窓を開けて 7
息を切らして1年A組に戻ってきた俺は、戸口のところで息をつく間もなく名前を呼んだ。
「一真!」
一真は黒板の文字を消す手を止めて、俺の方を見た。
「何だ」
「今日、日直だよな」
「そうだ。だからこうして黒板を消している」
「話がある。廊下に来い」
俺がそういうと、一真はちらっと教室を見渡した。教室内ではだいぶ注目が集まっているようだ。一真は「ちょっと待ってて」と言って黒板消しに軽くクリーナーをかけて廊下に出てきた。
「何だ」
一真は不満げな顔を見せる。
「今日、窓ガラスが割れた」
俺がそういうと、一真はさらに不愉快そうな顔を見せた。構わず俺は続ける。
「窓ガラスの金網を丸裸にした人は分かっている。だから仮谷先生にも伝えた。本人たちも認めた。でも、その後でとんでもないことが分かった。
1つは窓ガラスは勝手に割れたかもしれないということ。熱でガラスが膨張して勝手に割れることがあるらしい。そしてもう1つ。割れた窓ガラスにはビニールテープが貼ってあった。粉々になった状態でテープを貼ることはできない。つまり、粉々になる前にいったんガラスが割れているってことだ。
一真、日直の仕事で朝雑巾のラックをベランダに出したんだよな? その時にすでに割れていた、いや、窓ガラスを割ってしまったんじゃないか?」
少し経って、「冗談だろ?」と一真は言った。
「それなら普通気付くだろう」
「窓を開けた人なら気付くだろう。でも、今朝はずっとカーテンが閉まっていた。おまけに無風。テープで隙間を埋めればばれなくても不思議はない。おまけに慌ただしかった。一真が朝の会を忘れたから。窓を開ける人もいないはずだ。避難訓練と雑巾の出し入れ以外でベランダに出るのは禁止されているから。わざわざカーテンをめくって窓の様子を見る人だっていない」
蒸し返されたのがムッと来たのか、一真は口を尖らせる。
「でも全校集会の前、集会の後、避難訓練の直後。意外と穴はあるよ」
「窓ガラスが粉々になったのは集会の前だ。本人たちもそう言った。ガラスが割れたことに気付かれずテープで補強できたのはみんなが登校してくる前しかない」
さすがに意表を突かれたようだった。
「誰が最初に登校してきたかはクラス中に聞けばわかる。そうすれば――」
「ああそうだよ、窓ガラスを割ったのは僕だ! 雑巾を出そうと窓を開けたら割れてしまったんだよ!」
廊下中に響くその叫び声に、俺は後ずさりしてしまった。そこまで大声を出したのは初めてかもしれない。一真は俺の目を見た。
「何で言わなかったんだ?」
一真は黙り込んだ。
「なあ、何で言わなかった? 黙っているのはよくないし、どっちみち窓ガラスが割れたことはばれる。あんな危険な状態を放っておいたら誰が怪我をするかわからない。その証拠に今一真は指を怪我している。その時にガラスで切ったんじゃないのか?」
それでも一真は口を開かない。
「犯人捜しなんてやめようと俺が言えばよかったのかもしれない。でも、一真は周囲の人のことも俺のことも止めなかった。後ろめたいって気持ちがあったんだろう? なのに何で――」
「釘宮君、もうやめよう!」
その一声ではっと気づいた。そばには北向さんが立っていた。
「もう正直に言おう。釘宮君がそんな風に言われているの、見てられないよ……窓ガラスを割ったのは、私なんだし……」
一真は唖然とした表情で北向さんを見ている。小刻みに震えている北向さんの指先には、絆創膏がついていた。
暑いと言われてすぐに窓を開けたこと、絆創膏を貼っている理由をごまかしたこと、北向さんも窓ガラスが割れたことに関わっていると考えると合点がいった。だが。
「どうして北向さんが?」
「私が雑巾出した。窓を開けるついでに。出し終えてヒビが入っていることに気付いた。とにかく先生に言いに行かなきゃと思ったところで登校してきたのが釘宮君だった」
北向さんは申し訳なさそうに一真を見た。
「本来の日直は僕だから。北向さんが本当のことを言っても信じてもらえないだろう、と思った。だから北向さんには絶対に誰にも言うな、と口止めした。そして、目に付いたビニールテープで補強した。それがこのざまだ」
一真は絆創膏の貼ってある指を見せた。
「北向さんにきつく言って、隠し事して、怪我までして、しかも友達にばれて。最低だよな」と一真は歩き出した。
「そういうことかい」
一真の足が止まる。俺たちのすぐそばには仮谷先生がいた。北向さんが「すみませんでした」と頭を下げる。一真も「隠していてすみません」と言った。
「なぜすぐに言わない!」
仮谷先生は声を荒げた。
「ずっと隠していたこと自体も問題だが、多少の補強はしてあったとはいえ触ったらすぐにはがれたんだぞ。自分たちも他の人も怪我したらどうする、とかそういうことを考えなかったのか?
割れていたものは仕方ない。わざとやったなら説教もするが、さすがに状況ぐらいは聞く。誰がやったかっていう問題にもなるが、それをどう対処するかっていう方がよっぽど考えなくちゃいけない。割れたガラスを放ってはおけない。今日の避難訓練、いや、もし災害が起こってベランダから逃げることになっていたらどうするつもりだったんだ?」
俺たちは息を飲んだ。生活委員が割らなくても、窓を開けるときに誰かが怪我をしていたかもしれない。そんな場所を通ると考えただけでぞっとした。
「とにかく、自分でやってしまった過ちはたとえ不可抗力でも正直に言いなさい。それからどう対処するか考えろ。それが責任を持つということだ。
あ、後これからは雑巾をベランダに出す必要は無くなった。以前から言われていたが雑巾をベランダに出すと避難の時に邪魔じゃないかと。今回ベランダを使わずに避難したら時間がかかっただろう?」
詳しい話は職員室で聞くから、と仮谷先生が手招きした時だった。
「あなた甘すぎるんじゃないですかね」
俺たちの前には川崎先生、そして彼の後ろには職員室に呼び出されていた生活委員の面々がいた。5人はすっかり怯えている。
「窓を割り嘘をつき、信じられない連中ですね。社会性というか、道徳性というか、のなさには本当に呆れますよ。仮谷先生、あなたも――」
「川崎先生、今朝から見当はずれなことばかりのような気がするのですが。話も聞かずにあれこれ説教するのは筋違いだと思います。職員室にお戻りください」
「1年A組は本当に話の通じない先生ですね。こんなだからろくでもない連中の集まりになるんですよ! 本当にこんな出来損ないみたいのが――」
後ろから殴ってやろう、そう思った時だった。
「いい加減にしてくれませんか」
口を開いたのは一真だった。
「何だと?」
「今回の件は僕にだって責任があります。ですが、先生は何に対して叱っているんですか? やったことが間違っているからですか? それとも生徒自身が間違っているからですか?」
「逆らう気か?」
「今はあなたの方が逆らっているように見えるのですが」
仮谷先生はあたりを見回す。周囲の生徒が川崎先生に冷ややかな視線を送っていた。
川崎先生はかなりの大股で足音をどかどか響かせながら歩いて行った。
仮谷先生は一真に近づいて行った。
「背負い込まなくてもいいんだぞ。顧問なのに反抗するとは思ってもみなかったが」
「僕はあんな言い方される筋合いはないと思ったからです」
一真はそれだけ言って元のすまし顔に戻った。
「大丈夫か?」
俺は思わず声をかけた。学級委員長というのもあるが、後何時間かしたら部活がある。顧問の川崎先生に反抗するというのも、考えられなかった。
「いいんだよ。僕個人として許せないと思ったから」
一真はいつにもましてぶっきらぼうに言い放った。しかし、彼は少しだけ微笑んだような気もした。
「んじゃあゆっくり話を聞かせてもらおうか、釘宮、北向」
仮谷先生は教室に入っていった。
「なんか、2人ともすごいな」
北向さんがぽつりと言った。北向さんはゆっくり教室に足を踏み入れる。
「……ありがとな」
そう言い残して一真も教室に入っていった。
一日の中で一番暑いと言われるこの時間でも、暑さも湿気もほとんど感じない。開けっ放しの窓から入ってくる風が心地よかった。
窓を開けて 平野真咲 @HiranoShinnsaku
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