君のいる景色
ましの
君を待つ
僕は待っていた。そのホームで。
あの日、雨上がりの街は淡い虹色に彩られていた。
千切れた雲のあいだから、天使の梯子が下ろされる。
柔らかな陽光が、水気を含んだ空気をきらきらと輝かせた。
萌えたばかりの若葉に縁取られた山々の稜線が、鮮やかに際立つ。
水を張ったばかりの田園がその光景を映し出した。
僕は偶然出会ったその景色に呑み込まれていた。
こんなにも綺麗な世界が近くにあったというのに、どうして今まで気づかなかったんだろう。
きっと、荒みきった心が目を曇らせていたに違いない。
移ろう情景を記憶に焼き付けようと、全身の感覚を研ぎ澄ます。
湿り気を帯びた風。土の匂いが混じる雨の気配。遠くから電車が近づいてくる。
寂れたホームで、僕は精一杯感じた。
孤独だった心が次第に満たされていく。
世界はいつでも僕を受け入れようとしていてくれたのに、拒絶ばかりしていた自分はなんて愚かだったのだろう。
胸の奥が引きつるように傷んだ。切なくて、苦しくて、思わず目を閉じる。
視界が遮られたというのに、世界は優しく僕を包んでいた。
そうこうするうちに電車がホームに滑り込んで来る。
僕は涙のにじんだ目頭を拭った。
重そうな手動ドアを開けて降りてきたのは、白いワンピースを着た君だった。
君は僕の姿を認めると、はにかんで軽く頭を下げる。
「はじめまして」
その声は僕の耳に心地よく響く。
君の登場で、目の前に広がった美しい風景画は完成した。
あれから、どれだけの月日が経っただろう。
珍しい島式ホームの脇野田駅は、今では名前も変わって立派な北陸新幹線の停車駅に生まれ変わった。
真新しい駅舎は全面バリアフリーに、観光案内所や食事処まで入っている。
その変わりように驚く僕に、君は時代の流れだと笑って言った。
時代か。
あの頃はのどかだったのにな。
昔を懐かしみながら、エントランスホールに設置されたベンチに座った。ガラス越しに山々の稜線を眺める。青く澄んだ冬の空が、その姿を一層際立たせた。
真っ白に雪化粧をされた妙高山は、まだ跳ね馬を見るには早い時期のようだ。その姿がくっきりと浮かび上がれば、いよいよ春がやってくる。
今年こそ穏やかな天気が続くことを祈るばかり。
僕は膝の上で手を組んだ。
「本当に後悔しないの?」
あの時、君の言葉に躊躇いなく頷いたけれど、本当は迷っていたんだ。
僕の決断のせいで、君を縛りつけることになるんじゃないかと思ったから。でも、そんな躊躇いを一瞬でも見せようものなら、君は恐らく僕の隣には居てはくれなかっただろう。
強い心を持っていた君は、例えば僕が違う決断をしていたとしても、きっと理解して応援してくれただろう。
僕らの歩む道が、その先で交わることがなかったとしても。
僕は、ただこの場所で君と生きていきたかった。
この絵画のような世界で。
それなのに、どうして変わっていってしまうのだろう。
ゆっくりと穏やかに流れる時間を愛していたのに。
僕たちの世界は急速に形を変えていく。
受け入れられないわけじゃないんだ。
そんなことを言ってみても、君は笑って首を振る。
「思い出はいつだって特別なの。時が経てば経つほど輝きをまして、どんなに今日が素敵な日でも決して塗り替えられることはない。あなたはまるで、昨日の中で生きたがってるみたい。後ろを向いて、手の中にあるものだけを大切にしている。でもそれって、悲しいじゃない? 世界は、いつでもあなたに微笑みかけているのに」
そう言って君は、僕に背を向ける。
新幹線のドアが閉まって、君を遠い場所に連れ去ってしまう。僕の手の届かないどこか遠くに。
それから僕は、毎日ここで君を待っている。
君が置いていった記憶を慈しみながら。
二人でいなければ、どんなに美しい世界があっても無意味だった。
あの日、この場所で、君が僕にくれた輝きは、どんなことがあっても色褪せない。
でも、君がいなくなって僕はようやく気付いた。
隣にいた君が見ていたのは、未知の輝きに溢れる明日だったんだ。
振り返ることしかしてこなかった僕は、ようやく前を向いて君と同じ景色を見ることが出来る。
「せめてマフラーくらい巻いたら?」
不意に降ってきた声と一緒に、暖かな手が頬に触れた。
「ただいま」
優しい声が僕のここに染み渡る。
頬に触れた手を取って、僕はそっと振り返る。
「おかえり」
君がいれば、僕の世界はいつでも輝きだす。
遠い過去も、遙かな未来も。
あのホームで見た絵画の世界のように。
どんなに時代が変わっても、僕はここで君の帰りを待っていよう。
君のいる景色 ましの @mashino124
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