窓を開けて 6

 俺は仮谷先生から5歩ほど先を歩いている。1年A組が見えてきた。

「君たちうるさいんだよ!」

 教室から聞こえてきた第一声がそれだった。教室を覗いてみると川崎先生がいる。

「君たちすぐに忘れる、ニワトリ以下だな。怒る気にもなれませんね。しかも誰も注意しようとも思わない。仮谷先生は何も言わないんですか、全く。静かにしろと言われなければ静かにならない。いつまでも騒いでばかり、だから窓ガラスも割れる。不注意すぎるでしょう! 委員長も副委員長も注意しない――」

「先生はいつから見ていたのですか?」

 俺は川崎先生の背後からこう言った。

「それは関係ありません。ずっと注意すべきで――」

「それは無理がありませんか」

 仮谷先生が川崎先生の後ろに立っていた。

「行動については注意すべきですね。でもあなたの叱り方で直るとも思えません。生徒が1人で注意し続けるには限界がありませんか? いくらやらなければならないと言ったって、できないことだってあるんですよ」

「では諦めろと――」

「いえ。やり続けるしかありません。多くの人が」

 川崎先生は「はあ?」と首をかしげている。

「静かにすべき時は静かにする。そう注意するのは先生や委員長たちだけでなくても構わないわけです。時間を守ることや人の話を聞くこと、もちろん自分の仕事をやり遂げることも小学校、いや幼稚園や保育園の頃から教わっている。できないのはやらなくてもいいと思っているから。やらなきゃいけないときはやる。できない人間が居たら注意する。1人1人が何をしたらいいかを考えることができればこういうことにはならない。川崎先生、あなたの指導ではそれを壊していませんか? 1年A組のことをご指導くださるのはありがたいのですが、今は私がいます。どうぞ」

 仮谷先生は道を開ける。川崎先生は下唇を噛んでそそくさと退出していった。

 仮谷先生はクラスの人たちに「絶対に窓の方には近寄らないように。それから、古滝、貫地谷、番場、野老、元吉、昼休みに職員室へ来なさい。残りは給食の準備」とだけ言った。みんな給食の準備に取り掛かった。

「窓の方は分かっちゃったか」

 聖斗はそうつぶやいた。

「でも、あんなに粉々になるって、よっぽどだよね。フィルムが貼ってあるガラスじゃないし」

 改めて金網だけになった窓の方を見る。ほとんどのガラスが今はゴミ箱の中に納まっている。どうやったらこんなに割れてしまったのだろう、とふと思った。

「2人とも、あの、配膳台……」

 北向さんが俺たちに話しかける。

「あ、ごめん」と聖斗が廊下に出た。北向さんは配膳台を動かす。そうか、配膳台の準備か。俺はふと配膳台を拭く彼女の手を見た。右手の薬指に絆創膏が貼ってある。

「北向さん、指どうした?」

 俺に聞かれて焦ったのか、北向さんはさっと指を隠した。

「な、何でもないよ。ちょっと切っちゃっ、あ、いや、擦っちゃって」

「窓ガラスとは関係ないもんね」

 デザートを運んできた汐田しおたさんが北向さんに話しかける。

「朝から絆創膏貼ってあってあたしも聞いたんだもん。ね、きーちゃん」

 北向さんはこくりと頷いて指を見ている。

「つーか手ー洗って早く並んでよ。給食遅くなっちゃうじゃん」

 汐田さんに急かされる形で俺たちは手を洗いに行った。北向さんはずっとうつむいたままだった。

「元気―」

 手洗い場まで行くと、小倉おぐら澄香すみかが声をかけてきた。1年生の手洗い場は4クラス共同なので結構他のクラスの人とも会う。澄香は隣のB組だが、同じ部活なのでよく声をかけてくる。

「なんか、A組すごい騒ぎみたいだったけれど、何かあったの?」

「ああ、窓ガラス割れちゃって」

「それ、大変だね」

 澄香は声のトーンを下げた。

「誰も怪我とかしなかった?」

「していないと思うけれど」

 そう答えたものの、一真と北向さんのことが頭をよぎった。でも割れた窓ガラスを発見した時の怪我ではない。

「何話してるんだ?」

 そう言って篤志が近寄ってきた。

「A組の窓が割れたって話だ」

「A組災難続きだな」

「ほんとだよ」

 聖斗が相槌を打つ。

「君ら、邪魔」

 そう言って牧羽まきば美緒みおが俺たちの間を通っていく。澄香が「美緒ちゃーん」と声をかける。いつの間にか研究部が勢ぞろいしてしまった。

「美緒ちゃん、A組窓が割れたらしいよ」

「あら、そうなの。窓くらい勝手に割れそうではあるわね」

「人のクラスのこと何だと思ってるんだ」

 それはないだろう、と思った。

「でも、窓ガラスは勝手に割れるみたいね。熱膨張のせいで」

「え?」

 俺たちは聞き返す。

「ガラスは熱に当たると膨張、つまり体積が大きくなるでしょ。この校舎の立地上、私たちの教室の窓ガラスには直射日光に長時間晒される。でもサッシに入っている部分はそんなことないから低温のまま。その温度差から窓ガラスが割れることもあるそうよ。特にカーテンがあると温度差が激しくなるし、網入りガラスは金網とガラスの膨張率の違いでより起きやすくなる、と」

 そう言い残して、牧羽さんは行ってしまった。篤志も澄香も友達に呼ばれて「じゃあ」「あとでね」と教室に戻ってしまった。

「今の話、本当なら……」

 聖斗がつぶやく。

「仮谷先生に言わなきゃ」

 そうつぶやいて駆けだした。

 仮谷先生に熱膨張の話をすると、5人と一緒に職員室に来い、と言われた。俺は自分の口から5人に説明した。親ちゃんと野老さんはガラスの破片で切ってしまった指を見せた。大部分は合っていたようだ。最後に5人に聞いた。

「誰かビニールテープを窓に貼って補強した人はいる?」

「そんなことしない。あんなに粉々になっちゃえばやる意味ないじゃない」

 古滝さんはため息をついた。

「ビニールテープが貼ってあった状態で床にガラスが散らばったから……」と親ちゃんは答えた。

「そんなこと聞いてないぞ。ビニールテープを貼った後で粉々になったのか?」

 仮谷先生はそう言って額に手を当てた。野老さんが口を開いた。

「私たちも何でこうなったのかよく分からなかったんです。ちょっと強く開けたから割れたんだろうと思って。ビニールテープが貼ってあったと言っても信じてもらえないだろうと……」

「まさか熱膨張のせいで最初から割れていた、そういうことか?」

 仮谷先生が俺に向かって聞く。

「先生、帰りまでに結論を出します」

 俺はそう言って職員室を出た。全校集会の前から割れていた。となると絶対に何か知っているはず。どうして何も話さなかったのだろう。

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