのツボには到底命中しない。その顔は死んだ魚の目を彼方に通り越して、道端の石ッコロを見るかのように冷めていた。



「あかん!こ、交代やツヨっさん!」


「よっっしゃあー! 耳の穴に上耳を収納し、さらに瞼を裏返してからの……。全開スマイルーー!!」


《パクパクッ》


「おぉー、笑顔と同時に収納していた耳が穴から飛び出すイケメン捨て身の顔面攻撃! さすが俺の相棒だっちゃー」



俺はすかさず解説ゼリフでツヨっさんの得意技をアシストする。



「おめえら……。こ、殺すぞ」



これでもあかんか! マッツンは笑うどころか、ブンブン鬱陶しい銀バエを見るような目をしている。



「ガっハッハ! マッツン、今日はこんくらいにしといちゃらぁー!!」



完全にメンタルをやられた俺とツヨっさんは、作戦変更とばかりに全力ダッシュで教室に逃げ戻った。そして、深く知らないマッツンの生態をもっとよく知る為に、放課後のマッツン尾行作戦を決行することにしたのだ。





           *





城咲町は『文学と出湯の街』というだけあって、小さいながらも本屋が三店舗もある。小谷川沿いの旅館に挟まれた、レンタルビデオスペースもある『沢口書店』


小規模ながらも駅通りに面した『細川書店』店内はとても明るい。そして、線路沿いの裏通りに位置する『ほそかわ』ここは、文房具が豊富でプラモデルまで置いてあった。


俺達はこの名前の似た二つの書店を区別する為に、細川書店を『オモホソ』ほそかわを『ウラホソ』と呼んでいた。


学校帰りの道順から言ってマッツンは、どうやらこの『ウラホソ』に向かっているらしい。ツヨっさんの言っていた“万引き”と言うイガイガしたワードが、消しても消しても頭の奥で暴れていた。



見つからないようにマッツンの後をつける。自然と刑事ドラマ『太陽に吠えろ』のテーマ曲が脳裏に流れている。ふいに振り返りそうになったマッツンに反応して、ツヨっさんが身を翻し物陰に隠れた。


いつの間にか手は指差しポーズで銃の形に。そしてその鋭い眼光はまさにデカ。流れている……、彼の頭にも『チャラチャ~、チャラチャーー♪』が間違いなく流れている。


と、『あはぁ』なことを考えている内にウラホソが見えてきた。案の定店前で立ち止まるマッツン。


一歩前にいたツヨっさんが、急に「隠れろ」の合図をした。



「ゴリさん、どうした?」


「誰がゴリさんだいや! しょうもないこと言っとらんと、あれ見てみぃ? あの噂ホンマかも……」



「あの噂」で俺は現実世界に引き戻された。ここからでも、明らかに待っていた雰囲気の中学生が一人、マッツンに近づくのが分かる。


二人で一言三言話したあと、中学生は店の中には入らず、マッツンだけがウラホソに入っていった。


見張っているのかなんなのか、中学生は店先で胡座をかいて座っている。



「あ、あ、ちょ、カコやん!」


「あちゃー、やっぱミサコもおるな」



タイミング悪くいつもの二人がウラホソにやって来た。脇で座る中学生には目もくれずカコとミサコは店内に入っていった。


だが、タイミング悪くと思っていたのは、どうやら俺たちだけではないらしかった。カコとミサコを避けるかのようにマッツンがコソコソと店から出てきたのだ。


邪魔が入ったことにイラつきを見せる中学生と共にマッツンはどこかに消えた。今までの経験から言って、あのお騒がせ女子二人に見つかっては後々面倒な事になるに決まっている。


俺とツヨッさんも、とっさに隠れたこの場所から身動きがとれないでいた。



「シマダイちゃん、とりあえずカコとミサコには出くわさん方がええな」


「そうやなぁー、ほんでもこのままじっとしとってもしゃぁーないしなぁ。マッツン見失っちまったし」


「いや、それはたぶん大丈夫ちゃうか。ここで中学生が待っとったって事は、あの二人が用があるのはウラホソだけなんやろ。暫くやり過ごして帰ってくるかもしれんしな」


「さすがヤマさん、推理冴えとんな」


「なんでヤマさんだいや!ゴリさんよりさらにオッサンになってるやん。ボギーって呼んでボギーって」


「それはアカンちゃ。ボギーは俺やもん、譲られへんでぇ」



俺は七曲署のデカの中では世良公則扮するボギーのファンだった。アウトローな感じが堪らなく格好良かったのだ。



「ツヨっさんはボギーって感じちゃうなぁー。どっちかって言ったらラガーやろ」


「ラガーって、徹めっちゃ太ってきてるやん!」


「シーッシー! カコ達やっと帰ってくわ……。うん?」


「あかん! 店の前で何か一緒に本読み出してるーー」



とにかくあの二人がウラホソから帰らない限り、何も始まらないし動けない。しびれを切らした俺は、またツヨっさんに無理を聞いてもらうことにした。



「なぁーツヨっさん?」


「あかんでー、あかん。今日は相手が悪すぎる、ワエも最後まで付き合うって決めとるんやから」


「まだ俺なんも言うてへんやん」


「どうせワエに、あの二人こっから引き離してきてくれって言うんやろ?」


「ハハッ、流石ツヨっさんやな。まぁーマジな話、いつまでも二人してここで隠れとるわけにもいかんやろ」


「まぁー、……そうやけど。あーー、もうわかったっちゃ!ワエがあの二人何とかしてくるわ。そんかわし」


「そんかわし?」


「絶対一人で無茶するなよ」


「もちろん。だって……」


「「睨めっこの続きしてくる」」



ヒグラシが鳴く声の隙間で、俺たちのセリフもシンクロした。



「――やろ?」


「あぁー」



ツヨっさんが『オモロイもん見つけた』と女子二人を店先から連れ去った途端に、マッツンと中学生がウラホソに戻ってきた。さっきと同じポジションに陣取った中学生を残して、今度もマッツンだけが店内に入っていった。


暫く待っていると、開けっ放しの引き戸からキョロキョロと辺りを見渡しながらマッツンが店先に出てきた。コソコソと雑誌らしき物を中学生に渡すのが分かる。


大振りの白い学生鞄をガバッと明け、中学生は素早くその雑誌らしき物を突っ込んだ。それを見るマッツンの顔が一瞬とても悲しそうに見えたのは気のせいだっただろうか。



ビンゴか……。



あえて同級生と店内で一緒になるのを避けたこと。袋に入らないまま持ち出され、コソコソと渡された雑誌。胸の奥でイガイガが止まらない。


ウラホソと言えば、店番をしているのはずっとお婆さん一人きりだったはず。口数こそ少ないが、ガチャガチャ煩い俺達にも、いつもニッコリ優しく対応してくれた。そんな優しいお婆さんの目を盗んで、よくもアイツら……。



「おぇマッツン! こんなとこで何しとんだえ!!」


「シマダイ……、おめぇ」



ふいに現れた俺達に珍しく驚いた顔を見せたマッツンだったが、すぐにまたいつもの調子に戻った。



「おめぇこそ何だいや! ここんとこワエの周りばっかしウロチョロしやがって! 気持がちわりぃ」


「うるせぇー!! さっきそっちの奴に渡しとったもんは何だいや」


「あぁー? オメエには関係ねぇだらーが、ほっとけボケ」



まさか見られていたとは思わず、焦りを隠すかのようにマッツンも声を荒げる。



「おえクソチビ。“そっちの奴”ってワエのことか?」



ここでようやく胡座をかいていた中学生が立ち上がった。遠目からではあまり分からなかったが、とんでもないデカさだ。上背もあるにはあったが何よりもそのガタイが凄かった。


土管が起き上がったかのような巨体。中学の制服を来たオッサンがそこに立っていた。



「そうじゃ、学生服なんか着て仮装大賞かオッサン!」


「おい靖、こいつめっちゃムカツクけど、別にしばいてもええやろ? それともアレか? お前のツレなんか?」


「ツ、ツレなんかとちゃうわ! 兄ちゃんの好きにしたらええ。ワエには関係ない、知らんわ」



マッツンはそう言い残し、振り返りもせずに帰っていった。



「ちょー待てやマッツン! まだ話が……うごっ!!」



一瞬背中が爆発したのかと思う程の痛みと衝撃を受け、俺は前のめりに吹っ飛ばされた。オッサンの丸太のような足から不意に繰り出されたひと蹴り。


何とか膝をついて地べたに這いつくばるのだけは回避した俺だったが、今更ながらにツヨっさんが言っていた『相手が悪すぎる』という言葉の意味を一向に引かない痛みと共に噛み締めていた。



「――なるほど、こりゃぁーキツイわ」


「何をブツクサ言っとんじゃクソチビーー!」



そりゃアンタに比べれば誰だってクソチビだろうと思いながら、ガードする腕ごと二撃目の蹴りを後頭部に喰らった。



「ワエは野球部のエースだでな。大会前に手ぇ使いたねえし、おめえみたいなショベー奴、足だけで充分だっちゃ」



腹、膝、尻……。執拗に蹴られながらも反撃の糸口を探す……いやいや、相手は中学生。そんなに甘ないわ。


何十回と蹴られズタボロにされながら、唯一今の俺に出来ることを閃いた。



絶対に泣いてやらない。



悔しくて溢れそうになる涙を拳の裏で何度も押さえつけ、俺はギリリと奥歯を鳴らした。


ツヨっさんゴメンな……、たまにはちゃんとツレの言うこと……聞いとけばよかったな。


マッツンもゴメンな……、ほんまに俺……お前を笑かしちゃりたかったんやけど。


あ、そうそう……ドマソンもだ。せっかく一緒に城咲中のてっぺん取ろうって誘ってくれたけど、俺はこの程度だったみたいやわ。


何か痛いのか痛くないのかも、わからんくなってきたな。え?そんな怒んなやドマソン……。なんかアンタの声妙にリアルで笑けてくるっちゃ……。



「……ダイ、……マダイ!」



……? へへへ、ほんまリアルやなぁ。



「シマダイしっかりせぇ! ワエや、ドマソンや」


「マジかぁー、ホンマもんやったんかドマソン。っちゅうか、自分で自分のことドマソンて……へへ」


「あはぁー! しゃーたれ言うてる場合か。まあええ、そんな口がきけてたらまだ大丈夫やな。とにかく立て、ちゃんと自分の足でな」


「あいかわらずスパルタやなアンタは。けど、全然こんなもん平気やけどな」



俺は精一杯の痩せ我慢をしながら、感覚が戻りジンジンと痛みだした両足を踏ん張り立ち上がった。



「ところでドマソン、なんでここにおるん?」


「あ? さっき駅前で偶然両手に花のモテモテ垣谷に頼まれたんや。やっぱワエ、アイツは好かん」


「ハハハ、納得」


「おぇーーーーーーーー!!クソチビ二人!! いつまでワエをスルーしとんじゃボケーー!」



あ、オッサンのこと、すっかり忘れとった。



「シマダイ、おめぇ取りあえずウラホソの店ん中入れ」


「え?」


「おめぇクソボロ過ぎて目立つし邪魔なんだわいや。ここはワエに任せてとにかく行け!」


「いやちょっと待てドマソン、相手はあのバケモンやぞ。それに、アイツが素直に通してくれるわけないやんか」



自分がこれ以上ここにいても足でまといにしかならないのはわかる。邪魔だっていうのがドマソンの優しさだってこともちゃんと……でも。


すると、ドマソンが両手を目一杯に広げ、見覚えのある格好になった。このポーズの後に聞こえてくるのは勿論あのセリフだ。



「キンコンカンコンキンコンカンコン! シマダイ、ワエが踏切だって事おめえが一番よう知っとるだらぁーが。こっから中には誰にも入らせへん」


「ド、ドマソン……」


「ほら、さっさと行けっちゃ。いつか言っとったやんけ、お前は汽車なんやろ? キンコンカンコンキンコンカンコン……」


「あー! お前どっかで見たことあると思ったら、石川のお気に入りのヤクザのボンボンやんけ。ワエがそんなことでビビると思うなよ!」


「キンコンカンコンキンコンカンコン!」



踏切と化したドマソンは、オッサンを睨み据えながらひたすら呪文のように警報音を叫び続ける。一歩一歩ジリジリとオッサンに詰め寄りながら、とうとうウラホソの入口まで俺専用の線路を引いてくれた。



「今だっちゃ!」



ドマソンの声に背中を押され、俺はズルズルと脚を引きずりながらも何とかウラホソの店内に入り込んだ。ボコボコの俺を見てもお婆さんから特に反応はなかったが、『座り』と丸椅子を一つ貸してくれた。



「クソッ、やってくれたな」



オッサンがドマソンに話すのが聞こえる。この距離だから当たり前だが、ウラホソに入っても外の声は丸聞こえだった。


ドマソンのバカでかい警報音がさらに鳴り響いている。いくら裏通りといっても、これでは何事かと誰かが集まってくるのは時間の問題だ。


『チッ、めんどくさ』と捨て台詞を残して、オッサンは何処かに消えていった。ドマソンは、とうとう一切手を出すことなくオッサンを退けてしまった。


そして何事もなかったかのようにウラホソに入ってくると、『ええ話がある』とばかりに目を輝かせ俺に向かい話を切り出した。



「実はな、城中の頭言われとる三年の石川ヒロ君って、ワエんちの近所に住んでて昔から仲ええんや。ちょっと言っといたるわ、さっきの松浦ってデカイ奴シバイといてって」


「ドマソン!!」


「何だいや急に。ビックリするやんけ……」


「サンキューなドマソン、気持ちは嬉しいっちゃ。でも、こんだけボコボコにされてコケにされて、誰かに拭いてもらったケツに意味なんてあるんか?たとえ城中に乗り込んででも俺は自分の力でケリつけたるっちゃ」


「シマダイ……」


「うわっ」



ドマソンが、ムキムキの体で俺に抱きついてきた。正直暑苦しい……。



「スマン、シマダイ。俺は今、猛烈に感動している」


「なんやそれ? そのフレーズ、どっかの漫画で読んだ気がするぞ」


「さっきのは忘れてくれ。やっぱりおめえはワエが見込んだ男だけのことあるっちゃ。それに引きかえワエとしたことが……」


「いやいやドマソン、そこまで自分を責めんでも……。ん?まてよ……。そんなに言うならドマソン、やっぱその石川くんに一つだけ頼んどいてくれるか」


「おう、お安い御用や。そん代わり、城中行く時はちゃんとワエも連れてけよ!」


「ハハ……わかったわかったって。遊びに行くんとちゃうっちゅうのに」



オッサンから受けた身体の痛みが癒えた頃、どうしてもと引かないツヨっさんとドマソンを伴って俺は城咲中学校へと向かった。





           *





「よっしゃ。今回の勝負は、この三年A組石川くんが仕切ったる。だあれも文句は無いなぁ? なあー松浦!ええよなぁ!」



ドマソンの幼なじみ、石川くんのよく通る声が講堂内に響いた。城中の頭と言うくらいだから、どんなおっかない人が現れるのかと思っていたが、その容姿は意外にもつぶらな瞳のイケメン風だった。


シバかれたケリを付ける為……という一方的な理由で生意気にも中学校まで出張ってきた小学生三人組を、中学生達は意外にも簡単に迎え入れてくれた。


面白半分……、誰もが退屈しのぎに丁度いいくらいにしか思っていなかったのかもしれない。俺達は目立たないよう放課後の誰もいない講堂へと案内され、石川くんの取り計らいで当事者である“オッサン”こと松浦の兄貴との再会を果たすことが出来たのである。


だが、部活動の準備でただでさえ忙しい時間帯の中、自分を呼び出した相手と理由を理解したオッサンが怒り狂うのに、さして時間は必要としなかった。



「お、おう、ええぞ。こんなチビ三秒で潰したるから何でもええわ」


「ほんなら、島井……とか言うたなぁ? お前が競技選べよ」


「え?」


「え?やないがな。この城中まで乗り込んできた勇気に免じて、勝負のルールを決めさしたる言っとるんだっちゃ。プロレスでも空手でも柔道でも何でもええ、得意なもん言うてみぃや」


「ちょっと待てや石川。ワエは聞いてへんぞそんなもん」


「松浦、お前さっき何でもええって言うたやんけ? こんくらいハンデにもならんわ」


「まぁ……そうやけど。クソッ、おい島井! 早よ決めれえや!」



へへへ……、ほらきた。



「ほんならそうやなぁ……。今巷で大人気のニュースポーツ! クツシングで勝負だっちゃ!」


「……」


「……」


「……?」


(お、おいシマダイちゃん、クツシングなんて俺ら二人でしか流行ってへんやん。全世界で競技人口二人だけやで~。めっちゃシーンとなってるやんか)


(まぁーな。でもきっと大丈夫だで……、なぁードマソン)


(そうやで垣谷。ちょっとま黙って見とってみぃや)



何とも微妙な空気の中、石川くんが気を取り直した様子で喋りだした。



「な、なるほどな! あのクツシングならバッチシや。松浦! まさかお前ほどのもんが知らんわけちゃうやろ? ええよなぁ!」


「お、おう。クツシングならワエもめっちゃ得意やがな。コテンパンにいわしたるわぇ」


(えぇーーーー! シ、シマダイちゃん、いつの間にクツシングってこんな流行っとったんや)



こそこそ呟くツヨっさんの声を聞いて、俺もドマソンも笑いを堪えるのに必死だった。石川くんが続ける。



「よっしゃ、ほんなら勝負の競技はクツシングで決まりや。レフィリーはこのままワエがする。ほんだけど、ギャラリーの中には知らん奴もひょっとしたらおるかもしれんな。島井、ちょっと説明したってくれるか」



さすが石川くん、上手いこと流れを作ってくれたもんだ。俺は予めランドセルに入れておいたマイ上履きを取り出しながら、いつの間にかギャラリーと化し集まっていたちょっと悪そうな先輩方に対し、クツシングの簡単なルール説明を行った。



「ほんならそういうこっちゃ。パシンと相手の名札を先に叩いたもんの勝ち。ラウンド無しの一発勝負。勝ったもんは相手の言うことを何でも一つ聞くこと。レディー……」



さあ、こっからは正真正銘の真剣勝負だ。



「ファイッ!!」



オッサンは身構えたと同時にパンパンに発達した右腕を思い切り振りかぶった。


何をされるのか考える間もなく、俺の眼前に馬鹿でかいシューズが猛スピードで迫ってきた。



「熱つ!」



流石に野球部エースの肩だ。辛うじて顔を逸らし避けたつもりが、遥か後方で転がる靴音と共に火傷のような痛みが俺の頬に走っていた。


見えない傷に手を添え確認してみる。指先が赤いもので濡れている。擦れた頬から染み出るように出血しているのがわかった。



「まつうらーーーー!」



俺じゃない。その怒声は意外な方向から聞こえてきた。石川くんだ。



「おめぇ大事なグローブ投げるってどういうことだえ! もうぜってー素手の方使うなよ。左だけ使えアハー!! 守れへんかったら俺がしばくからな」


「う、うるせえなー。何でこんなルールいちいち……」


「あぁーー?」



オッサンを睨みつけたその顔は、ジャカルタさえ遥かに凌ぐ程おっかなかった。 



「けっ。こんなクソチビ、片手くらいが丁度ええハンデだわいや」



凄むオッサンを他所に、さっきの先制攻撃で自分の血を見た俺は、何故か返って冷静になれていた。


あれ? ナナから貰った絆創膏、まだランドセルに入ってたっけか……。まぁーええか、帰りにカコんちでも寄って帰るかな。



「われ、何ボーッとしとんじゃい! ワエはここやぞ!」



そう言いながらオッサンは、グローブの残った左手のパンチを繰り出してきた。リーチも長い、パワーもある。だがこの勝負はあくまでクツシングだ。


名札に先にタッチすれば勝ち。大振りのパンチを掻い潜れば何時でもオッサンの胸に手が届きそうだ。それでこの勝負は終わる。



――でも、気が変わったっちゃ!



喧嘩では到底中三のオッサンには敵わない。ドマソンに頼んで石川くんを巻き込み、得意なクツシングでの勝負に持ち込んだ。


でもなぁー、それじゃぁーどうにもこうにも腹の虫がおさまれへん。こないだやられた分と今日切れたほっぺたの分、辛そうだったマッツンの分、キッチリ食らわしたらんな……俺じゃねぇーわ。


相変わらず、オッサンはブンブン腕を振り回しながら猪のように突っ込んでくる。完全に俺を舐めている……、だったら!


俺は両手に嵌めこんだ靴をウサギの耳のように頭上でピタリと揃えた。突進してきたオッサンのパンチを寸前に屈伸で交わし、勢いのままに渾身の力で跳ねた。


それは丁度グローブである靴越しに頭突きする格好となり、『バキャッ』という硬質の打撃音と共にオッサンの顔面へ見事なまでにめり込んだ。



「はっぶぅー!」



断末魔をあげながら仰向けに吹っ飛んだオッサン。両手で顔面を押さえながらうんうん唸っている。


鼻っ柱に思いっきり食らわせられて涙の出ない奴はいない。これはもはや生理現象のようなものだ。



「どうや、必殺の四十三センチ兎拳の味は! 俺の勝ちやなオッサン!」



二十一・五センチの上履き二つ分。今思いついたにしては、なかなかのネーミングだ。


巨体を跨ぎオッサンの顔を見下ろすように威勢良く立った俺は、片方の靴を空高く振りかぶると、松浦と書かれた白い名札めがけ思い切り振り下ろした。



〈パーーン!〉



「勝負ありーー!!」



石川くんの良く通る声が講堂に響き渡った。予想外の決着にギャラリー達もどう反応すればいいのか戸惑っている様子だ。


静まり返る講堂内、最初に口を開いたのは意外にもオッサンだった。



「……言えや」


「へ?」


「へじゃないやろ。負けたもんは勝者の言うこと何でも一つ聞くんだらぁーが。それに、いつまで人の上に乗っとんだいや」


「お、おう。そうやったな」



俺はゆっくりと上体を起こし胡座をかいたオッサンの前で、同じように胡座をかいて座った。それにしても面と向くと余計に感じる、腰を下ろしたというのにこのデカさ。よくもまぁー勝てたもんだ。


「じゃ松浦、ええんやなぁー」


「あぁー。そういう約束や、しゃーない」


「だってよシマダイ。何でも言うてみぃや」



いつの間にか石川くんもシマダイ呼びになっている。



「なあーオッサン……じゃなかった、松浦くん」


「あぁー」


「あんた放課後、弟のマッツンにウラホソで万引きさせてるやろ?」


「ちょ、ちょっと待て、なんの話や。ワエはそんなことさしとらんぞ」


「え!? 嘘やん! 俺がこないだあんたにボコられた日も、マッツンめっちゃキョロキョロしながら店から出てきて、あんたに何か渡してたやんか」


「おう、それは確かに受け取ったわいや。ほんでも、何でそれが靖に万引きさせた事になるんだっちゃ」


「しらばっくれとんちゃうか? だったら、何でマッツン女子たちに隠れてコソコソしとったんだいや!」


「あ、あれはやな……、あれはそのお~」



松浦のオッサンがその巨体に似合わず、顔を真っ赤にしながらモジモジし始めた。正直キモイ……、ある意味今日一番ダメージを食らったかもしれない。



「松浦、もうしゃーないやろ。この際ハッキリこいつらに説明したれや」



お、さすが石川くん、ナイスフォロー。


石川くんに促され、渋々オッサンは万引き騒動の真実を語り始めた。



「あの日、ワエが靖から受け取ったのはな、受け取ったのは……クソッ。ボムや」


「何! ボムーー!? ……って。それ何やツヨっさん」


「何だいやシマダイちゃん、ボムも知らんのか? ビー、オー、エム、ビー、BOMB!アイドル雑誌やんか。水着姿満載のな」


「へー、そうなんか。雑誌は少年ジャンプしか読まへんからなぁー俺。で?」


「で?じゃないやろ! ここまで説明してまだわからんか!」


「すまん、話がまったく読めん」


「シマダイちゃん、その手の話は苦手やからなぁー。結局このオッサンは、恥ずかしいて自分でよー買わんエッチな本を、弟に買わせてたっちゅうこっちゃろう」


「エッチな本とは何やエッチな本とは! 今月はおニャン子特集やぞ、見逃せれんのじゃ」



見逃せれんと力一杯に答えられても、そもそもそんなに見たかったなら、あんなにコソコソしないで堂々と自分で買えばいいんじゃないのか。



「そこんとこがシャイな中学生と、ガキんちょ小学生との男心の違いっちゅうもんや。ウラホソの婆さん、雑誌は袋に入れてくれらへんやろ? あんなむき出しな表紙女子にでも見られてみいや、ワエは恥ずかしいて二度と学校に行かれへんわいや」


「そ、そんなんマッツンだって恥ずかしいの一緒ちゃうんか! あんたはよう買わんから弟に買わすって無茶苦茶な理屈やん」


「アホか、靖のことなんてイチイチ考えてられるか。弟たるもん兄のために働くんは当たり前じゃ」


「うっわーー、最悪」


「あ、松浦、今のはワエも流石にちょっと引いたぞ」


「ケッ、どうとでも言ってくれ」



こうなるともうオッサンに聞いてもらうことなんて、一つしかない。



「松浦くん、あんたもうマッツンに本買わすのん禁止な」


「おう、そう来る思ったわ。しゃーない、何でも言うこと聞く言う約束やしな」


「あーーあ、アホらし。ほんなら用事も済んだしツヨっさんドマソン、帰らーか」


「お前、もしかしてこの為にわざわざ城中まで来たんか? あんなけボロボロにされといて、ほんま無茶苦茶なやっちゃな」


「あんたにだけは無茶苦茶言われたないわ! あぁー、それからマッツンな、マッツン、ここ最近アイツに付きまとっててさらに思ったんやけど、いっつもいっつもピリピリパリパリしてて周りと衝突しとる。口を開いたら誰かを攻撃するか嫌味を言うか……」



事実、ここ何日か今までにない程マッツンに注意を払っていた俺たちは、予想はしていたものの何度となくそういった場面に出くわし、いい加減辟易していた。



「ふん……そうやろな。まぁー最近は家でもほとんどワエとも喋らへんしな」


「うん、まるで静電気の塊が服着て歩いとるような奴やわ。たぶんアイツ自身それが普通になってて麻痺しとんやろな……。自分も痛いのに、気づかへんふりして……」


「ハッ! 情けないやっちゃ。兄貴である強靭なワエをもっと見習えっちゅうんじゃ」


「だから!……だから、アンタは強いんやろ? 静電気なんて平気なくらいその手は強いんだろうが! だったらもっと触れちゃれよ!」


「島井……」


「あんなしょうもない命令しとらんと、これからはもうちょっとマシな兄貴になったってよ。……それだけや、ほんじゃーな」



こんなクソガキにあれだけ言われりゃ、オッサンも何か変わるやろ。変わってくれなきゃ困る。最初はあんなに恐ろしく見えたはずの城中の校門を、今はもう不思議と何も感じなかった。



「シマダイ!!」



絆創膏を探そうとランドセルをゴソゴソしていた所で、石川くんに呼び止められた。



「ありがとうな。トモがワエ以外の奴とあんな風に楽しそうにしてんの、初めて見たわ」


「俺も、ドマソンに石川くんみたいな幼なじみがいたなんて思えへんくて、おまけに変な頼み事まで聞いてもらっちゃって……」


「ええってええって。そう言えばアイツは?」


「あぁー、何かウズウズするって先帰った。多分シャドウボクシングでもしたなったんちゃうかな……ハハ」


「アイツがここに入学してきた時、もうワエはおらへんのやなぁ。お前らが……、お前がこの城咲中をどんな風に変えていくのかこの目で見たかったわ」


「ハハ、それは買い被りすぎだで石川くん。俺はただのアハァーなしゃーたれ小僧だっちゃ」


「フッ、……そうか」


「ムヒヒ、そうです。ほんなら」





           *





「ん? なんだこれ!?」



あの騒動から数日後、ツヨっさんが下駄箱で見慣れぬ物を発見した。



「どないしたんツヨっさ……ん!! それって。下駄箱の中に手紙ってまさか」


『ラブレターちゃうんか!!』



最後がヒガヤンとハモッた。


下駄箱には蓋なんて付いていない。木質に馴染む茶色い便箋からは『下駄箱に馴染んで他の人に見つかりませんように……』という乙女心が伺えた。



「誰なん、誰からなん!」


「興奮しすぎだっちゃシマダイちゃん、まぁー待てって」



そこはツヨっさんだ。俺たちの前でデリカシーなく手紙の封を開けたりはしない。それは分かってる、分かってるけど。それならせめて名前だけでも知りたいのが男の性だ。



「ツヨっさん、中身まで見せてとは言わへんやん。誰からか知っとかな、恋愛相談にも乗れらへんっちゃ。なぁーヒガヤン」


「う、うん。そうだで、の、乗れらへんで……」


「別に誰も相談するなんて言ってへんがな。あ~もう、しゃーれへんなぁー、名前だけだで」


「お、おう」



ツヨっさんは、仕方なさそうに手紙をチラ見しながら言った。



「山根恵子や」


「えーー!! ヤマケイか! ミサコからと違ったんか~」


「あいつは、こんな手紙くれるたまとちゃうやろ……」


「まあ……な」



そう言ったツヨっさんの顔は何処か寂しそうに見えた。


しかし、ヤマケイとは驚いた。いつもツッパッて一人でいる事の多いヤマケイ。思い出しても、ポケットに手を突っ込んで窓の外を眺めている姿しか思い浮かばないくらいだ。


生まれながらに色素が薄いらしく、髪は艶やかな栗色で肌も白かった。切れ長の猫目は普通にしていても少し不機嫌に見える。そんなヤマケイが、ラブレターを出すなんて……。



「どないするんツヨっさん?」


「どないもこないも、まだ読んでもないんだで。ちゃんと読んでから、自分で考えてみるっちゃ」


「ふ~ん……。ふう~~ん」



何かせっかくラブレター貰ったのに、余裕綽々って感じ……。悔しいけど、流石俺の相棒だわ。



「ぅあーー!!」


『いぃーー!?』



「なんだいやヒガヤン! ……ビックリさすなや」


「ホンマやで、急にでかい声出してどうしたんだいや」


「あ……、あ、あれ」


『うん?』



ヒガヤンの指さした方向は、俺の下駄箱だった。靴下を履かない派である俺の汚れた運動靴の上に、白い便箋らしき物が見えた。まさか……。



「シマダイちゃん!」


「おいや!」



自分の下駄箱目掛けて一目散に駆け出した俺は、その未知の物体が確かに手紙であることを確認した。そして、神々しいばかりのその白い便箋を両の手でしっかりと握り頭上へと掲げる。


この世に生まれ落ちて十一年、初めて触れるこのパリフワ感。神様ありがとう、これが……これがLOVEなレターと呼ばれる物ですかーーー!!


俺はこの記念すべき便箋を、集団下校で一年生と手を繋ぐ時以上の優しさで、丁寧に丁寧に開けてみた。俺はツヨっさんとは違う、家までなんて待っていられるか。



「ええか? よ、読むぞ」


『お、おう』



ツヨっさんとヒガヤンがゴキュリと喉を鳴らす。




           *

    



シマダイヘ


勝負しろ

放課後 

校庭の金次郎前で待つ

     

        松浦 靖



         


           *




「シマダイちゃん……、これって」


「ラ、ラブレターってゆ、言うより……」


「君たち、皆まで言うな。俺が一番分かっとる。『果たし状』……やな」


「プ、クク……、まぁーよーあることやわな。果たし状と……プヘッ。ラブレター見間違うって」


「そ、そうだっちゃ。ブフッ、ラブレターと言えば……フフ、は、果たしじょ」



ねぇ神様、気を遣われる方が辛い時って、人生にはあるんですね。



「遠慮はいらん。笑ってくれたまえ」


『ブーーーーーーー!ギャハハははははハハハ、ブァハハハハはははは』



〈ゴン!!〉



「笑いすぎやー!」


「痛ってー、ハハ……わりぃわりぃ。ほんでもこれ、マジでマッツんからだったら……」


「あぁー。最高の……ラブレターやん」





        *





校庭の金次郎とは、中庭にある二宮金次郎の石像のことだ。大きさが三メートルほどあり、ちょうど職員室から見ると死角になるちょっとした城咲小の人気スポットである。


手紙の通りに放課後金次郎の立つ場所まで行くと、本当に俺を待つマッツンの姿がそこにあった。傑作なことに、両手に自分の靴を嵌め込んで仁王立ちしている。


準備は万端というわけだ。



「待たせたなぁーマッツン!」


「こっちこそ兄貴が……、兄貴が世話んなったみたいやなぁ。シマダイに会ったら『今のワエの手のひらは最強に鋼鉄や』言うといてくれってよ。なんのこっちゃ?」



プハッ、鋼鉄やったらめっちゃ電気通してまうやんかオッサン。



「あぁ?」


「いや何でもない何でもない、こっちの話しだっちゃ。それに、マッツンの兄貴に会いに行ったのは俺の個人的な仕返しだでな。オメエが気にする事ちゃうわ」


「クソッ、訳わからん! 何だお前は、何なんだ。めんどくせえ……、いちいちお前はめんどくせえんだよ!!」


「ほんでこの果たし状か? そのお陰で俺はとんだ笑いもんにやなぁ……」


「もうええ! シマダイと喋っとったらこっちの調子が狂うんじゃ。とっとと勝負せぇや!!」


「クツシングでか?」


「おう! お前の土俵で戦ったる。クツシングで決闘じゃ!」



うん、今日のマッツンは静電気じゃない。ちゃんと熱いわ。



「よっしゃ、この勝負受けたる。でもその前に、俺からも一言だけ言わせてくれ」


「お、おう。なんだいや?」


「クツシングはなぁ」


「クツシングは?」


「屋内競技やぞ」



「……へ? ……え?」



「そりゃそうやろ? 誰がオメエみたいに裸足の足グッチャグッチャに汚して短い休み時間に外で競技するんや」


「垣谷……、そうなん?」


「あぁー、まぁーな」


「……。そうか、フッ。そんなことも知らんと、ワエはこんな目立つ格好してお前らを待っとったんか。かっこわるぅ、ハハハ……へへへ、アッハッハッハハハハ!」



お、何だマッツン。お前だってやっぱそんな風に笑えるんやん。



「ムヒヒ、マッツン。たまには格好悪いのもええもんやろ」


「へへへ どうやろな。シマダイみたいに、いっつもだったら勘弁やけどな」


「誰がいっつも格好わるいんだいや!!」



さすがのマッツンも気を削がれたのか、目を点にして固まっている。へへへ、ラブレターの恨みはこの辺にしといちゃるか。



「そうやなツヨっさん! 競技人口も一人増えたことやし、屋外バージョン解禁するか!」



俺はそう言いながら、靴下を投げ捨て運動靴を両の手に嵌めた。お? 素足で土を踏みしめるのも意外と悪くないんだな。


ファイティングポーズを取り、真っ直ぐにマッツンの目を見据える。アイツも、すぐに俺を見返す、痺れるくらい……真っ直ぐに。



「いくぞマッツン!」


「おっしゃ来いやーー!」



観客は二宮金次郎一人だけ。ゴング替わりのツヨっさんの声が、放課後の裏庭に響き渡った。


高い高い空にほんとバカみたいに大きく、響き渡ったんだ。



〈了〉

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シマダイ! - あの日の しゃーたれっ子 -  daima @ta_daima

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