第1話 急性腎臓病


1.急性腎臓病(じんぞうびょう)


勇太は朝、ベッドから起き上がれなかった。起きてこない勇太を心配して母が部屋に入って来た。

「勇太どうしたの。学校の時間だよ」

「ああ・・・うううん・・」

勇太は生返事をしたが動かない。

「どうしたの学校で何かあった」

「う・ううん・・・・何も・・」

声を絞り出したが、体が重くて立ちあがれなかった。

「どれ熱でも有るのかな」

心配した母親が、デコに手をあてると、みるみる表情が変わった。

「勇太どうしたの熱だよ」

慌てて、その場を離れ、少しすると体温計を持って帰って来て、脇の下に入れた。少しして“ピーピー”と音がして、取り出すと、38度5分あった。平熱は36度4分なので、すごい熱だ。熱は2年ぶりだった。


勇太はいわゆるサッカー少年で、ポジションはミッドフィルダー、副キャプテンを任されている小学5年生だった。体力には人一倍自信が有った。

アイドル系の顔立ちで女子にも結構人気はあったが、女の子に興味はなかった。唯一一人を除いては。


近所の病院に行って、尿検査を受けるとタンパクにプラス反応と血尿反応が出た。

一人、診察室に呼ばれた母親に、

「お母さん、これは腎臓病です。すぐに府立病院に入院してください」

医師は毅然と言った。母は唖然(あぜん:あきれて言葉が出ない)とした。

必死に冷静さを取り繕って、冷静さを装ったが、心は狼狽していた。昨日の試合で強豪チームにチーム一丸で戦い、ようやく勝利した熱気とのギャップに愕然(がくぜん:非常に驚く)とした。

気持ちを落ち着かせるように、少し時間を置いて医師に尋ねた。

「それで先生、入院はどれ位に」

「当面、1か月程度ですかね」

「それで本人には・・・・」

「それはお母さんにお任せします。急性ですから必ず治ると思いますし、治して見せます」

医師は笑顔交じりに、自信を持って言ったので、母の鹿島都は安心した。そして、勇太には正直にありのままに話そうと思った。それに耐えることができる子供に育てた自信が有った。

 

 直ぐに府立堺病院に入院した。勇太は母から状況を聞き、表面上は冷静に受け止めたが、夜ひとりになりベッドで寝ていると、悔しくて自然と涙が出てきた。

「勇太君かな、安心して一緒に頑張ろう」

その時、主治医の先生が巡回に来て、勇太の様子を見て、手を取って優しく言ってくれた。

「先生、僕、本当に直りますか」

勇太は思いつめたように聞いた。

「勇太君、大丈夫だよ。先生の言う通りにしたら必ず治るから」

「本当に、俺、神様にお前は駄目だと言われている様で、心配で心配で」

「そんなことは無いよ。神さんは、そんな意地悪はしないから。もっと心を鍛えて、弱い人を労わることが出来る優しい心を持つようにしようネ。ここに居ると普段、元気な時には見えないものも、見えるかも知れないから。前向きに考えよう」

「先生、僕はまだ必要なんですよね」

「この世に必要のない人間なんて居ないから、勇太君は大事な人だよ。早く病気治して弱い人の味方になって下さい」

「先生と話してちょっと安心した。僕は必要なんだ」

「そうだね。まずはゆっくり眠りなさい。それが今は、一番大事だからネ」

勇太は、先生と話したことで安心して眠りに入ることが出来た。


翌日、昨日の先生、名前を鳩村先生と言うが、小さな本を持って診察に来た。

「この本、僕が自己紹介代わりに患者さんに配っている本」

勇太に親しみを込め一冊の本を差し出した。その本は先生が昔、飼育していた鳩に関するもので、歴史、先生の思い出、エッセー、有名な鳩、鳩の専門誌である“愛鳩の友”の概要などで構成されていた。

 尿検査、排尿試験、診察、血液検査など初めて経験するプレッシャーを紛らわすために、鳩村先生から渡された本を読みふけった。この本に紹介されていた名古屋の井田さんという女性の話に感動して涙が出そうになった。


 その内容は戦前、肺結核で入院し、死を覚悟して心の準備をした時に、特効薬のストレプトマイシンが開発され命拾いした。同じ病院にいた同病の男性患者と結婚し、退院後に生活のために夫婦で協力して鳩を飼育し、創意工夫(そういくふう:新しい方法)で鹿児島県の奄美大島から岐阜県まで、4日間で帰って来た鳩を育てる話である。

鳩以外にも夫の闘病を支える夫婦愛、子供の誕生など家族の心温まる触れ合いと物語が書かれていた。


夢中になって読むと感動で力が湧いて、自然と涙が出て来て本の力を知った。これまで勇太は運動には積極的に取り組んだが、勉強は苦手で、意味が見出せないでいた。

本を読むことによって新しい世界を知り感動を得られる事を知った。

おぼろげながら勉強の意味を、自分の頭で理解することが出来たことは、勇太の人生にとって大きな収穫だった。


この本には他にも、鳩(レース鳩、伝書鳩)は、飛翔(ひしょう:飛ぶこと)能力と帰巣本能(きそうほんのう:巣(鳩小屋;鳩舎)に帰ってくる能力)が優れ、北海道から1000㌔以上離れた大阪にある巣(鳩小屋:鳩舎)に戻ることが出来ること。 

鳩文化の歴史は非常に古く、紀元前約5000年のシュメール(メソポタミア(現在のイラク、クウエートの地名)の粘土板にも使用をうかがわせる記述があること。 

日本では幕末の1783年に大阪の相場師(株取引等で生活する人)が、投機(金もうけ)目的で堂島の米相場情報を、鳩を使って伝え利益を上げたために幕府に処罰されたこと。

明治時代に入ると、軍事用として鳩を本格的にフランスから輸入して、飼育されていったこと。民間でも報道用や趣味として飼育することが増えて、戦前には新聞各社が集まる東京の有楽町には、屋上に鳩小屋が作られたこと。

また最近、鳩はモネとピカソの絵を区別出来、シャガールの絵に混じったゴッホの絵を見分けることも出来る。などの能力が有ることも分かってきた。

等が書かれていて、勇太を未知の世界に導いた。


本を読み終えた時、両親がベッドの脇にいた。

「勇太、案外元気そうだな」

父が勇太の顔を見て言った。

父とは三日振りで、神戸に単身赴任していた。車で通えない距離では無いが、安全関連の仕事をしているため、問題が発生した時のために待機しないと行けない、という理由から普段は社員尞に入り、週末に帰宅するという生活を送っていた。


「一生懸命、何を読んでいたんだ・・・。勇太が本、読むって珍しいな」

「本当だね。どんな心境の変化かな」

父と母が聞いた。

「鳩の本。この本、面白いから必死に読んだ」

「そうか懐かしいな」

父も昔、鳩を飼っていたと言って話が弾んだが、井田さんのことは知らないと言った。父と話すと元気が出てきたが、両親からの差し入れで、好物のプリンは食べることは出来なかった。腎臓病は食事制限が厳しくて、塩、醤油、おやつ類は厳しく管理されていた。2時間の歓談の後に両親は帰り、静かになり心細くなったので、鳩の本を読んで気持ちを紛らわせた。

「勇太君、体どう・・・」

読み始めた時に一人の少女が声をかけて来た。

少し、雑談してから勇太が思いつめたように言った。

「俺、病気になって落ち込んでる。俺、不幸な人間って」

「そんなこと言わないで、私はもう2年も此処にいるんだから。でも、不幸じゃないよ元気になって、やりたいことは沢山ある。良い薬が出来ることが有るかも知れないし、何が起こるか分からない。元気になって童話を沢山書きたい」

「へえ、格好いいね。俺には無理だな」

「勇太君にも可能性は一杯あるよ。お互いに夢に向かって諦めずに頑張ろう。努力していると、誰かが助けてくれるんだって」

「そうか諦めずにか。何か美夏ちゃんと話してたら、力沸いてきた」

「良かった。頑張って」

勇太は自分より年下の小学校4年生で名前を美夏と言う、多分、重病でもう2年近く入院している少女に励まされた。

そして分かり易く病院のことを教えてくれた。病気に負けず前向きで明るい姿を見て、勇太の気持ちも柔らかくなった。


入院後、1週間もすると様子がわかり、病院には学校、図書館があること、サークル活動、読書会もあることを知った。

「勇太君、今度の読書会に一緒に行こうか」

「良いけど。でも俺、自信ないな」

美夏に誘われたので参加することにした。

勇太は読書会に出て鳩の本で読んだ、井田さんの話を感想文にまとめ発表した。

「勇太君、巧く話をまとめて気持ちが伝わって来て感動した」

鳩村先生が誉めてくれた。

これで早く病気が治るような気がして嬉しくなった。翌日、図書館でシートン動物記を読んで、その中に“伝書鳩アルーノ”と言う物語があることを知って、鳩レースとその存在を教えてくれる本に関心を持った。


この様な思い出に残ることも有ったが、入院生活は1か月を越え、漸くして退院の日になった。

「勇太君、退院おめでとう。これからも無理しないで、身体大事にしてね」

退院の日、病院のことを教えてくれ、それからも仲良くしていた美夏から、笑顔で言われた。

「美夏ちゃんも頑張って下さい。色々、ありがとう。元気になったら一緒に水族園に行こうね。必ず連絡下さいね」

まだ、苦しい入院生活が続く美夏のことを思うと心は曇ったが、言葉を返すと、また大きな笑顔が返ってきた。

 病気と戦う美夏ちゃんから、力をもらったように思い「必ず完全に治してみせるゾ」と自分に言い聞かせた。


入院期間中、同級生、サッカー仲間、近所の人に会うのは嫌だったので、母に言って病院に来ないように言ってもらっていた。それは自宅に帰ってからも継続するつもりだ。子供心に弱っている姿を見られたくないと思った。

医師から退院後、更に1ヶ月程度の自宅療養が必要と言われて、運動は禁止されていた。筋肉が落ちていくのが実感出来た。退院した時には、立って上手く歩くことが出来なかった程だったが、今は少し回復した。


 本を読みながら、何げなくベランダを見ると赤い鳥が居て、寄って行っても逃げない。弱っているようだが、足には足環と赤いゴム輪がはまっている。勇太は瞬間的に、これは本で読んだレース鳩だと思った。コメを差し出したが食べないので、仕方なく水を鳩の前に置くと二、三回頭を下げて飲んだ。

夕方が迫って来たので、鳩の前にコメと水を置いて、その場を離れた。やがて元気を取り戻して、自分の家に帰ることを願った。捕まえてはいけないと思った。母も同じ考えだったが、『でも明日、鳩が死んでいたら嫌だな』と思った。


母の都は明日、早く起きて鳩を見て、死んでいたら始末して、『どこかへ飛び立ったよ』と言おうと思っていた。そして翌日、鳩は生きていてコメを突き、水を飲んで盛んに「クークークー」と喉(のど)を鳴らしていて安心した。

母の助言で、猫に捕られないように鳩を捕まえて段ボール箱に入れて、小鳥屋さんで餌を買って来て、与えるとみるみる元気を回復した。

そして、ベランダから飛び出して、暫くするとまた帰って来て、段ボールの家に入った。そんなことが数日続いた時、週末に帰宅した父親から、

「勇太、この鳩には足環が嵌(はま)っている。この意味わかるな」

「分かる。でも・・・・・」

「じゃあ、どうしないといけないのかな」

「・・・・・・」

勇太は返事をしなかった。

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幸せの赤い鳥 @1008

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