第4章 自主性と管理


─変化をさせる。のではなく、変化を促す─


 前章で、問題点、課題、その本質の見極め方について述べた。この章からはその課題をクリアする。または問題点を解決する方法について述べようと思う。

 指揮官というものは、どんなスポーツにあってもチームの一番前に立ち、そして勝利へと導くのが仕事だと思われがちだ。だが、本来指揮官というものは、後方で選手を見守ることだけをすればいいと私は考えている。サッカーの場合、戦術云々についてはディレクターが居て、日ごろの練習についてはコーチが居る。もちろん、その各管理者を統括するのが私の役目であって、グラウンドに出てごちゃごちゃと考えを述べることは、指揮官の、いや、私の役目ではないのだ。


 日頃、コーチングスタッフやディレクターに言っていることがある。それは「変化させるのではなく、変化を促すのだ。」ということだ。これには、あくまで変化する主体というのは選手であって、その自主性を重んじるという考えから来ている。確かに、あまりに目に余るようなプレーをすればコーチングスタッフを通じて指摘もする。だが基本線として、選手個人の考えに重きを置き、そこにチームの戦術をフィットさせていくのが私の仕事である。




─管理は厳しく─



 サッカーに置いて、私が選手に直接口を出すことはめったにない。だが、それが私生活となれば話は別だ。私はサッカー選手としての個人を尊重しているのであって、一個人になった選手の自主性にはあまり重きを置かない。なぜなら、私と選手個人の間に「監督と選手」という枠組みが存在するのはグラウンドの中だけだと考えているからだ。

 その選手に目に余るような私生活の乱れがあれば、厳しく接する。それは若手であってもベテランであっても変わることはない。逆を言えば、私生活の乱れのない、普通の暮らしをしている選手ならば、友人のように接するだろう。なぜなら、先ほども言ったように、私と選手の間に「監督と選手」という枠があるのはグラウンドの中だけだからだ。




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勝つために私は指揮官になった @Carbo_P

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