名曲『桜坂』の舞台
駅員3
『桜坂』と『桜橋』
東京都内だけでも『桜坂』は数か所ある。赤坂サカスの中にある『さくら坂』は比較的新しく、坂道の両側に植えられた桜の木は、手首ほどの太さで細々としている。アークヒルズ脇の『桜坂』は、道の上まで枝が張り出し、見事な桜のトンネルを見せてくれていて、都内の桜の名所の一つに挙げられている。
しかし、何れも福山雅治の名曲『桜坂』の舞台ではない。福山雅治の『桜坂』は、旧中原街道の大田区田園調布本町にある坂だと言われている。
中原街道は、中世以前から続く古道で、1590年(天正18年)に徳川家康が江戸城に入場する際もこの中原街道を通ったという。江戸時代に東海道が整備されるまでは、江戸から西国に向かう際の主要な街道となっていた。 平安時代の『延喜式』で定められた『東海道』は、一部この中原街道が含まれていたと言う説もあるが、定かではない。
平塚に、徳川家の鷹狩りや、江戸を下るときの宿となった『中原御殿』があったことから、江戸時代には、『中原街道』と呼ばれるようになった。
中原街道を西に下っていくと、環状八号線と中原街道の交差点『田園調布』の手前からやや右にカーブして、丸子橋へと向かう。地図を見ると、その交差点の右側を真っ直ぐに進む道が記されているが、これが中原街道の旧道だ。環八との交差点から300mほど進むと、『さくら坂上』交差点へと至る。
この大田区田園調布の坂が『桜坂』と呼ばれるようになったのは比較的新しく、昭和に入り坂の両側に桜の木を植えてからのようである。それ以前は、『沼部大坂』と言った。
『さくら坂上』交差点から坂の下を見下ろすと、坂の傾斜を緩やかにするために、掘割のように削りこんでいて、両側の法面はつつじなどの低木で植栽されている。その植栽の中に数メートル間隔で桜が植えられていて、路の上にアーチをかけるように枝がせり出している。
桜の花が咲く季節に行くと、わずか190m足らずの坂道ではあるが、坂道の上にかかった桜のアーチは、見事というほかない。車で通過しながら下から桜を見上げるのも一興であろうが、ここはぜひ徒歩で訪れたいものである。
桜坂下の交差点まで歩くと、交差点脇には高さ1m弱の四角形の石柱が建っていて、見事な草書で『さくら坂』と記されている。
桜坂の中ほどに、掘割の上を坂を跨ぐように架かっている橋があり、橋の鉄製の欄干は朱に塗られている。橋の袂まで行くと、橋の親柱はピンク色の強い御影石製で、『桜橋』と記されている。『桜橋』は東京都内をはじめ日本各地にもあるが、『桜坂』に架かる『桜橋』はここだけだろう。橋の幅は1mほどで、人専用の橋となっている。
桜が満開の季節に坂下から桜橋を眺めると、桜色のアーチの中に朱に塗られた橋がまるで空中に浮かんでいるように見える。思わず周辺に神社か何かあるのかと、探してしまったが、神社の参道ではないようだ。
再び桜坂上交差点に戻ると、数年前に訪れたときにはあったゼブラ板のついた信号機は、最新の信号機に取って代わり、ゼブラ板はなくなってしまっていた。
ゼブラ板の付いた信号機は、桜坂から見て『さくら坂上』交差点手前左側に縦型についていたのだが・・・
昔は信号というと、必ず付いていたゼブラ板がとても気になりだした。いつしか知らないうちに、ほとんど見かけることの無くなってしまったゼブラ板。私の所蔵している都電の写真集を引っ張り出してきて、昔の都内の様子を眺めてると、このゼブラ板の形は、かつて桜坂にあったような長方形で角を丸めた形のものをはじめ、楕円形や六角形のものと、3種類のものを見つけた。
信号機の規格は道路交通法施行規則に詳しく定められている。同法施行規則の第4条 「信号機の構造」三によると、
『太陽の光線その他周囲の光線によって紛らわしい表示を生じやすいものでないこと』とある。昔の信号の光は今のように視認性の良いものではなかったため、背景の空や、その他の光と明確に区別するために、信号機の周りに板をつけたのだ。
さらに同法施行規則別表一によると、次のように書かれている。
灯器の構造 備考三
背面板を設ける場合にあっては、その図柄は幅10cmの縞模様とし、その色彩は、緑と白または黄と黒とする。
・・・とある。つまり、ゼブラ板のデザインと色は、法律で決められていたのだ。
黄色と黒のゼブラ板など想像もつかなかったので、実際に描いてみると、どこかで見かけたような気がするが、具体的な記憶は無い。
信号の電球やレンズが改良されて視認性のよい信号が普及するとともに、ゼブラ板は姿を消していったのだろう。現在ではLEDの信号機がだいぶ普及している。
ちなみに、一般的なゼブラ板の裏側はどうなっているかというと、白一色である。
さらに興味は尽きず、信号について色々調べてみた。
日本初の交通信号はいつ出来たのだろうか。
手動式のものは、1919年(大正8年)に上野広小路交差点に設置された。さらに、灯火式信号は、1930年(昭和5年)に日比谷交差点にアメリカ製のものが設置されたのが最初である。 信号機のお値段は、種類や構造などによって違うが、もっともスタンダードなものが、おおよそ信号灯器本体が48万円+柱が17万円+工事費15万円=80万円也となる。これに制御器がついたりすると、140万円から220万円、さらに発電機のバックアップがついたりすると、数百万円となるようだ。
名曲『桜坂』の舞台 駅員3 @kotarobs
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