第6話 破局

 眼前の恐怖も、想像力の生みなす恐怖ほど恐ろしくはない。


 ―――『マクベス』 シェイクスピア





 航空爆弾を抱えた氷蓮が地上を舐めるように駆け抜けていた。大型のスラスターユニットにプロペラントタンク。騎兵隊のあだ名を持つアサルト・プリセットの一部装備を流用した推進装置を抱えた決死隊総勢五小隊二十機が突撃を敢行していた。

 高度な対空火器を備えるパラレイドに対し、通常の爆撃は通用しない。爆撃さえ出来るならば人類は接近戦で人的資源を消費するなどということは、なかったのだ。しかし、いまや空は武器を積まぬ数十年前の枯れた技術で構成された無人機のみのもので、爆装機が空に上がることさえ許されていなかった。

 セラフ級パラレイド。コードネーム『ゼラキエル』を討伐するために用意していた策は既に尽き掛けていた。幼年兵隊による陽動作戦で敵の動きを止め、宇宙空間からの衛星兵器により爆破する。いまや衛星は失われ米露を中核とする人類同盟軍の艦隊は海の藻屑と消えていた。

 残された選択肢は数少ない。核兵器の集中運用による焦土作戦に移行するか、犠牲をもって、骸と消えていった友軍たちに贖うことだ。前者を実行すれば地球は灰と化し、パラレイドによる侵攻以前に文明が崩壊してしまうだろう。

 今から百年以上前。米国という強大な国家に対し肉弾攻撃を仕掛けたものたちがいた。とある歴史家は愚かといい、軍事評論家は愚作であると言い切った。あるものは彼らを英霊と呼んだ。またあるものは無駄死にと評価した。

 ならばこれから行おうとしている作戦もまた愚かであると歴史が断言するのだろう。

 ―――人類の歴史が後世に残るならばだが。


 『特第一小隊、速度を上げろ。推力全開。帰還を考えるな!』


 白い寒冷地塗装をまとった氷蓮四機が、盾を構えた一機を先頭に猛烈な速度で突撃していた。

 後から四機編成部隊が次々と追従する。


 『………くそ、大地が見えない。どこにいった?』


 困惑の声を上げる隊員がいた。彼は、眼下にあるはずの大地が消え去って、白熱した溶岩と海水が交じり合う原始地球の光景が広がっていたいることに感動さえ覚えていた。

 鏃型陣形を組んだ突撃部隊がパラレイドとの距離を十kmにまで詰めたところだった。

 警告表示。敵の照準波ではなく、無人機の観測データを元にした危険領域の表示が画面上に出現したのだ。パラレイドは極めて高いステルス性を誇る。電波はもちろん可視光線に対する欺瞞さえ可能としているように。直接の目視確認のための無人機は作戦に必須だった。

 総勢数百対もの四足型の新型パラレイドが一斉に岩と砂の破片を払いのけ立ち上がった。両側から挟みこむようにしてアイオーン級を含む無数のパラレイドがカメラアイをぎらつかせていた。

 待ち伏せアンブッシュだった。

 ビーム、そしてマイクロミサイルが暗闇に夜景のような美しい輝きを描き出していた。


 『キルゾーンにはまったか! 散開しろブレイク!!』


 先頭を行く隊長機を駆る青年が叫んだ。氷蓮が比類なき反応性を見せる。横合いから殴りつけるようにして放たれたビームが腕をもぎ取るより早く、シールドを犠牲にして回避に成功した。

 雨あられと放たれるビームに、全滅は必至だった。十字砲火を浴びて突破できる程氷蓮の装甲は頑強ではなかった。

 隊長が決断した。脳裏に将来を約束した女の子の顔がよぎった。命を投げるようなことはしないと約束したはずだった。謝罪をするつもりは無い。赴く先は地獄だ。文も意思も伝わるまい。


 『第一、第二小隊左右に展開しろ! 安全装置解除。俺たちの命であのクソッタレまでの道を舗装するんだ!』


 氷蓮が順々にツインアイを輝かせた。

 ぱっと、蓮華の花びらが開くように、白塗りの巨人の群れが左右に分かれる。憎しみを込めた体当たりをぶちかまし、武器を振るい、鉛弾を撃ちだす。多勢に無勢。機械のイナゴの群れに飲まれ鉄屑と化していく、その刹那の刻に若き彼らが最後の切り札を作動させた。


 『母の敵………! くたばりなさい!』

 『ざまぁみやがれってんだ!』

 『吹っ飛べぇぇぇぇッ!!!』

 『起爆しろ!』


 氷蓮が、散華した。航空用爆弾を含む高性能炸薬と燃料を満載した巨人が、無残にも火の玉と化す。同心円状に発生した衝撃波は、交互に衝突し、一度宙に跳ね上がったパラレイドを細切れに変えていた。半径百mにも及ぶ火炎の壁が鉄の欠片を伴い宙の靄を薙いだ。

 爆発煙を縫いアサルト・プリセットの氷蓮が十字砲火の火線をすり抜けた。接近しすぎて照準定まらぬアカモート級の砲撃を潜り、唖然とするアイオーン級の有象無象から逃れていった。

 前方に黒い巨人が見えた。俯き加減に両腕を組み仁王象のように直立した姿は、さながら地獄に落とされた天界の御子を思わせた。

 セラフ級は大規模攻撃を行った後活動を停止することで知られている。出力した破壊力と比例して動きがとまるのか、あるいは、なんらかのプログラムによるものなのかは解明されていなかった。

 しかし少なくとも、護衛たる無数のパラレイド達は活動しているようだった。迎撃の迸りが狂ったように夜間の空に咲いていた。

 一機、また一機と光に穿たれ落伍していく。仲間の屍を乗り越えて、若い命が敵に刃を突き立てんと疾駆した。

 ジグザグに、布を編むように機動して突き進む突撃部隊は、しかし、圧倒的な火力を前に残り三機にまで減らされていた。ビームで、マイクロミサイルで、あるいは近接攻撃で。数というヤスリが未来を磨耗させていく。


 『俺たちの未来を―――返してもらうぞ!』


 二機が脚部を根元からえぐり飛ばされる。地に上体を擦りつけ、プロペラントに引火、爆発した。

 最後の一機がゼラキエル目掛け拳を振り上げた。


 爆発。


 その威力たるや並大抵なものではなかった。アイオーン級が数十単位で天高く跳ね上げられ、重装甲のはずのアカモート級も甲羅もろともつぶれていた。




 だが、黒煙と火炎のヴェールが晴れた時、巨人は微動だにせず腕を組んでいた。




 地獄が始まった。

 一連の先頭は序曲に過ぎないことを人類は思い知ることになる。


 巨人が腕をだらりと下げるや、胸元を掲げた。頭部パーツのうち、口の部分が開く。白煙。地表面を根こそぎ砂煙へと変貌させる膨大な風の奔流が放たれる。

 次の瞬間、北海道が“二つに”分断された。

 巨人の胸元から走る太陽のフレアを彷彿とさせる一筋の直線が山を穿ち、狂ったようにのたうつ。苦悶に喘ぐ赤色の大地が白へと変換されていた。煮え立つ間もなく蒸気と化していたのだ。巨人が胸元を掲げて両腕を持ち上げた姿勢を緩やかに振り回す。パラレイドの群れもろとも大地が溶岩の中へ、蒸気の中へと消えていく。

 決死の思いで日本を守ろうとした若き命の残骸もろとも大地が燃える。土地に息づいていた命のともし火全てを灰に変えながら。

 巨人が歩き始めた。腕を組みなおすと、歩み始めた。重量を支えるには軟弱すぎて耐えられぬ溶岩の中を、背面部のバーニア装置から火を噴きつつ進んでいく。

 目が光る。大地が引き裂かれ、溶岩の中に埋もれていく。日本という島国の一部が塵と化していった。


 



 恐怖から逃れるために身を戦に晒す。その代償を支払うのが、常に自らとは限らない。


 逃げ続けた先にあったものが現実ならば、友軍機が次々にビームの海に飲まれ、見知った中の仲間が撃墜されていくのも、また現実に他ならない。

 こんな光景を見ないために自ら危険な戦闘ダンスに身を投じたというのに。


 「クソッ………右足が逝ったか!?」


 跳躍。慣性を殺さぬままに星炎が敵集団の懐に潜り込むと、踊るようにして左右の銃でパラレイドのあぎとを食い破る。どう、と倒れ掛かる一体を乗り越えて、マイクロミサイルの群れをかわすべく、さらに敵集団の中へと侵入、両腕の40mmカービンを撃ちまくる。撃ちすぎたか機関部から紅蓮の火が吹き出た刹那、銃身が内側から引き裂かれた。

 回避行動ととらんと踏ん張った次の瞬間、右脚部のラジカルシリンダーが弾けとんだ。電磁式モーター以上のトルクと、油圧装置以上の馬力を発揮するラジカルシリンダーとて、駆動し続けることで磨耗しいつか耐久限界を迎えてしまう。整備もままならぬ中機体の設計限界を超える入力をし続けた北上の落ち度だった。

 北上の星炎ががくりと膝をついたかと思えば、腰にぶら下げた単分子結晶ナイフで前足を振り上げるアイオーン級数体を突き殺した。


 「北上君!!」


 綾瀬の甲高い叫びが響いた。絶望的な物量で押し寄せてくるパラレイドの群れに対し、千歳・苫小牧防衛線は瓦解しかかっていた。正規軍の防衛戦力を含め、弾は尽き、機体は磨耗し、敵の浸透によって補給線も寸断されかかっていた。

 数万の敵勢に対し、高々数百機のPMRでは鉄壁の壁を構築することは出来ない。真珠のネックレスのように、防御拠点を散らばせて火器によるエリアディフェンスをするしかない。肝心の弾が尽きてしまった今、推進剤さえ無くなった機械の歩兵達が血みどろの闘争に身を投じていた。


 ピィィィィ――――……。


 遠くで突撃を意味する笛が鳴り響く。戦場にスクラップの柱が屹立するや、空中に長大な棍棒を握った機械巨人がでんぐり返りつつ姿を見せた。慣性を生かし、スラスターさえ吹かさずに新しい敵に武器を振るう。一騎当千の活躍を見せる岬機の隣で、ヴァナルガンド隊を率いる更紗の機体が蝶のようにひらりひらりと死を撒き散らしていた。


 『――――オぉぉぉぉぉっ!』


 喉も裂けよという雄たけびと共に、鉄屑とオイルの外套を纏った鬼神が風となった。数体まとめて棍棒で抉り取るや、新型パラレイドの図体を蹴り飛ばし、得た反動で新しい一体の砲兵たるアカモート級に左腕のナックラーを埋めて沈黙させた。

 緑色のツインアイが空中にZ字を俄かに投影した。宙にパッ、パッ、と赤色のマズルフラッシュが出現した次の瞬間にはアカモート級の両足関節部に大穴が穿たれていた。戦神ティールの腕を噛み千切る犬のエンブレム。更紗りんなの搭乗する氷蓮だった。右にぶれたと見せかけて左に動く。卓越した足運びに誤魔化されたビームが側面を抜けていく。漆黒を縫い、新しい銃火が生まれた。パラレイドが崩れ落ちた。


 『北上っち! 今行くから……死んだら許さないからね!』


 岬が叫ぶと、つい今しがた斃した一機に前蹴りを食らわした。

 北上機がアカモート級の体当たりを食らい崩れ落ちた。満身創痍だった。膝が砕け、三次装甲サードアーマーはほぼ全て失われていた。満載していたマガジンは底をつき、銃さえ持っていなかった。


 『無理だ。いいから置いていけ。俺は、もう』


 北上の眼前でアカモート級のずんぐりとした胴体が旋回を完了し拡散ビームの暗い砲身を照準してきていた。ビーム砲の側面に照準装置と思しき物体があった。レンズが星炎のカメラアイと相対した。

 嫌な目と目が合ってしまった。北上は目を閉じた。瞼が覆いかぶさった。視界を覆いつくす暗闇の中央で閃光が瞬いた。







 「う、ぐ………ぁ」


 北上は意識を失っていたらしい。メインモニタの落ちた操縦席内部。独特な弾力性のある操縦桿を握ったまま、前のめりに倒れていた。喘ぐように息を吐くと、息苦しさを感じてヘルメットを外した。生命維持装置が動いていない。窒息しかかっていた。


 「………俺は……死んだのか?」


 何も応えなかった。機体の機能が落ちてしまっているらしい。予備動力も入らない。非常灯だけが動いていた。機体は直立姿勢で固まっているらしい。操縦席の傾斜でわかった。脱出装置を操作。ハッチの強制開放手順を踏んだ。ハッチが爆砕ボルトによって砕け散ると、外部に抜け出す口をぽっかりと開けた。よかった。閉じ込められるところだった。

 よじ登った北上を出迎えたのは、背中を向けて、丁度北上機の前面部に寄り添うように両膝をついて屈んだ綾瀬の機体だった。

 あたりを見回す。黒だけが出迎えてくれた。星明かりと、大破して炎上する機体が発する死の香りだけが北上の視界を補助してくれていた。


 「無線は……繋がらないか。綾瀬……聞こえるか。こちらシモン1。聞こえるか?」


 胸元の無線装置をオンにして語りかける。どの周波数でも応答が無い。友軍の通信さえ聞こえてこない。

 北上は思い切って機体から機体へと飛び移った。ハッチに取り付くと、アクセスパネルに手をかけようとした。


 「は?」


 ハッチがあるべき場所に無い。一番強固に作られる通称『浴槽』こと操縦席を守るハッチが融解しており、三次二次装甲共に綺麗さっぱり吹き飛んでいた。機体配線の饐えた香りが鼻腔を擽った。

 雲が晴れる。月が見えた。操縦席でぐったりとしている綾瀬の姿が広がっていた。結わいていた黒髪は解け、ヘルメットは外れて足元に転がっていた。

 北上はにへらと淡い笑みを口の端に乗せる綾瀬を見るとため息を吐いた。


 「きたがみ……くん………」

 「お前……まさか」

 「うん。かばったの。しなせたく、なかったから……」

 「馬鹿か。無茶しやがって」


 北上は言うなり、綾瀬のベルトを緩めて腕を掴んだ。操縦席を探るとサバイバル用品を探る。食料。発煙筒。拳銃。現在地を知らせるための無線装置の予備。てきぱきと身に着けると、“軽い”綾瀬の体を操縦席から引きずりだした。


 『…………き   る?  聞こえ……』


 無線が反応した。やはり北上の無線は故障していたらしい。すぐに周波数を合わせなおすと声を上げた。


 『こちらシモン1、北上。機体大破。綾瀬と一緒にいる』

 『北上ったら死ぬ死ぬいいながら死ななかったの?』

 『抜かせ。いいから迎えに来い。北海道区の連中はどうしたんだ』

 『わかんない。急にパラレイドが引き始めて……千歳空港は駄目だったよ。苫小牧も。撤退命令が出てるんだ。函館まで引くって……北海道の上半分がなくなってるらしいよ』

 『吹き飛ばされたのか』

 『ん、そーらしい』


 岬の台詞は、人類同盟軍が北海道を放棄したということに他ならなかった。空港と港を押さえられては市民の逃げ道が無い。数十万人が犠牲になることだろう。

 北上はサバイバルキットから飲料水を取ると口を濡らした。綾瀬に飲ませようとボトルを口に寄せる。


 「………はッ………」

 「おい」


 綾瀬の様子がおかしい。大きく息を吸い、吐く。間隔が長すぎる。意識朦朧として返事をしない綾瀬を、北上は胸元に抱き続けた。


 「あのね………わたし…………ずっと………」


 綾瀬が咳をした。

 スラスターの音。足音を響かせて岬の機体がやってきた。無数の被弾。頭部の装甲が完全に脱落して、ツインレンズとセンサーパーツが露出していた。右手に握られた棍棒は漆黒に染まっていた。機体が二機の前で静止すると、腕を伸ばしてくる。ハッチが開くと懐中電灯を握った岬がやってきた。操縦席で身を寄せ合う二人を見てぎょとする。


 「あ、あのぉ、そのぉ」

 「なんだよ」


 早くしろといわんばかりに北上が言う。胸に抱いたままの綾瀬の髪を梳きながら。

 岬は天を仰ぐと、二人の元に屈みこんだ。綾瀬の目を覗き込み、首元に人差し指と中指を置く。


 「早くしろよ。二人で凍え死にさせるつもりか」


 岬は逡巡の素振りを見せた。深くため息を吐くと―――目元からぽろりと一滴を流す。指で十字を切り、震える声で宣言した。







 「もう、死んでるよ」






 北上は見た。懐中電灯に照らされた先に、あるべき下半身の代わりにビームの高温で焼ききられた痕跡があることを。


 一人の青年の慟哭をかき消すかのように津波襲来を意味するサイレンがどこからともかく響き始めていた。





 北海道展開戦力、ほぼ壊滅。

 残されるは撤退のみだった。

 残存戦力に対しセラフ級パラレイド『ゼラキエル』の進撃が開始された。

 命を、希望を、一切合財を葬り去るべく、悪魔が吼えた。

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