最終話 未来に、さよならを

 「………死ぬときは戦場だと思ってた。ベッドの上で死ぬのか」


 大神晶が静かな声で言った。

 野営地。燃え盛る大地を望む丘の上に焚き火が炊かれており、煤まみれのテントが張られていた。

 岩手校区部隊は、事実上壊滅した。補給線を失い、退路も失い、通信手段さえ失われていた。助けが来ることは無いだろう。本土はこう判断したのだ。


 北海道を捨石に、本土決戦をもってしてパラレイドを退ける。


 かねてから日本は本土決戦も含めた戦闘準備を進めていた。要塞化された沖縄などはその一例だろう。北海道を救うことはできなかった。ならば、本土を守るために北海道を犠牲にして時間を稼ぐのだと。

 彼らを救出する部隊はやってこないだろう。自力で脱出するか、敵を敗走させるか。後者が実現する可能性は、永久に近く失われていた。神の奇跡が起きない限りは逆転劇などありえなかった。

 腹部に刺傷を負った大神がテントの中に置かれたベッドに静かに横たわっていた。失われた血液の量が多すぎたのか顔面は蒼白を通り越して土気色になっていた。人間が死にいたる出血量は個人差はあるがおおまか2Lと言われている。大神が失った血液は、考えるまでもなかった。

 止血とは一時的な手段に過ぎない。致命傷となる血液量を失ったのであれば、早急に輸血をしなければならない。だが、補給線は断たれ、退路さえ燃え尽きようとしている最前線においては、輸血などできるはずがなかった。したがって大神は死神の手招きに身を震わせながら耐えるしかなかったのだ。

 震える大神の手を二人が握っていた。北上と、岬だった。

 大神が横たわるベッドには綾瀬の亡骸が横たわっていた。白い布を被せられ眠る彼女は、まるで生きているようだった。下半身があるはずの白布がベッド表面に張り付いていたことを例外として。


 「……僕たちは負けたんだな」

 「あぁ。もう喋るな」

 「これから永遠に喋れなくなるんだ。もっと喋りたい」

 「そうかい」


 北上はポーカーフェイスを崩壊させていた。涙を零し、大神の傷とカサブタまみれの整備士の手を握っていた。

 綾瀬は逝ってしまった。そして、数少ない友人と言える仲だった大神までも彼岸を渡ろうとしている。

 大神は震える手で布団代わりの白布の上から皹の入った眼鏡を取ると、かけた。


 「よく見えない……暗い。寒い……死ぬのか………あぁ、やだなぁ死にたくない……」

 「……すまん」

 「北上のせいじゃない。一体誰のせいなんだろうな……パラレイド………………母さん……もっと、あかりを、つけて……」


 大神がうわごとのように光を求める。時間は深夜。照明代わりの焚き火が外で煌々と輝いており、残骸の中から見つけた懐中電灯が四隅にぶら下がっている。これ以上光を集めることは難しい。


 「逝くな、頼む。誰が整備をするんだ!」

 「…………はは」


 大神は最期に笑うと―――動かなくなった。空虚な瞳を開いたまま、口を結んでいた。

 岬が首を振ると大神の両目を閉じてやり十字架を切り主に対する祈りの言葉をつぶやき始める。寒さよけの黒い毛布を肩から羽織った姿はまるで教会の敬虔なる信徒そのものだった。


 「………これからどうする」


 北上は地面に座り込むと、呆然と呟いた。よろめきながらテントの外に出て行くと、足を止めた。街だったものが広がっていた。

 岬機と合流した北上は、瀕死の大神と合流し、とある街まで逃げてきたのだ。すると津波警報が正しかったことを証明するように、何かが押し寄せてきた。人を、大地を、瓦礫を、街だったものを含んだ黒いうねりがやってくると、かろうじて街の体裁を整えていた場所を丸ごと飲み込み、浚っていってしまったのだ。丘の上まで逃げてきた一同は唖然とするしかなかった。波が引くまで待つしかなかったのだ。

 丘の上に傷ついた巨人が片膝をついていた。頭部は、音速で飛翔する誘導弾さえ解析可能なセンサー群がむき出しになっており、機体を補強する追加フレームも破断し変形していた。けれど、致命傷は負っていない。駆動部を含む戦闘機構は損なわれていなかった。戦闘継続可能な機体がこの北海道にどれだけあることだろう。いや、無い。皆無だった。岬満世の星炎を除いて。

 北上の隣に並んだ岬は両手を頭の後ろにおいて伸びをしていた。


 「逃げるしかない。けど、逃げようにもパラレイドが迫ってきてる。勘だけど」

 「お前の勘ほど当てにならんものはない」


 北上がぴしゃりと言った。だが声が震えていた。泣きしゃっくりをかみ殺していたのだ。

 立ち尽くす二人の眼前で燃える地平線に“悪魔”がのそりと姿を現した。

 北海道に存在する全ての人類を抹殺するために。あるいは、人類全てを殺すために。

 彼らは知らない。

 正確にはパラレイドの目的が人類を全てを鏖殺するためではないということを。


 「あいつが……!」

 「うん、そうだね。ゼラキエル。私たちが全力をぶつけても勝てなかった相手」


 北上が拳を固めた。あまりに強く握りすぎたせいか爪が刺さり血液が滴っていた。

 殺す。あいつだけは許さない。臓腑を引き抜き首をへし折り全身を叩き潰してしまいたい。復讐に身を落としてもいい。強い感情の発露はしかし休息に冷えていった。

 ―――勝てない。勝てっこない。自分がいかに命を投じようとも、勝てない。

 北上は現実主義者だった。憎しみに身を費やしたところで、やつにかなう術はない。理解したのだ。

 親は無く親戚も引き取り手が無い彼が戦場に意味を見出したのは恐怖を忘れる為だ。煉獄の火に近づき冷や汗と涙を乾かす為だ。しかし、もはや煉獄ではなく地獄だけが辺りを占領していた。乾かすことも出来ず燃え尽きてしまうだろう。

 岬が振り返った。轟々と燃える焚き火の橙色の放射に頬が染まっていた。


 「私ね、懺悔すると安心しちゃったんだ」

 「安心? 何の話だ」


 北上は理解が及ばないと首を傾げた。岬の表情が婀娜あだやかに微熱を帯びていた。


 「綾瀬ちゃんが死んで……君を独り占めできるって。ライバルがいなくなったんだって」

 「何を………」

 「聞いて。実は逃げる途中で無事な車を見つけておいたんだ。だけどね、パラレイドの足と射程が相手じゃ逃げ切れない。確証はないけどゼラキエルは北海道の人間を全員殺すつもり」


 岬が人差し指を向けた。ゼラキエルが輝ける瞳を二人がいる辺りに向けた。

 岬が次に丘の反対側に向けた。屋根のちぎれて泥まみれの軽トラックが置き捨てられていた。丁度人の指の形状をした凹みが車体に残っていた。


 「私が奴と戦う。この子、だいぶヘタってるけど、がんばれるよ」

 「よせ!」

 「よせ?」


 北上が肩を震わせると、岬の肩を掴んだ。

 岬が疑問符を浮かべた。


 「いい、もういい! 俺と逃げよう。あんな奴と戦ったところで無駄死にするだけだろが! わかんねぇのか!」

 「あのねぇ、わかってると思うけど推進剤は切れちゃってるよ。星炎の徒歩で逃げられるのかなぁ」

 「だけど!」

 「ありがとう。ごめんね。罪深い私だから、せめて最後に君を救わせて欲しい」

 「馬鹿いうな! この馬鹿!」

 「ごめんね馬鹿だからわかんないや」


 岬が北上の手を振り払うと星炎へと歩みはじめた。血まみれのヘルメットを被り直すと首周りの固定器具を操作して機密性を確保した。

 北上は岬に手を伸ばし―――地の滴る拳を握り締めた。


 「クソッ……! わかった。頼む……」


 命をかけて自分を守ると言っているのだ。仮に止めても止まらない。弾みのついた車を止めるには、北上は無力だった。岬は悪腕の一本でも折ってでも北上を生かそうとするだろう。

 だから北上は両足を揃え背筋を伸ばし右腕をぴんと立てて指先をこめかみにあてがうことで見送った。悔しさ。悲しみ。感情の渦が交じり合い、瞳から熱い雫を零させていた。


 「未来君。岬満世は、あなたに会えて幸せでした。大好き。もし、また会えたら―――」


 風が言葉を浚った。

 岬はさいごににこりと笑うと、するすると星炎の操縦席に登っていった。

 北上が駆け出す。星炎がツインアイの洗浄液をだらだらと垂れ流しながら棍棒を斜に構え前進するのを振り返りもせずに。遺体となった綾瀬を抱える。見上げるような身長だった彼女は燃え殻のように軽かった。大神も抱えて走る。二人の遺体を荷台に載せた北上は、エンジンをかけた。どるんと軽い音をあげてエンジンが目を覚ます。枝や石で車体が跳ね上がるのもかまわずエンジンを最大に踏み込んだ。

 星炎がツインアイを光らせた。機体各所から蒸気が噴出した。棍棒を片手に、火で焦がされ黒波に蹂躙された街並みだったものの上を歩んでいく。不思議なことに小型のパラレイドはいなかった。ゼラキエルの聳え立つ巨体が腕を組み歩いていた。

 瞬間、岬は自分の心臓の音だけを聞いていた。

 不思議な感覚だった。音が、視界が、感覚が統合していくと、戦闘行為という手段に接続されていったのだ。瞬きするほどに、自分と機体が一つに結合している感覚が強くなっていく。


 「逃げて。できるだけ遠く、できるだけ速く!」


 岬は、北上が運転する軽トラックがタイヤから白煙を噴きつつ大地を驀進していくさまを尻目に呟いた。距離をとればとるほどいいのだ。安全になるから。

 全てがスローモーションになって見えた。雪の一片の結晶構造までもが視野に写りこんでいた。自らの血流が眼球の表面にかすかな圧をかける様子が手に取るようにわかった。

 Gx感応流素が、岬の膨大な思念を力へと変換していく。それは兵器でありながら兵器ではなかった。巨人でありながら巨人ではなかった。一人の人間が愛するものを守るために見せる命の輝きだった。

 星炎が棍棒を大上段に構えるとツインアイをぎらつかせた。足元に転がっていた乗用車を踏み潰して燃料タンクを引きずり出すと棍棒にこすり付けて振り回す。棍棒が轟々と火柱と化した。


 「塵は塵に」


 星炎が駆けた。地を揺らし、障害物をなぎ払いながら。


 「灰は灰に。ゼラキエル……ここから先は通さない!!!」


 北上は車を使い全速力で離れていた。バックミラーが爆発的な反射を起こし、思わず目をつぶった。開きなおすと岬とゼラキエルがいたであろう街に巨大なきのこ雲が立ち上がっているのが見えた。


 「くそ………くそおおおおおおおぉぉ!」


 北上はハンドルを殴りつけると絶叫した。





 ここに一つの終焉がある。


 無敵の戦士など存在しない。矢尽き、剣折れ、鎧が朽ちて、素手と牙で立ち向かっても、いつかは肉体が朽ち果てる。長時間の戦闘。無数の傷。彼女の機体は当の昔に限界を超えていた。人の意思を力に変換するGx感応流素ジンキ・ファンクションとて限界がある。

 骸と化した星炎が燃えていた。死してなおツインアイが暴力的な緑の輝きを宿していた。

 胸元、頭部、無数の打撃痕を帯びたゼラキエルが立ち尽くしていた。片腕は中ほどからへし折れ、胸元の放射熱線板からは青い火花が散っていた。

 あと少しだった。あと少し。応援に駆けつけたパラレイドがいなければ。機体が万全ならば。岬に更なる“適合性”があれば。友軍の支援があれば。岬という少女は、あと少しで絶望的な状況を覆せるはずだった。

 燃え盛る操縦席。茹で釜と化した中に少女の生命の抜け殻が腰掛けていた。

 後悔があったのだろうか。もはや語らぬ死体は、しかしうっすらと笑みを浮かべていた。

 後悔はなかった。

 死体は物言わず語っていた。




 無人機が空を飛んでいた。楔形。灰色のロービジ塗装。偵察用のセンサーで北海道の戦況を見ていたのだ。

 だが、その無人機には他の無人機にない特徴があった。自らの尾を噛む蛇のエンブレムがひっそりと模られていた。無人機は市街地の死闘を見ていた。北海道最後の戦い。歴史にはついに記されることもなかった岩手校区残存兵による単機攻撃を。

 無人機が見ている間に巨大な爆発があがった。セラフ級が足を止めていた。


 しばしの後、無人機は別の光景を見た。

 下北半島沿岸に二機のPMRが擱座していた。数少ない生き残りだった。


 「記録しておけ」


 女が言った。腕を組み、眉間に皺を寄せながら。


 「もしかすると………」


 女は言葉を切ると子供のような肢体を翻した。










 ――――それでどうなったかって?

 私は逃げた。味方を見捨ててね。

 車は故障で動かなくなった。綾瀬も大神も置いて歩くしかなかった。

 ドックタグが遺品となるなんて想像もしていなかった。


 ―――失礼ですがその足は……。


 ご名答。何kmかはわからないが歩き続けたんだ。ろくに休みもせず。暖も取らずにね。函館の友軍に拾われる間に凍傷を負っていた。切り落とすしかなかった。麻酔も無くてね。気が狂うかと思ったよ。神経が生きていたらしい。

 私が青函トンネルで離脱した後、ゼラキエルの攻撃が再開されたんだ。

 北海道は地図から消えてなくなっていたよ。残念だが。


 ―――その後あなたはどうしたのですか。


 最前線で戦うには足の本数が足りなかった。研究者として必死に勉強したよ。前線を支える機体を作りたかった。あの地獄のような環境を耐え抜ける頑強な機体が。


 ―――今の研究者になにか伝えたい言葉はありますか。


 自分のしたいことをして欲しい。したくてもできなかった人たちがいる。忘れてはいけない。






 老人は一人テラスの安楽椅子に腰掛けていた。

 遠い過去を想う。

 選択は正しかったのだろうか。

 あるいは………。



 「ぁあ…………迎えにきたのか」



 老人は呟くと動かなくなった。

 老人を世話していた女性がやってきた。老人の顔を覗き込むと血相を変える。


 「北上さん! 北上さん!?」






 バトル・オブ・北海道


 終わり

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リレイヤーズ・エイジ外伝 ―バトル・オブ・北海道ー 月下ゆずりは @haruto-k

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