【I-046】未練

 レオナールはあれから魂を抜かれたようになってしまっているマリーの腕を引っ張って、リュックを探した。もう通常通りの任務に戻っている様子の兵士達に気をつけながら、元の石像のところまで戻ると……そこにリュックが隠れもせずに突っ立っていた。レオナールは驚きながら彼の腕も取り、ともかくまたあの物置に慌てて隠れ、修復されている窓をそっと開けてこっそりと脱走したのだった。

 翌日、マリーは集中したいと言ってひとり別の部屋を取り、仲間たちとは接触を断ってしまった。そんな彼女を気にしつつも、レオナール達は自分の稽古に戻ることにした。

 「……今日は、もう遅え。このくれえにして、あと一日、頑張ろうぜ」

 宿の稽古場で汗した後、レオナールはまだ痛む右手首を擦りながら、ジャンとアナに声を掛ける。……あれから、リュックも鬘を被ってはいるが、魔術練習場で頑張っている筈だ。迎えに行ってやろうと、同じく部屋に帰る者で混雑し始めた玄関広間への通路へ差し掛かった時、そこに美しい銀の髪を見た。

 「……あ。マリー……」

 レオナールは小さく声を掛けようとしたが、その厳しい表情に躊躇ってしまう。彼女は気付かないのか、流れに逆流して稽古場へ入っていった。日が傾いて、薄暗くなり人も疎らになったそこで、彼女は人形を相手に斬り込みを始める。ジャンはその姿を見て、はあと感心した。

 「……マリーの姉ちゃん、喋っててうるせえとよく分かんねえけどさ……ああして黙って戦ってっと、凄えカッコいいよな」

 同じ感想を、彼以外の者も抱いているようだ。……稽古場を囲む硝子窓の周囲には人だかりが出来て、一様に彼女のその姿を眺めては感嘆の溜め息を漏らし、若い女性に至っては黄色い歓声まで上げていた。アナも頬に手を当てて、惚れ惚れと呟く。

 「……やっぱさ、本番前になると、切り替わるんだね。同じ部屋にいた時は、優しいお姉さんって感じだったのにさ……」

 ……果たしてそれだけがマリーの変貌の理由なのか、疑いを持っているのはレオナールだけである。……彼女とグランフェルテ七世との関係に驚いたのは勿論であるが……国を出てきたとはいえ、おそらく、それまでマリーは彼との関係に一筋の望みを繋いでいたのではないか。それを、自分が姿を現してしまった事で決定的に破綻させてしまったのではないか……レオナールはそちらの方が気になって、マリーへの罪悪感のようなものを募らせていた。

 「……邪魔すると悪りい。行こうぜ、シーマもそろそろ帰ると思うし」

 レオナールはそう言って、ジャンとアナの肩を押してリュックの練習場へ向かった。……昨日はただ何もせずにあそこに突っ立って居たのではなく、彼は彼の目的を果たしていたらしい。……が。

 ……やはり人形相手に術を繰り出す稽古をしていた彼は、いまいち調子が出ないらしく、術を言い間違えたり、的から外したりしている。あの夜、彼が衛兵に当てた衝撃波のように的確な一発は、なかなか打ち出せないようだ。その様子をエマが心配そうに見ていた。

 「リュックに双子の兄弟がいたなんて、私も勿論聞いたことないわ……」

 彼女もとても不安なようだ。しかし、その大統領の息子はオリヴィエの名前に反応したというのだから、事実に限りなく近いのであろうと、やはり衝撃を受けている様子である。

 「……そうだったとしても、抱き締めてあげられるなら、そうしたいに決まってるわ。でも……それは無理そうだったって、リュックが言うから……」

 「大丈夫だよ。向こうも急にリュックが現れたから、きっとビビってんだ」レオナールは彼女を励ます。「それに大会でまた会えんだろ。じゃあ楽しみにしようぜ」

 思わしい結果を出せないままへとへとになって戻って来たリュックにも同じく声を掛けて、そこを出た頃に、シーマも帰って来た。

 その夜、あのジュリアンという青年が、待ち切れないのか再訪してきた。レオナールはマリーのあの様子を考慮して、帝国が来ている気配はないと言って返したが……そこで、色々とあった為についそれまで忘れ去っていた、重要な点に気付いた。

 (……アイツらが来てるって事は、このフェルブルも帝国下に入っちまうのか……?)

 共和国まで狙っているというのか。それとも……アロナーダのように、手を組むつもりなのか。その勢いは留まるところを知らず、世界は益々の恐怖に陥れられてゆく。……しかし昨夜、途中からではあるが、マリーとグランフェルテ七世との会話を聞いて……そのように表面だけをなぞっていても見えない何かが存在しているのではないか、とレオナールは感じ始めていた。

 


 翌日……いよいよ大会の前日となった日、街の空気は更に盛り上がり、出場予定者たちの顔にも覚悟が漲ってきた。しかし相変わらずシーマはひとり、森で仕上げを行っていたし、マリーは皆が引き上げる頃に稽古場に現れて、孤高に自らの腕を確かめていた。

 そんな中、唯一戦わないエマは、孤独感を募らせてきてしまっていたようだ。もう一人の弟についても懸念があるだろうし……シーマは相変わらず、そんな様子の彼女に構ってくれることもない。部屋に帰ればアナと二人きりになってしまうし、何とも居心地が悪いようである。

 「レオナール……明日からいよいよ試合でしょ?最後に、皆で食事でもして景気づけない?」

 彼女は半分は自分の気を紛らわす為に、そのように提案をした。

 「おっ、いいんじゃね。……でも、食堂行ってもリュックは落ち着かねえだろうし、シーマやマリーは来っかな……」

 そう心配し、レオナールは残り少ない資金を思い切って仲間の結束に投資する事とした。宿の宴会場をひとつ貸切にして、そこに他の十数人の仲間たちも呼び、各々、街の出店でささやかな酒や食料を購入して持ち込んだ。

 レオナールとジャンは玄関広間で待ち構えて、森から部屋に直行しようとするシーマを両脇から捕まえた。

 「エマが寂しがってんだよ。それにオレだって鍛錬しながら、組織のことやら帝国の動きに気ィ配ってんだ。てめえの修行だけやってんのは器が狭えぞ」

 「……汗くらい、流させろ……」

 無理やり彼を引き摺って会場に入ると、そこにマリーの姿もあったのでレオナールは驚いた。……しかしどう声を掛けたら良いか解らずに彼女からやや離れた場所へ座ると、わざわざ彼女の方から寄って来て隣に座し、自らの酒のグラスをドンと音を立てながらそこへ置いた。

 「……あんな所見たからって、私の弱み握ったと思わないでよね」

 「いや別に……そうは思ってねえけど……」

 マリーは既に少し酔っているようだが、また一口飲んで、大きく溜め息をついた。その椅子の向こうに座っていたエマが、おずおずと問う。

 「マリー……あの日、もしかして何かあったの……?」

 帝国に接触した事は、あの日一緒に行ったリュックを含めて話していなかった。今のところマリーとレオナールだけが知る事実である。だが、あの晩を境に余りにも硬化していたマリーの様子が、エマは流石にやや気になっていたようである。

 そんな彼女に、マリーは盃を置いて、少し寂しげに微笑んで見せた。

 「ごめんね、心配かけて。……実は、元彼に会ったの。でも、やっぱり振られちゃって」

 「えっ……」純粋なエマは、彼女により心配そうな瞳を向ける。「元彼って、その……突っ慳貪な……」

 それを聞いていて思わずまた胸を抉られてしまったのは、レオナールの方である。……何年も熱心に説得を続けていたのに、『邪魔』の一言でその思いを打ち砕かれた時の辛さは流石にきつかった。

 「……突っ慳貪も、大概にして欲しいぜ……」

 彼が思わず零してしまった言葉に、マリーはくすりと、皮肉そうに笑った。

 「……もっと穏やかな人の方が、合っているのかもと思った事もある。でも……やっぱり、駄目なのよね……」

 声が、震えを帯び始める。それを誤魔化そうとマリーはまた一口呷ったが、失敗してしまったようだ。やがて大粒の涙が、その艷やかな頬を伝った。

 「……どうしても、駄目なの。忘れられなくて……馬鹿だわ、私。自分から、別れを告げた癖に……」

 ……先ほどまで稽古をしていた時の彼女からは想像出来ぬ、繊細で弱々しい姿に……その場の全員が、いつの間にかその涙に心引き寄せられてしまっていた。エマが、居た堪れなくなって自らも瞳を潤ませながら、その背を擦る。

 「マリー……」

 暫く嗚咽の声を上げていた彼女は、しかし、無理にでも踏ん切りを付けようと、涙を拭った。

 「……今度こそ、忘れなきゃ。もう無理だもの、あれじゃ……」

 自らに言い聞かせるように、そう呟いた。そして、また酒をぐいと呷っては、盃を卓に叩き付ける。

 「……あの突っ慳貪。年下の癖に、生意気なのよ……」

 ……そして、また飲む。

 「頑固者。気分屋、人ったらし、多重人格っ!」

 「……」暫し黙って見守っていたレオナールも、その様子がやや気掛かりになってきた。「お、おいマリー。明日、試合だぜ?そんな酔っ払って……大丈夫か?」

 「うるっさいわねえ、私を誰だと思ってんのよお」

 そう言ってマリーはふらふらと立ち上がると、しかし、うっと嘔吐いて、その場に倒れ込んでしまった。エマとレオナールが慌てて助けると、卓の向こうからアナも駆け寄ってきた。

 「と、取り敢えず、寝かせてあげよう。あたし達の部屋でいいよね?」

 「お……おう、手伝うぜ」

 レオナールがマリーを背負い、エマとアナが付き添って、彼女を部屋まで運んだ。寝台に寝かせて布団をかけてやると、またおいおいと泣きながら、エマたちを聞き手に散々相手の悪口を言って、やがて頭が痛いと呟きながら眠ってしまった。

 「あー、手のかかるヤツだな……」

 こんな事は、以前からよくあったのだろうか。だとすれば彼女との交際は相当に大変だったのだろうと、レオナールはまたもその相手にやや畏敬の念すら感じてしまったのだった。



 ……そして大会当日の朝、玄関広間で準備を整えていたレオナールの元に、エマとアナが走って来た。

 「マリーが居なくて……もう会場へ向かったのかしら?」

 彼女の装備品もなかったと言うが、昨夜のあの様子では流石に心配過ぎる。一同も急いで支度をし、人混みをよく探しがら会場へ向かった。

 すると、既に練習場にマリーはいた。剣の素振りをするその姿は……昨夜の出来事などまるで無かったかのように凛として気高く、それまで宿の稽古場でそうしていたように人々の目を惹き付けていた。

 「……すげえな、あいつ。やっぱ一流の騎士だっただけあんな」

 負けていられないと、一同は受付を済ませる。レオナールは宿に泊まる時もそうだが、まさか本名を書く訳にはいかないので、いつも『レオ・アフリア』という偽名を使っていた。

 残り僅かな時間で戦いの感覚を改めて掴むべく、同じようにそこへ向かおうとして……あの、ジュリアンの姿を見つけた。帝国の事で誤魔化しているので声を掛けるかどうか迷っていたところ、向こうの方も気付いたようだ。

 「やあ、レオナール。いよいよだな、仕上がっているか?」

 彼は変わらず爽やかな笑顔を向けて来た。

 「おう、まずまずだな。本選で会えんのが楽しみだ」

 「そうだな。まずは、予選突破を頑張ろう」

 また握手を求めて来たので、レオナールがそれに応じると、ジュリアンは今度はそこから見える練習場の方へ焦茶を投げる。

 「……彼女の姿は、相も変わらず美しい。君たちに任せようと思っていたけれど、やはり惜しくなって来たな」

 それを聞いて、レオナールは思わず眉を顰める。

 「もしかしておめえ、マリーの事狙ってんのか?……やめとけよ、すげえ大変だぜ。それに……」

 「ああ、大変なのはよく知っている」ジュリアンはそう言って笑った。「……昔、子供の頃に縁があったんだ。それで今回、クウラージュを率いていたところに再会したため、共に旅をしていたんだが……変わらないな、あの気の強さは」

 意外な話にレオナールが驚いていると、向こうからあのジゼルという女性がやって来た。ジュリアンが見ているものを確認すると彼女は不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。

 「ジュリアン、受付がまだよ。こんなところでもたもたしている場合ではないわ」

 彼女に腕を引っ張られ、ジュリアンはレオナールに軽く挨拶して去っていった。そこへジャンとアナが入れ替わりでやって来る。

 「もう対戦相手を決めるくじ引きが始まってるみてえだぜ。予選が始まるまであと一刻しかねえし、急がねえと」

 レオナールはおうと気合を入れて返事をすると、彼らとともにくじ引きの会場へ向かった。

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分かつ時灯り~Gloire de Dijon 牧野あゆめ @ayume-makino

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