【I-045】迫る開催
本当にやりやがった。
……レオナールはこの光景を見て、初めはそのように思った。確かに、帝国に接触するとマリーは息巻いていたが、それはあのジュリアンという青年に対抗するために勢い付いてしまったためで……流石に、グランフェルテ七世を見ても様子を窺うに留める程度だろうと考えていた。
況してや、あのように不測の事態が起こったなら、幾ら何でも実行どころではないだろうと高を括っていたが……彼女の遂行に対する熱意は、もっとずっと凄まじかったらしい。
(バカ!殺されちまう……!)
そう思って、非力な自分を十分に理解していながら、飛び出すかどうかを散々迷っていた。
(マリーのヤツ、元配下のクセにガンガン、タメ口でいってるしよぉ…)
背筋を凍らせながら、しかしマリーと皇帝との会話をよく聞いていると……どうも、違和を感じた。そして覚悟を決め、この街側の入場口から顔を出して、ふたりの様子をよくよく観察してみることにすると……その関係は、ただ主君と配下というそれでは無いのではないかという気がしてきていた。
(……まさか、マリー……)
……と唖然としていたところに、突然マリーが振り返ったので、レオナールには急いで身を隠す余裕も無かったのだ。
「……」
マリーは隠れていた標的でも見つけたかのように、殺気立った視線で彼を見つめてくる。……どちらにやられるとしても覚悟を決め、レオナールはアーチの陰から出てきて、口を開いた。
「……あ、あの……迷ってたら、たまたま……」
「たまたまじゃないわよ。見つけたとしても、どうして顔を出すのよ。……どこから、聞いて……」
彼女の気迫も十分に恐ろしかったが……レオナールにはその後ろの人物が振り返った事の方が怖くて、思わず顔を引き攣らせて後退る。
「……成る程な。そういう事か」
それを聞いて、マリーは強張った顔を一変させ、慌てて振り返りざまに両手を前で振った。
「ち……違うわ。こいつはただ……」
「何が違う」
強くそう遮った彼の、その表情を見て……マリーは言葉も、手の動きもぴたりと止めてしまう。
「……今のお前は敵で、ここに敵を連れてきた。紛れもない事実だ」
「……」
……途端に襲ってきた身の震えに、マリーは為す術を失う。それを見てレオナールが彼女とヴィクトールの間に駆け込んで来た。
「や、やめてくれ。……それよりも、まずおめえに謝んなきゃなんねえ。アロナーダん時……」
前回に彼に会えた機会……フィジテールの時は、それを伝える余地も無かった。しかし、ここで無理矢理にでも伝えておかなければ、今後彼と交渉出来る場面を作ることは永遠に不可能だろう。
「……あん時は、ごめん。そのつもりはなくて、ただ……」
「ふん」ヴィクトールはさも下らないというように、冷淡な面持ちのまま鼻先だけで嘲笑する。「戦争で斬った敵にいちいち謝るとはな。きりがないぞ」
……斬れば逆上されるし、謝れば馬鹿にされる。レオナールはじゃあどうすればいいんだと途方に暮れつつも、何とか交渉への糸口を掴もうとしていた。
「……オレは、おめえに敵として接したくねえんだ。確かにオレはエクラヴワの名前を持ってっけど……オヤジやアニキとは考えが違うって、ずっと前から伝えてたじゃねえか……」
炎は彼の決死の訴えを、何も言わずに聞いている。……少しは受け入れてくれているのだろうか。レオナールが次に何を訴えるかと考えを巡らせ始めた時、相手は口を開いた。
「はっきり言ってやろうか」
「……え?」
「邪魔なんだ。あの頃から、ずっとな。何の力も持たない癖に、口だけは大層に回りやがって」
……レオナールは胸に一本の大きな刃を刺された気がして、打ちひしがれてしまう。それを見て滑稽だと思ったのか、ヴィクトールは今度は唇の端を上げてふんと嘲った。
「……まあ、今は時間があるから、遊んでやったっていい。折角、また闘技場だ。一本やってみるか?」
「違う……」レオナールは項垂れていた頭をきっ、と上げ、それでも尚必死で訴えた。「戦いてえんじゃねえ。話し合いてえんだよ……」
ヴィクトールは軽く溜め息をつく。
「言ったろ、あんたの話は退屈なんだ。中身が何も伴っていないからな。だが、これだけ追い掛けて来てくれるのに……あの頃のように適当にあしらって巻くのは失礼だと思ったから、提案しただけさ」
「……」
「あ、また武器を持っていなかったな。……マリー。剣を貸せ」
突然に呼び掛けられて、マリーはびくりと身体を硬直させ……そして、迷い始める。ヴィクトールの言う事を聞くべきか。もし、剣を渡せば……今の、あの表情の彼なら、レオナールを殺してしまうかもしれない。
そんなものは、絶対に見たくない。だが、渡すのを拒否すればどうだろう。彼は、自分には絶対に手を下さないと確信していたが……それさえも判らない。……あの表情の彼ならば。
マリーのその迷いを、ヴィクトールは見抜いたのだろう。それまでレオナールを貫いていた紅蓮を彼女へちらと向ける。
「……心配するな。三日後の試合の予行練習をしてやるだけだ。これで鍛練が足りないと感じれば、まだ本番まで余裕があるだろ?」
……その言葉を、もう受け入れぬ訳にはいかない。マリーは恐る恐るというようにその元まで歩を進めると、腰から長剣をそっと抜き、彼に渡す。
「……判った。信じるぜ……」レオナールも背の曲刀を抜いた。「卑怯はしねえと思うが……こないだみてえに、ブチ切れんのはナシだ」
マリーが舞台の下に引くと、炎はまた流麗に剣を構える。
「さあ、そっちから掛かってこい」
「……おう、行くぜ!!」
曲刀が相手に斬り込むと、素早く長剣で抑え込まれた。……そこにはやはり、例の不可思議な力が宿っている。レオナールは一度刃を下ろして、相手を睨んだ。
「おい、その変な力は不公平だぜ!それ使わねえでやれよ!」
「変な力?……ああ……」
ヴィクトールはそれに気づき、自身の長剣を握った手を暫し見つめるも、困ったように首を傾げる。
「……難しいんだ。だが抑えてやろう。子供に稽古をつけてやるつもりでな」
……またも、挑発。レオナールは頭に上りかけた血を深呼吸とともに戻す。大会本番でも嗾けてくる者はいるだろう。
「ありがてえ。いい練習になるぜ!」
レオナールは再び飛び掛かっていく。……この二週間みっちりと、朝早くからは森へ出て走り込み、日中は公式の鍛錬場でフェルブル兵たちを相手に奮闘し、夕方からは宿の稽古場で自分の腕の上がりぶりを確かめていた。アロナーダで彼と剣を交えた時とは格段に違っている筈だ。……それが自分の思い込みでないという事は、この激しい剣のぶつかり合いを交わしている相手の言葉から証明された。
「随分と腕を上げたじゃないか。せめて、このくらいでないとな!」
言いながらヴィクトールは、まだまだ隙だらけの相手のどこを攻めるかを見定める。あまり長く遊んでいる訳にいかない。迫ってきた曲刀を華麗にかわすと、それを決めた。
多少痛めても、三日もあれば十分に回復するであろう力で、彼は振り返りざま相手の手首を叩く。レオナールのうっという声とともに、曲刀がその手から離れ、くるくると宙を舞って場外のマリーの脇へ突き刺さった。
「……さっきから配下に見張られてるんだ。短時間で残念だが、これくらいにしないと叱られる」
ヴィクトールはそう言って、塵でも捨てるかのように片手を振ってマリーへ剣を投げた。彼女は曲刀の方へ向けていた目を慌ててそれに向け、正確に自分の元へ飛んできたそれを受け取る。
「あんたの事だから、また付き纏いに来るんだろ。続きは今度だ。じゃあな」
紅蓮の貴公子は、そのまま踵を返して公邸側の出入口へ向かって行く。……そこで誰かと言葉を交わしていたようだが、そのままその奥へ消えてしまった。
「……」
レオナールはじんじんと痛む手首を逆の手で押さえながら、それを呆然と見ていたが……はっと我に返る。自分たちは追われていた筈だ。形はどうあれ、グランフェルテに接触するという目的も果たしたのだから、ここに長居しては危険だ。
「マリー!ひとまず、ずらかっぞ」
レオナールは段を飛び降り、彼女の脇に刺さっている曲刀を引き抜こうとして、手首に走る痛みに顔を顰めた。何とかそれを抜いて鞘に収めようとして……その隣で、まだ長剣も仕舞わぬままにぼうっと技場を見つめているマリーの様子に気付いた。
「……おい、マリー。しっかりしろよ。リュックを探さねえと」
彼女の肩を揺さ振ると、漸く鈍い動きで長剣を腰に収め始める。レオナールは果てしなく気が重くなりながらも、彼女の背を叩き、先にアーチへ向かった。
……その頃、まだリュックは石像の後ろに挟まっていた。廊下を右往左往する兵士の姿も徐々に減ってきて、このような会話が聞こえるようになった。
「物置の窓が割れていたが、侵入者は見つからない。もう古いから、あの馬鹿みたいに連発する花火の響きで割れちまったのかもな」
「全く、余計な仕事ばかりだ。大会の開催だって景気は良くなるだろうが、こっちは仕事が増えるだけだ」
リュックはそっと、筋肉質の石像の腿と腕の合間から顔を出して、それを覗き見る。兵士達は全くそれに気づく様子もなく、愚痴を言い続けていた。
「大体、あのぼんぼんが出しゃばり過ぎなんだよ。養子のくせにさ」
「まあ、養子だからこそ焦ってるんじゃないか?何か結果を出さないと、捨てられちまうもんだからさ。……あ、まずい!」
彼らは急に姿勢を正して礼をして、そそくさと去っていく。……その逆側からやって来た姿に、リュックは驚愕した。
(!……)
幻でも見ているようだ。……歩いて来たのは、自分自身と同じ顔を持った少年。彼は去っていった兵士達の方を憎々しげに睨んで、ちっとひとつ舌打ちをした。
……リュックは驚きのあまり、先ほど挫いた足を石像の台座から少しずり落としてしまう。慌てて戻し、身を隠そうとするも、無理があった。
「……誰か、そこに居るのか?」
リュックと同じ顔の少年は探るように軍神の像を睨み付け、そして近付いてくる。……あれが、大会の案内に載っていた写真の人物、大統領の子息マリユスか。……見つかってしまったのだから捕まる覚悟をする他ないが、自分の顔を見て相手はどう反応するのだろうかとリュックは気にせずにはいられなかった。
……出てきたリュックを見て、マリユスが酷く驚いたのは言うまでもない。しかし……そのような反応を示した後、彼の口から出た台詞は思いも寄らぬものだった。
「お前は……そうか、お前がそうなんだな……!」
「……えっ……?」
途端に、憎々しげな表情で睨みつけてきた相手を、リュックは只々戸惑いながら見つめるしかない。マリユスはそのような様子を見せることもなく、躊躇せずリュックへじりじりと寄っていく。
「鏡を見ているようだ。何をしに来た……そうか、大会に出るんだな」
「……」
「それが始まる前に、ここへ来て相手の顔を確かめようって魂胆だ。……流石、双子の弟。いい度胸をしてるじゃないか」
(えっ……!?)
リュックは衝撃を受ける。……何かの間違いではないか。自分に双子の兄がいたなんて、アルテュールからも、勿論エマからも聞いたことはない。全くの初耳である。
「双子……?双子の兄弟がいるなんて、聞いたことがありません……ただ……」
同じ顔の人間がいると知って、ただ驚いてここへやって来てしまったと、リュックは言えずに飲み込んだ。するとマリユスは意外そうな顔をして、今度は呆れるように相手の顔を眺める。
「……聞いてない?……同じ顔の人間がこの大会を企画したと、この街に来て初めて知ったのか……」
「……」
リュックが黙っていると、しかし、マリユスは下を向き……そして、また何か憎悪のような感情を湧き上がらせてきたように、同じ碧緑のリュックの目を貫いた。
「気楽なもんだ。何も知らされないで、ここまで生きてきたのか……確かに、随分と間抜けな顔をしてる。どうしてこっちだけが……」
マリユスは拳を握り締め、今にも殴り掛かるのではないかというように震わせたが……そこで三日後からの大会に思いを戻し、ここで下手な騒ぎを起こせば計画が全て失敗に終わってしまうと、込み上げた感情を溜め息と共に追い出した。
「……解った。お前、きっと魔術部門に出るんだろう。……名前を聞かせろ」
「……」リュックは身を硬くしながら、おっかなびっくりといった様子で小さく口を開く。「……リュック……リュック・オリヴィエ……」
その名を聞いて、マリユスはその瞳に宿った憎しみを、一際増したようだ。
「オリヴィエ……オリヴィエな。……ああ、やっぱりそうだ。その名前を持つ奴なんて、今すぐここで抹消してやりたいが……」
下唇を噛むが、今は辛抱だ。
「……僕も大会に出よう。そこで堂々と、直接対決だ。……どうせ、その顔じゃまともに舞台に上がれないところだっただろう?特別枠を設けてやる」
「……」
「当日の案内に記載した時間に合わせて、控室へ来い。……楽しみにしてるぞ」
マリユスはそう言うと、まだ唖然として石像の前に立ち竦んでいる双子の弟に背を向け、自室へ向かって歩き出した。……手が震えている。その原因となる要素には、同じ顔に突然遭遇した驚きも皆無ではなかったが……やはり、物心ついてきたころから募らせてきた怒り、嫉妬、悲しみ……それらが複雑に混ざり合って渦巻く憎悪が、多くを占めていた。
足早にそこへ戻ると、急いで扉を閉めて、施錠する。正面の本棚から一冊の本を取り出して、その間に挟まった、ぼろぼろの紙片を取り出した。……何度も破こうとしたため、その端には無数の切れ込みが入っていて、そこから少し粉が落ちる。
……そこには、茶褐色に変色した、一組の家族の姿が写っている。寛大そうな男性。腰を落とした彼の右手は、七、八歳の少年の肩に。左手は、まだ三歳くらいの少女の肩に置かれている。そして、その脇の椅子に座って優しそうに微笑む女性の両腕にはそれぞれ、生まれたばかりの赤子が布にくるまれて抱きかかえられていた。
……それを先ほどの、一言では言い表せぬ思いで暫し見つめたマリユスは、さらに大きく震え出した手で、写真を裏返す。……そこには名前が書かれていた。おそらく……彼がこのフェルブルに来る前の、真の名前が。
(……マリユス・オリヴィエ……)
……幸あれしと祈る。丁寧に書かれた名前の下には、そのように記されてあった。……ならば、何故。
(……何で、僕だけを捨てたんだ。どうして、あいつはまだオリヴィエと名乗っているんだ……!)
衝動的に、またもそれを破こうと手を掛けてしまう。……しかし、それをしようとする度に、何かが彼の両腕を掴んで離さぬかのように……実行することが出来ないのだ。
(まあいい……)
自らの肩書を掛けたこの武芸大会。……これを成功させなければ、徐々に自分を疎ましく扱うようになってきた義父に、完全に見放されるだろう。だがそんなものは大した理由にならない。
(のし上がってやる……世界に名を馳せてやる。あの方のように……)
ずっと鬱屈として過ごしてきたマリユスの目の前に、彗星のように現れた存在が、グランフェルテ七世だ。あの日の大王への宣戦布告を聞いて、彼も世界の人々と同じく強い衝撃を受けたが……恐怖や怒り、そのようなものでは決してなかった。
この人のようになりたい。
強い憧憬が、彼の全身を駆け巡った。
……その存在を敵に回すような事を、絶対に避けたい。だが義父は愚かな事に、大王国がこれから軍力を強化するとみて、そちらとの同盟の手段を探り始めていた。それが実現してしまえば、マリユスの恐れが現実となってしまうだろう。
彼はなりふり構わず、グランフェルテ帝国に連絡を取ろうとした。しかし公にそれをする事は難しい。地道に何通も手紙を書いたが、それは届かず、突き返されてきた。ならば少しばかり派手に動こうと、軍隊の増強と文化の発展などと理由をつけて、この武芸大会を企画し、また何通もの書簡を送った。
執念ともいえる思いが伝わったのか。その存在に、実際に接触する事が叶った。大王や人々が化け物と揶揄するその姿は、しかし崇高で、そしてこのようなちっぽけな自らの話も受け容れてくれる大器の持ち主であった。マリユスの彼に対する憧れは、より一層に強まった。
(この大会の成功に、全てがかかっている……)
実現しなければ、グランフェルテ皇帝は自分のことを取るに足りぬ存在だと打ち捨てるだろう。……掴んだ機会は、絶対に逃すまい。
マリユスは写真を本に戻し、本を棚に戻す。そして……卓に進むとペンを取り、そこに広げた大会当日の計画表に、魔術部門の特別枠を追記した。
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