S#10 「ヨー君」…菱村 陽一郎
創業百二十年、江戸安政期から続き数々の文豪に愛された純日本旅館、菱村屋。そして、百を越す客室と五万坪の森林庭園、プールと結婚式場をも併せ持つ、菱村屋城咲グランドホテル。
この双方を経営する傍ら、城咲町長として町政に手腕を振るい、また城咲小学校保護者会「愛城会」の長でもある菱村社長の跡取りにして一人息子……それが菱村 陽一郎、通称ヨー君その人である。
もちろんヘアスタイルは艶々のマッシュルームカット、小学校での成績、立ち振る舞い共に超優等生。この漫画の世界から飛び出してきたような御曹司は、俺のクラスに確かに存在していたのだ。
「今度の学習発表会の班は、好きなもんと組んでええぞ~。今から時間やるで、三人グループ作ってみー」
「やったー!ラッキー」
「よっしゃー!」
五年一組の教室に歓声があがった。皆ガタガタと椅子を鳴らし一斉に席を立つ。今日の五時間目は、間近に控えた参観日の中で行われる学習発表会の班決めが行われた。
『好きなもんと組め』や『自由に相談して決めろ』
まるで生徒を喜ばせるサプライズかのように屡々先生たちが使うこの方法が、一部の者に取ってどれだけ残酷な時間を生むのかを大人達は知らない……。
常に正論を発言しながらも、人との衝突を避ける傾向にある菱村ヨー君。ただ『心正しき人』は眩しすぎて、一部の者とは慢性的にソリが合わないようだった。
『無意識に人を傷つける天才』マッツンも、その一人だ。
「ヨー君こっち来んなや気が悪りぃ!真面目すぎて班がシラけるんじゃ!」
「あ、あぁー、なるほど。僕はあちらに行くとするかな」
ヨー君が表情筋を巧みに動かし、偽りの笑顔で返す。だが、マッツンは容赦なく追い打ちを掛けた。
「そんなもん聞いてへんわいや、勝手にせえや。面倒くさ!」
元々ヨー君がマッツンと同じ班を希望した事実さえないのだが、こんな会話が何故か成立してしまう。空気の軋む音がする…。
その頃俺はというと、早々と班分けを終えていた。今回はたった三人のグループを作るだけだ。ツヨっさんと、放っておくと余ってしまいそうなヒガヤンにも声を掛けていた。
この『自由に相談式』の班分けに乗り遅れれば乗り遅れる程、後には厳しい連鎖が待っている。皆んな早い段階で普段から気の合う友達と班を組み終えてしまう為だ。
「ヨー君ゴメン!もう三人になっちゃったんだわ」
「そうだろうね、いやいいんだ。平気平気…」
「あ、もうワエらーメンバー決まっとるで。向こうの方がええんちゃう?」
「お、そっかそっか。あっちの方に行ってみるかな」
最初のマッツンとの会話が災いしてか中々グループに入れないその様子は、まるでヨー君のタライ回しのように俺には映った。
「ツヨっさん、ちょっと頼みがあるんやけど」
「え、何?」
「あんな、……で、……。」
周りに聞こえないように、俺はそっとツヨっさんに耳打ちした。
「わりぃな……」
「了解、ええってええって」
ツヨっさんが立ち上がり、ナオチに声を掛けた。何とか引越しは間に合ったようだ。
「やっべーーー!」
急に大声を出した俺に、皆んなの視線が一斉に注がれる。
「ヒガヤン!俺らまだアハァ二人だねえかいや、どないする?」
「ど、どないしょ……もうあかん」
「ギャハハハハハハ!」
空気の軋みが薄れ波紋のように笑いの輪が広がっていく。よし、俺はタイミングを見計らいヨー君を呼び止めた。
「ヨー君ヨー君!」
「え、何?シマダイちゃん」
「俺ら今、めっちゃんこピンチなんだわ~。一緒にやってくれへんか?このとおり!」
「こ、こ、このとおり!」
拝むような俺のポーズにヒガヤンも続いた。
「なるほど……わかった。僕でよければ力を貸そうかな」
「よっしゃーー!ありがとヨー君!」
「あ、ありがと、ひ、菱村ヨー君!」
喜んだフリ等では決してない。ヨー君は俺達の思いもよらない知識で、沢山沢山助けてくれるはずだ。
「うわ! シマダイの班最悪やな! シマダイかわいそ!」
その時、歪に尖った言葉の矢尻が、ヨー君の背中を突き刺した。矢を放ったのは、やはりあの男だ。
「クソったれー!! マッツン!」
怒りに任せ立ち上がった俺の腕を、当のヨー君が後ろから掴んで止めた。
「ええんだ。シマダイちゃん」
「でも……」
ここで俺が騒ぎ立てれば、返って同じ班の二人を傷つけてしまうかもしれない。
小さく顔を横に振るヨー君に促され、俺はまた席に着いた。その間も、自分には無関係とばかりに涼しい顔を決め込んでいるマッツンの姿が、俺は許せなかった。
その後は班ごとに別れ何事もなく授業は進んでいった。班長になったヨー君の出すアイデアは、宝箱から溢れるように煌めいて、俺とヒガヤンはただただ感心して聞くばかりとなっていた。
(キーンコーンカーンコーン♪)
そして終業のチャイムが聞こえた所で、ジャカルタが話し始めた。
「ほんなら続きは各班、休み時間なり放課後なり使って相談してまとめえ!えぇなあ?………返事!」
『はい!!』
さてと、放課後ときたか……。教室でというのも何だかツマラナイ……でも、俺はバス通で家も遠い。ヒガヤンの家は、お世辞にも広いとは言えない社宅アパートだった。
俺は目一杯キラキラした瞳で、ヨー君を見つめた……あれ?伝わらない……。
今度は祈りのポーズも加えて、目をシバシバさせてみた。シバシバシバシバシバ~~☆、気分はアイドルだ。
「プハッ、シマダイちゃん」
「何だいや?」
「キモイよ」
「えーー!? マジか!」
「ウソウソ!僕ん家で続きを相談するかな?」
「めっちゃ行きたい!ありがとヨー君!いやいや班チョー!」
俺が友達の家に行くのを好むのには、ちょっとした理由がある。将来オトンの様な大工になると決めていた俺にとって、友達の家は知らない大工さんが建てた一つの作品と呼べる物であった。
その作品を見学に行ける機会を得られたのだ。ドキドキワクワクするのは至極当然の事と言えた。
それに何といっても今回は、あの菱村邸である。いつもはバスで前を通るだけの巨大なホテルの奥に、どんな豪邸が隠れているのか。俺の興味は尽きなかった。
「ちょ、ちょー待って、シ、シマダイ君!」
「がんばれヒガヤン、置いてくでー!」
放課後、早速俺達はヨー君の家に向かった。それ程広くはない城咲町ではあったが、ヨー君の自宅がある城咲グランドホテルは街の一番端に位置している為、小学生の足にすればかなりの距離を歩く必要があった。
とは言っても、それは同時にヨー君が毎日その道のりを歩いて登校している事を意味していた。
「スゲーなヨー君、毎日こんな歩いとるんか?そりゃ足も早やなるはずやんなー」
「まあね…もうなれちゃったけど。ほら、そこの橋渡ればすぐに僕ん家だで。ヒガヤン!もうちょっともうちょっと!」
「う、うん……。あと……ちょっと……フー、フー」
小谷川に架かる最後の橋は菱村グランドホテル専用で、渡るとそのままエントランスに続いていた。
「着いたーーーー!」
「ご苦労様、この奥の中庭を抜けた所に家が建ってるんだ」
俺達がヨー君の後についていくと、従業員らしき人達が次々と声を掛けてくる。もちろん、ヨー君にだが……。
「お帰りなさい陽一郎君」
「お帰りヨーちゃん」
「お帰りなさいませ陽一郎さん」
着物を着た年配の女性から、ホテルマンらしい制服をきた若い男の人まで様々だ。
「うん、ただいま」
「ありがとう、ただいまー」
慣れた仕草で手を上げながら颯爽と歩いていくヨー君は、まるで王子様に見えて一緒にいる俺達まで偉くなった気分にさせてくれた。
ただ物珍しそうにキョロキョロしながら歩く俺とヒガヤンは、お付きの者AとBくらいにしか見えてなかったのかもしれない。
「お坊ちゃんとかって呼ばれてへんのだなぁー」
「そうだね、そういう呼ばれ方はあんまり好きじゃないから…あ、そこの階段を上がるんだよ」
ヨー君が指した方向には、五十段はあろうかという長い長い階段があった。
「ヨー君ヨー君、ヒガヤンの顔見てみい?」
「ブーーー!ヒガヤン、なんて顔しとるんだ!」
「お前階段が嫌すぎて、ドリフの長さんみたいな顔になってるやん!」
「ええ~、そ、そんなことないっちゃ~」
ヒガヤンの返事を合図に、俺とヨー君は笑いながら一斉に階段を駆け上がった。中程の踊り場で振り返ると、ヒガヤンがまだモタモタしている。
『ダメだこりゃ…』
顔を見合わせると自然に二人同じセリフがこぼれ、俺達はまたケタケタと笑った。そして、どちらからともなくヒガヤンを迎えに駆け降り、片方づつヒガヤンの手を引っ張り始めた。
「スッゲーーーー!!」
階段を上がり終えた俺達の前に、これまで見たこともないような洋風の邸宅が現れた。玄関アプローチには自然石が敷き詰められ、マホガニー調の背高いドアへと続く。
一階と二階の屋根はひと繋ぎに流れ、総タイル張りの外壁からは三角形の大きな窓が覗いていた。
「ただいまー!」
「お帰りなさいヨーちゃん、今日はいつもより遅かったわね」
俺は超細い目を作ってヒガヤンを見つめたが、特に気にする様子はない。
「あら?今日はお友達と一緒なの?」
「うん、ちょっと班ごとで相談する課題があってね、僕の部屋でやることにしたから。シマダイちゃんヒガヤン、入って入って」
「こんにちは!島井です」
「こ、こ、こ…」
「ヒガヤン、そんなに緊張しなくていいよ」
「いらっしゃい、島井君と東山君ね。いつもヨーちゃんがありがとう、ゆっくりしていってね」
「はい!おじゃましまーす!」
「お母さんシフォンケーキ焼いたから、後で持ってくわね!」
ヨー君のお母さんは、予想と違って……と言ったら失礼かもしれないが、『お金持ちの社長夫人』というワードから勝手に想像してしまいがちなイメージに反して、明るく朗らかでとても接しやすい人だった。
老舗旅館の女将というよりも都会的な印象を受けたのは、着ていた洋服がとても家着とは思えないきちんとしたワンピースだったせいかもしれない。
そして、自分の話し方の方言が皆んなより薄いのは、関東出身で一番沢山会話する母の影響なんだとヨー君は教えてくれた。
俺達は、すぐに二階にあるヨー君の部屋へと通された。板チョコみたいな重厚なドアを開けると、俺とヒガヤンは思わず声を漏らした。
『ひ、ひっろーー!』
「何帖あるんこの部屋?ヨー君一人で使っとるんやんなぁー」
「そうだで。たぶん十帖くらいじゃないかなぁ、詳しくは分かんないけど」
ちなみに俺の部屋はというと、居間の横にある四帖半の和室を妹と二人で使っていた。ヒガヤンに至っては、自宅が二間と水廻りだけだったので自分の部屋など持てるはずもなかった。
「ふぇーー!さっすが菱村家はちゃうわ~。後で他の部屋も探検してええか?」
「えーー、それはちょっと……」
「頼むわぁー、は~んちょお~~」
「う~ん……まぁー、ちょっとだけならね」
「やったーー!!」
そうと決まれば早く課題をやっつけてしまおうと、俺達はヨー君の机に頭を寄せ合った。ふと、そこに見慣れない物を発見したのはヒガヤンだった。
「ヨ、ヨー君、こ、この三角のは、何なん?」
そこには、ピラミッド型の二十センチ程の物体があった。
「あーこれ?ちょっと押してみて」
「こ、こう?」
ヒガヤンがピラミッドのてっぺんをポンッと叩いた時、聞きなれない音声が流れた。
〈十五時四十六分です♪〉
『しゃべったーーーー!!』
それは時計だった。時刻表示はなく、時間が知りたい時に先端を押すと音声で時刻を教えてくれるという代物だった。しゃべる時計なんて、オカンが腕時計の時刻合わせで電電公社に電話する時しか聞いた事がない……おっと、去年N何とかに変わったんだっけか。
ヒガヤンはよほど気に入ったのか、何度も何度も押しては聞き、押しては聞きを繰り返してニコニコしている。そしてとうとう……
「ヨ、ヨー君、こ、これ僕にちょうだい?」
「えーー!?」
〈パシンッ!〉
「痛てっ!」
俺はヒガヤンのデコッパチを軽く小突いた。
「アホ!しょーもない事言うなヒガヤン。欲しかったらお年玉でも小遣いでも貯めて、自分で買えーや」
「う、うん……ホンマはもう、遅いんだけどね」
「ゴメンな~ヒガヤン。そんなに気に入ったならあげたいとこなんだけど、僕もプレゼントで貰った物だからね~」
「ふーん……お父さんに?」
「いや……。お、お祖父ちゃん……」
ここまで学校とは違い終始柔らかな表情で話していたヨー君が、『お祖父ちゃん』の名前を出した途端、みるみる硬い表情へと顔を曇らせた。
「ま、まぁーそんな事はいいから、続き続き!」
「ほんまだわ、探検する時間がなくなったら困るし早よやっちゃおーで」
「うん。や、やっちゃお」
ヨー君にとって祖父ちゃんが地雷なのを何処となく感じ取った俺達は、頭を切り替え残りの課題に集中して取り組むことにした。
ヨー君がアイデアを出し、俺が膨らまして、それいいね……とヨー君がノートに書き留める。ヒガヤンはウンウンと納得している。
ヨー君がさらにナイスなアイデアを出せば、俺がさらにさらにナイスなアイデアで膨らまし、これで完璧だね……とまたヨー君がノートに書き留める。ヒガヤンはこれでもかとブンブン首を縦にふっている。
ヨー君が超々……もういいか。とにもかくにも俺達は、学習発表会の計画を練り上げノートにまとめ終えた。
「できたーー!!」
「よっしゃー、この計画だったら他の班にも負けれへんわ!」
「お、おわった~。つ、つ、疲れた~」
「えーーーー!? ヒガヤン、ゴメンけどお前うなずいとっただけやん」
「ふた、二人に感心しすぎて……ぼ、僕何も出来ないから、この気持ちを……首の動きに乗せて……そ、そしたら途中から、頭がクラクラ……」
ヒガヤンの頭が、やじろべえのようにグワングワンと揺れている。
「ヒガヤン……気持ちエエくらいのアハァっぷりやな……」
「ブ、ブーーー!アハハ!アハハハハハ……」
ヨー君は大爆笑だ。こんな姿は学校で一度も見たことがなかった。少し驚いた……でも……嬉しかった。
〈コンコン〉
「ヨーちゃん入るわよ~。今日はとても賑やかね、シフォンケーキ持ってきたから皆んなで食べて」
「ありがとう!じゃ、やる事やったし、おやつにしますか」
『待ってましたーーーー!!』
シフォンケーキという物を初めて食べたが、それはそれは美味しかった。ふわふわのスポンジをお皿の生クリームに潜らせて口に運ぶ。何て柔らかさ……舌が笑っている。
「ええなーヨー君、いっつもこんなん食べてるん?俺なんて昨日のおやつ、婆ちゃんに貰った干し芋と裏山で拾った椎の実だで」
「椎の実?」
「えー知らんのか~椎の実……。こんなに山持ってるのに?今度学校持ってきちゃるわ!教室のストーブでちょっと焼いたらめっちゃ美味いで」
俺はそう言いながら、窓から見える森林庭園に目をやった。
「ハハ、ありがとう……ブーー!。ヒガヤンヒガヤン顔にクリーム付けすぎ!ほんまヒガヤンってオモロイなぁ~」
「そうやろ?こいつめっちゃ楽しいのに、何で皆んな気づかへんのかなぁ~」
「本当だね。僕も知らなかった……」
「ヨー君もだで?」
「え?僕?」
「うん。そんなに楽しそうに笑えるのに、学校ではいっつもどっか無理してへんか?」
「そ、そうかなぁ?自分では普通にしてるんだけど……」
「マッツンの事もそうだで。腹たったんなら言うたったらええのに……、アイツなんぼでも調子乗るで?今日もホンマはムカついてたんやろ?」
「まぁそれは……そうだね」
ヨー君が手に持ったフォークを皿に置き視線を落とした……。
「み、皆んなが皆んな、シマ、シマダイ君みたいには、出来ないよ……」
「ありがとう……ヒガヤン」
その時、一階の玄関ホールから太く大きな声が響いた。
「陽一郎!陽一郎はおるか!!」
ヨー君の顔が一瞬で凍りついた。さっきまで大爆笑していた人物と同じとはとても思えない、固く冷たく怯えさえ感じる複雑な表情だった。
「あ、あらお義父さん、いらっしゃいませ。ヨーちゃんなら今お友達と部屋で勉強を……」
「ふん、邪魔するぞ。」
小柄ながらも眼光鋭いその老人は、ドカドカ足音を響かせ階段下まで突き進んだ。
「陽一郎!降りて来なさい。話がある」
「あ……。お、お祖父ちゃんが来たみたい……ちょっと行ってくるね。適当にその辺探検して待ってて」
「大丈夫なんかヨー君?一緒に行こか?」
「ハハ、大丈夫大丈夫。さて、行くとするかな……」
「ヨ、ヨー君……」
仕方なく俺達は二階で待っている事にした。だが、明らかに普通じゃない様子のヨー君が心配だ。階段ホールの手すりに隠れ下の様子を伺う事にした。
「あ、お祖父ちゃんいらっしゃい。今日はなあに?」
「陽一郎お前、此間の運動会二番だったそうじゃないか!何で一番じゃないんだ。」
「え……でも、一位の上坂君って物凄く足が早いんだ。僕なんかじゃとても……」
「何だと?では何で負けるのが分かってて出たんじゃ。そんな事なら最初から出るなバカタレ!」
「で、でも……」
「そ、そうですお義父さん、頑張ったんだから二番だって充分立派じゃないですか。それも、たかだか子供の運動会で……」
お祖父ちゃんの剣幕にたまらずお母さんが割って入った。
「ふん、陽一郎はこの菱村の跡取りじゃぞ。どんな勝負でも勝っていかにゃぁならんのだ。負け癖が付いてからじゃ遅いわ!」
「ゴ、ゴメンなさいお祖父ちゃん……。次はきっと頑張るから……」
「頑張るのは誰だって頑張るわ。一番になれ!運動でも勉強でも、遊びでも。あらゆる事で勝っていくんじゃ」
「は、はい……。一番に……なります」
「うむ……来年は中学受験もある、気を引き締めなさい。菱村に関わる何百という人間がお前を見とるっちゅう事を自覚せぇ」
俺とヒガヤンは何も出来ずに唯々呆然としていた。いい家に住んでいるとか、美味しいおやつを食べているとか、沢山の物を買って貰えるとか……。
ヨー君の上辺だけを見て、正直羨ましいとさえ思っていた自分達を恥じた……。
「シ、シマダイ君……。ヨー君て、し、城中には行かないんだね……」
「うん……」
「せ、せっかく、仲良く……なれたのにね」
「うん……」
「シ、シマダイ君?」
「……ん?」
「あ、あれ見て?」
「何だいや……!? あれは……」
ヨー君の部屋の隣の大きな和室。引き戸の隙間から見えた「それ」に気付いた俺達は、吸い寄せられるようにその部屋に入った。
家紋の下、『陽一郎』と大きく金色に刺繍されたのぼり旗に挟まれ、豪華な鎧武者が座していた。恐らくヨー君の初節句にお祖父さんから贈られた物だろう。
ヨー君、君はその小さな胸の奥をこの鎧で固めてしまったのか。過度な期待や僻み妬みから浴びせられる言葉で心が傷つかない様に、菱村家の跡を継ぐ重圧に押し潰されてしまわないように……。
でも、その鎧は心を守ってくれる代わりに、触れようとする手も拒んでしまう。もしもその鎧が重くて苦しいのなら、一つずつでいい……ゆっくりでいい、外す手伝いを俺にさせてくれないか。
俺は意を決し和室を出て階段を降り始めた。
「ちょ、シ、シマダイ君どこ行くん!ぼ、僕行かへんで~。あのお祖父さん、こ、怖すぎるしー、部屋に戻っとくで~」
一階に降りた俺は、固まっているヨー君の隣に並んだ。
「ん?君は誰だ、あぁ 陽一郎の友達か……。 陽一郎も一緒に城咲中学に行かせてくれとでも、ワシに頼みにきたのか?」
「違います。中学の事は言いません」
「何故じゃ?中学でも陽一郎と一緒におりたいとは思わんのか?」
「それは思います。だけど、私立の中学に行くことがヨー君の希みで、それが夢を叶える近道になるんなら止める権利は俺にはあらへんから……ただ」
「ただ……何じゃ?」
「ヨー君は、戦ってます。毎日毎日、誰にも負けずに……精一杯戦ってます」
「戦う?」
「はい。さっきお祖父ちゃんが言ってたみたいに、日常の出来事全てが勝負事なんだとしたら……。めげず腐らず真っ直ぐに立って、重い重い……あの鎧を着て。俺には、とても真似できないです」
「鎧?あぁ、ワシが買ってやったあの鎧か?ふん、面白いことを言う小僧っ子やな……それで?」
俺はお祖父ちゃんから目線を外さず、ヨー君に語りかけた。
「なぁヨー君、俺は何でもかんでも一番にならなあかんとは思わへん。だけど、毎日が勝負みたいなもんっちゅうのは、ちょっと分かる気がする」
「うん……そうだね」
「倒そう」
「え!?」
「この祖父ちゃんを、俺達で倒そう!」
「お、お祖父ちゃんを倒すって!?」
「だって、全部が勝負っちゅう事は、祖父ちゃんとヨー君だって勝負やん。勝つっちゅうのは倒すって事やろ?」
「う、うん」
「ヨー君が祖父ちゃんに勝つにはどうすればいいのか……立派な社長さんになった時がそうなのか、まだ俺には全然分からへんけど、方法なんてこれからいくらでも考えたらええんとちゃう?」
「僕が、お祖父ちゃんに勝つ……か。ちょっといいかも」
「ヨ、ヨーちゃん……」
ヨー君の言葉に、お母さんが目を丸くしている。
「ハハハ!ハーハッハッハッハッハッハ!ハーハッハッハッハッハッハ……!!」
突然、太く大きな高笑いが玄関ホールに響き渡った。
「お祖父ちゃん?」
「ハッハッハ……面白い!この菱村 陽蔵をお前達が倒すか!そんな言葉、久かたぶりに聞いたわ!小僧っ子、お前名前は?」
「え?あ、島井……島井 大地……です」
「そうか、大地か……名は体を表すと言うが、お前にピッタリのいい名前だ。ご両親に感謝しなさい」
「はい……」
「陽一郎!」
「は、はい?」
「いい友達を持ったな。お前は父親に似て、どうも優しすぎていかん。この大地君から、負けん気を学びなさい」
「うん、ほんとそうだね……。ありがとう、お祖父ちゃん」
「よし、では帰るとするかな、今日は愉快な日じゃった……。あ!そうじゃ大地君、今度は陽一郎と菱村屋本館に来なさい」
「ほ、本館ですか?」
大きな声を出したのは、意外にもお母さんだった。それもその筈、菱村屋本館は一見さんお断り、VIP御用達の超高級旅館なのだ。そこに子供が遊び来た試しなど無いに等しかった。
「いいんじゃいいんじゃ、ワシが将棋で勝負の何たるかを教えてやるわ!」
お祖父ちゃんはそう言うと、ドカンとドアを閉めて帰って行った。
「あ、嵐みたいな人やなぁ~」
「う、うん……でもありがとう。あんなお祖父ちゃん初めて見たし、何だかスッキリしたよ」
「よかったわ、一つくらいは外せたみたいやな」
「ん?何のこと?」
「イヤイヤ、こっちの話こっちの話……あ!ちょっと待って。ちゅうか祖父ちゃん、あの階段を一人で上がってきたんか?」
「そうなんだよ、タフすぎだよね……ハハ」
「敵わんな~、……あ!!」
「今度は何? ……あ!!」
『ヒガヤン忘れてた!!』
二階に上がると、ヒガヤンはヨー君の部屋で一人爆睡していた。片手にはピラミッド時計……。
早くに亡くなったヒガヤンのお母さんが、目が不自由だった事を思い出した。心優しいヒガヤンの事だ、あの頃にこの喋る時計があれば……なんて思っているに違いない。
俺はもう少しだけ、ヨー君にヒガヤンを起こさないように頼んだ。
きっと今頃お母さんに『いい時計があったんだよ』って渡してる最中だと思うから……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます