4 抱擁

「お、お母さん……?」


 杏子は表情を強張らせ、ドアの先に立ち尽くす母・圭子の姿を見つめ続けた。

 圭子はというとそんな杏子の姿を見つめ続けている。


「ど、どうして? どうして私のアパートに来ているの? 足音はお母さんだったってこと……ッ?」


 乙黒は息を吐き落とし、動揺する杏子を宥めるように見つめた。

 そんな杏子と乙黒の姿を捉えながら圭子は静かに口を開いた。


「杏子……気を落ち着かせて頂戴……」


 杏子は意味もわからないとでもいうように頭を振り払った。


「お母さん、意味がわからないよ! 私を怖がらせるために夜な夜なアパートまで来ていたってこと……? そんなどうして……?」


 息荒く取り乱している杏子を見守るように見つめた後、霧島は乙黒に目をやり、お互いに頷きあった。

 そして、乙黒は杏子に向かって告げた。


「高崎杏子、よく見ろよ。……この部屋を。…………


 乙黒は一句一句を強調するように告げた。


「え……」


 動揺する杏子は気を張り詰め、自らが今、存在するこの部屋を見渡してみた。

 姉・柚子と共有した沢山のモノが散乱している、6年前と何ら変わらないこの部屋。


 そう、ここは確かに


「ど、どうして……!? 私、アパート202号室で寝ていたはず……!?」

「ああ、そうだ。アンタが『寝た』のは確かにアパートだ。だがアンタは寝たあとに、無意識下のうちに自らの足でこの『柚子さんとの部屋』まで帰ってきていたんだよ」

「え……っ?」


 就寝前、杏子は確かに自らの一人暮らしをする『アパート202号室』で床に就いた。

 しかし、睡眠に堕ちたあと杏子は夢遊病のように立ち上がり、ふらふらと歩き、この『実家である高崎家』の『杏子と柚子の部屋』まで帰ってきていた。

 今まで、何度も、何度も。

 その夢遊病的行動は毎日、毎晩繰り返されていた。

 そして、実家のベッドにやってきて再び眠りに堕ちる。

 そのとき、高崎家1階で寝ていた圭子が帰ってきた杏子の物音で目が覚める。

 そのまま杏子を心配に思い、『杏子と柚子の部屋』へ様子を窺いにやって来ていた音が足音の正体なのであった。


「ど、どうして私、そんなことを……」


 動揺する杏子を見て、乙黒は告げた。


「おそらくアンタじゃなくて『高崎柚子の意識』だろうな」

「え……? 柚子お姉ちゃん……?」


 驚きを隠しきれない顔で杏子は乙黒を見つめた。


「この世から柚子さんを亡くしたくないアンタが、自らの中に『双子の姉である高崎柚子の意識』を無意識下に作り出していた……」

「……お姉ちゃんの意識……?」

「『柚子さんの意識』はアパート202号室を自分の部屋だなんて思っていない。だからアンタの意識が無くなる睡眠時に、目覚めた『柚子さんの意識』がこの実家へと帰省するようにできていた」


 冷え切った空気が暗い部屋を覆っている。

 遠い昔に輝いていた双子姉妹のこの部屋は、今や残された妹の寂しさを紛らわす砦として存在していた。


「お姉ちゃんじゃなかったんだ……」

「……あ?」

「足音の正体、お姉ちゃんじゃなかったんだ」

「ああ。そうだ」


 杏子の瞳から一滴の涙が零れた。静かに涙を流し、杏子は蹲った。

 霧島は心配そうに駆け寄る圭子を見て、残された親子を見守ることしかできないでいた。



* * * * *



「確かに依頼は達成しましたんで」


 乙黒はあくびをしながら、目の前で恐縮する圭子へと手を仰いだ。

 ろくに睡眠も取れていない乙黒と霧島の二人は疲弊しきった様子で豪邸な高崎家を見上げていた。


「はい。有難うございます」

「依頼内容『夢遊病の娘へ事実を伝えること』。杏子さんには隠して実行する、これが絶対条件でしたもんね」


 霧島は改めて依頼内容を確認するように呟いた。


「杏子自身、足音の正体は柚子であってほしいそう願っていたのかもしれません。柚子が自分を恨んでいたのだとしても。杏にとってはたった一人の姉ですから」


 圭子は切なそうに俯いた。


「杏子は会いたかったのだと思います、柚子に。そして、きっと……謝りたかったのかもしれません」


 朝の日差しが照らす道へと乙黒と霧島は歩き出そうとした。

 そのとき高崎家の玄関のドアがゆっくりと開き、杏子がやって来た。


「……高崎さん」


 霧島が声を掛ける。

 しかし、その声は杏子には届いてはいないようであった。

 やつれた表情を乙黒たちに向け、杏子は言った。


「返してよ……、……お姉ちゃんを返してよ!」


 その言葉は、悲しみと苛立ちが滲み出ているようだった。

 そんな杏子を見つめた後、乙黒は静かに何かを呟いた。

 そのあと何かに身を任せるように静かに目を閉じた。

 そしてゆっくりと杏子へ向かって歩き出した。


『杏子。私は貴方を恨んでなんかいない。もうこれ以上、哀しまないで。私はいつでも杏子の側にいるから。……大好きだよ』


 そう言って、虚ろな彼女は杏子を抱き締めた。



end

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霊媒探偵・乙黒リツカの冴えない日常 Kfumi @kfumi09

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