第43話

「朝だよー、西寺君」

 地獄の底からやって来たような低く重い声がする。

「灰島、あと五分だけ眠らせてくれ」

「もう朝食はできているんだ。早く起きてくれ」

「わかったわかった。あと二分でいいから」

「ミミー、この怠け者に制裁を加えてやれ」

「ニャー」

「わかった。起きるって!」

 俺はミミーの飛びかかりをごろりと回避して、制服を持って部屋を出て、食卓へと向かった。

 食卓に乗っているのは、相変わらずの食パン。プレーンなのは俺への嫌がらせか?

「もう、八時十分だよ。学校行かなくていいの?」

「もう行くよ!」

 急いで制服に着替え、食パンをひったくるように掴み、玄関のドアを開けた。

 ――二十分か。ぎりぎり間に合わせる。

 俺は全力でダッシュし、息を切らせて稲庭高校に向かった。

 途中、梅村と鉢合わせし、一緒に走った。

「よう、梅村。遅刻するぜ」

「西寺こそ、危ないだろ。僕は走るの早いから間に合うけど、西寺は足遅いからなあ」

「うるせえ。俺はいたって標準的な足の速さだ」

「ふうん。まあ遅れないようについて来てよ」

「言うなあ。梅村、ちょっと性格悪くなったか?」

「どうだか。いままで気付いていなかっただけじゃないの?」

「はっ」

 俺は梅村に置いていかれないようにと、懸命に足を動かした。そのおかげか何とか梅村と並んで走っていられた。

 まあ、梅村が手を抜いていてくれているだけなのかもしれないけど。

「梅村、最近蓮夏さんとはどうなっているんだ」

「いい感じだよ。馬場先輩は僕たちのことを認めてくれたし、蓮夏さんもまたバイトに応募してる。次は面接だって。まあそれが問題なんだけどね。僕がしっかり支えてあげなきゃ」

「よかったじゃないか」

「うん。さあ、一気にラストスパート駆けるよ」

「おい、ちょっと待て!」

 俺の声も聞かずに、梅村はグイグイとスピードを上げ、一気に俺を置いていった。

 でも、幸か不幸か、懸命に走った結果、ホームルームが始まる前に教室に滑り込むことが出来た。

 梅村の奴は、俺が入ってきたことにも気づかずに澄ました顔をして本を読んでいた。

 あの野郎、よくも俺を置いていったな。

「西寺、惜っしい。あと三十秒で遅刻だったのに。間に合ってよかったね」

 席に座ると、後ろの刀条に背中をシャーペンの先で小突かれた。

「余計なお世話だ」

 そう言った瞬間、担任の山崎先生が教室に入ってきた。

「ホームルーム始めるぞー」

 うるさかった教室が静かになり始める。

「危なかったね」

「ほんと」

 青々とした空を眺めながら、ホームルームをする先生の声を聞く俺の頭にここ二週間ほどの出来事が思い出される。

 梅村の叫び。

 真っ直ぐな刀条。

 怒り狂った馬場先輩。

 灰島との仲直り。

 立ち直ろうとしている蓮夏さん。

 俺は怪異を宿しながら生きている。

 これから先、何十年、何百年と生きていくのだろう。

 長い長い人生だ。良いことも悪いこともあるだろう。

 この身体のせいで、悪いことの方が多いかもしれない。

 けれども、今の俺は信じたい。

 怪異と出遭ったことはそう悪くないものだったと。

 怪異に出遭ったせいで、両親を失い、友達を失ったけれど、失われたものは取り戻せるはずだ。

 俺はもう怪異からは逃げない。

 俺が幸せになるために。

 さあ、今日はパトロールに行ってやるか。

 気分がいつもよりもいいからな。

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怪適な青春 早瀬渡 @rain_sound

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