新日本紀行と大阪万国博覧会

駅員3

新日本紀行と大阪万博

 『新日本紀行』とは、1963年(昭和38年)10月7日に始まったNHK制作の、日本初の本格的な紀行番組だ。

1982年(昭和57年)3月10日まで、なんと19年近くも続いた長寿番組である。

 放送開始当初は、毎週月曜日の21時00分から21時30分に放映されていたようであるが、私が見ていた頃は毎週月曜日の19時30分から20時00分までの時間帯になっていた。あのテーマ音楽と、淡々と語るアナウンサーの口調は今でも鮮やかに脳裏に焼き付いている。


 小さい頃から、日本各地に暮らす人々の様子や風土が紹介される番組が大好きで、毎週見るのが楽しみだったが、何時しか毎週放送内容を記録に取るようになっていた。たぶんそのころ記録したバインダーが、屋根裏の物置を探すと出てくるだろう。表紙に日本地図を描いて、その地図に放送された土地に印をつけていくのも、楽しみの一つだった。


 今振り返って考えてみると、素晴らしい日本の原風景をバックに、土地に根ざした人々の暮らしにスポットライトが当てた内容は、極めて人間味溢れた素晴らしいものではなかっただろうか。。

 物心ついた頃からこのような紀行番組が好きだったというのは、変な子どもだったに違いない。


 さて、先日納戸の中を整理していると、一冊のガイドブックが出てきた。

背表紙は赤く、表表紙と裏表紙は、白いすべすべで厚手のコーティング紙が使われている。手に取ると、表表紙の下には『EXPO 70』と記されていた。

 そう、1970年に開催された大阪万国博覧会の公式ガイドブックである。思わず整理の手を止めてガイドブックの中を開くと、表紙裏には会場に見取り図が印刷されている。1枚めくると、見事な筆文字で『人類の進歩と調和』と記されていた。そう、この大阪万博のテーマは、これだった。

 いつしか納戸を出ると、リビングの椅子に座って、ガイドブックに見入っていた。

 出展パビリオンの説明のページも面白いが、それよりもっと面白いのは、広告だ。

ヘアカラーの広告では、クレオパトラを連想させるような大きなボリュームと長い髪の女性が写っているが、長いつけまつげにくっきり入れたアイラインの化粧は、いまでは全く見られない。

 また別のページには、『映像の未来をひらくC社』・・・なんとすばらしいキャッチコピーではないか。このコピーに惹かれたわけではないが、生まれて初めて手にした一眼レフは、C社のカメラだった。


 さらに別のページでは、立派な家具調のテレビが中央に配されているが、その大きさは19型とちょっと小ぶりだ。しかしながらその値段を見てびっくり!! なんと183,000円もしている。今のテレビの価格からするとちょっとお高い・・・というより、40年前の183,000円というのは、いったいどれだの価値があったのだろうか。

 物価の文化史事典を紐解くと、なんと1970年の大卒男子初任給は40,961円である。

2012年の大卒基幹職(男女別無し)の初任給は206,194円であるから、1970年の実に5倍にも達している。このことからも、当時は、いかにテレビが高価なものだったのかということがお分かりのことと思う。


 新日本紀行で、大阪万博の開催前の豊かな自然の里山の様子から、大型重機が里山を切り開き、大型ダンプカーが縦横無尽に走り回って、万博会場用地を造成しているところを取り上げられた回があった。画面からほとばしり出てくる山の悲鳴に思わず目を覆ったのを覚えている。その様子は見るに耐えられず、心痛めたものだ。

 新日本紀行では、再度万博会場の造成から完成後までを取り上げた回もあったと記憶している。いまでもこの新日本紀行のテーマソングを聴くと、なぜか目頭が熱くなってくる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新日本紀行と大阪万国博覧会 駅員3 @kotarobs

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ