故郷礼讃

清水円

信濃の国

♪ 信濃しなのくに十州じっしゅうに 境連さかいつらぬる国にして

 そびゆる山はいや高く 流るる川はいや通し

 松本まつもと伊那いな佐久さく善光寺ぜんこうじ 四つのたいら肥沃ひよくの地

 海こそなけれものさわに よろらわぬ事ぞなき


小学校か中学校時代を長野県で過ごした人ならば十中八九歌える、長野県の県歌「信濃の国」の1番である。とは言うものの、教わった時分が具体的にいつなのか、恐らく教師にではあろうが、いったい誰に、果たしてどんな時に叩き込まれたのか皆目覚えていない。しかし歌えと言われると、あら不思議。うろ覚えかと思いきや、蓋をあければ実に正確な旋律を紡ぎだ出せるのである。

ちなみに本当は6番まであるらしい。だが、さすがにそこまでの県民愛を示すには至っていない。


さて、頭に染み付いたこの曲だが、どこか分からぬ初心に立ち返って一つ味わってみようではないか。

出だしに“十州”とはまた大きく出たものだ。私の知る校歌の中の一節に「日の本の国の真なかに」と盛大に謳っているものがある。地理的には間違いではないし、多少のことはご愛嬌で許していただきたい。しかし現在の都道府県制度において8つの県に隣接し、事実その数は日本一を誇る。社会科のテストの常連である。そう思っているのは私だけかもしれないが、常連である。

“松本、伊那、佐久、善光寺”とあるように長野県は縦に伸びた全体を4つの地区に分けてそれぞれを認識している。

まずは上から「北信ほくしん」と呼ばれる地区がある。妙高みょうこう斑尾まだらお志賀高原しがこうげんなどスキー場や高原地帯が多く、県庁所在地もこの地域に属しているためご存知の方も多いだろう。「牛に引かれて善光寺参り」や戸隠とがくしと言えば美味い蕎麦が有名で、新潟と群馬のそれぞれ一部を接している。続いて「中信ちゅうしん」。私が暮らした町がこの地域に属している。白馬はくば鹿島槍かしまやりなどこちらもスキー場が多く、さらに北アルプスを臨む自然豊かな地で国宝・松本城を有し、温泉客や登山客でも賑わう所謂観光地である。噂では北信の県庁所在地・長野市と我等が中信の中心市街地・松本市が密かに火花を散らしあっているとかいないとか。日本海に近いためか北側は雪が多く、新潟の一部と富山、岐阜の多くと接している。そしてそのお隣が「東信とうしん」である。この地域には別荘地・避暑地として名高い軽井沢が鎮座ましましている。また、活火山である浅間山を有する他、別所温泉など旅行に最適な土地である。隣接県は群馬、手を繋ぐように埼玉と、そして山梨である。最後に「南信なんしん」に触れていこう。ここは奇祭として紹介されることが大変に多い、「御柱際おんばしらさい」で有名な諏訪すわがある地域だ。その他にも諏訪湖では新年に湖の氷が盛り上がる「御神渡おみわたり」と呼ばれる現象が見られる。また白樺湖しらかばこという湖もあり、海なし県の中で水に関わりの深い地区である。隣接している県は山梨の一部と静岡、愛知、岐阜の一部である。


ところで長野県は比較的広大な地であり、自分が属する地域以外の事情に疎い傾向がある。(否、私だけか。)そんなわけで今回は私が高校までを過ごした安曇野あづみの及び中信地区についてお話するとしよう。

前述の通り旅行ガイド本なんかに載るくらいには知名度のある観光地だ。中学校の最寄であり自宅から徒歩30分の最寄駅には連日大きな登山リュックを背負った観光客が中継地点として利用し、旅館の送迎バスがひっきりなしというにはすこぶるおこがましい頻度で行き来していた。冬にはたしかにスキー板を乗せた他県ナンバーの車がたくさんいた。わさびだけで一つの観光施設が建ち、そこに人がそれなりに来る。若かりし私は感じていた。

「でも、それだけでしょ?」

しかし、この何もないことがいかに贅沢なことか、故郷を離れて暮らすようになってから思い知らされたのである。

見渡す限りの空と山と畑。遮るもののない広い広い、視界。

春は少し遅めの5月頃に訪れ、桜の花を咲かす。4月、小学校の入学式に「♪さーくら咲いたら一年生」と元気良く歌っていたが、当の桜はまだ蕾だったので「あたしら一年生じゃないね!」などと屁理屈にも似たことを言い合ったものだ。

夏には爽やかな風が吹き、田植えが終わって水の張られた田んぼには、梅雨の蛙の大合唱を経て、溢れんばかりのおたまじゃくしが現れる。「避暑地とか言うけど十分暑いよ!」などと戯言をほざいていたが、朝晩のなんと涼しいことか。東京をコンクリートジャングルと命名した人に拍手を送りたい。長野は避暑地だ。

秋は少し短いけれど、黄金色の稲穂が頭を垂れると呼応するように山が赤や黄色に色づき始め、実をつけた柿や栗の木に出会うことができる。帰り道にこっそり頂戴して、渋柿に顔をしかめたものである。(本当によだれが止まらないほど渋いので、皆様お気をつけあれ。)

冬はお待ち兼ねの雪が降り、犬さながらに駆けずり回ってふかふかの雪と戯れるのが楽しくて仕方がなかった。誰も足を踏み入れていない、まっさらな雪の田んぼに大の字に飛び込んで人型を作ったり、逆に踏み固められ凍った道をスケート場にして遊んだ。しかし、時には仁義なき雪合戦が繰り広げられるので、流れ弾にはご用心。鼻血の鮮やかな赤で白い雪を染めることになりますよ。



便利な交通機関も発達していなければ、大きな映画館も、大きな遊園地も、話題のおしゃれなお店もないけれど、愛すべき自然と思い出の詰まった故郷に勝るものはなし。何もない豊かさを、是非ご堪能くださればこれ幸いと鼻を高くする所存でございます。




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