雪のバースデーカード~冬の墓標より
祖母が死んだ。車にはねられたらしい。昨日の朝は雪が残っていて路面も凍っていたから、スリップしたのだろう。
昨日、お母さんたちは暗い顔をしながらも時々思い出したようにどこかに電話帳を引っ張り出して電話をかけていた。お葬式やお通夜はしなくちゃならないだろうし。
外の小鳥は朝を告げるように鳴いている。着替える気にもなれず、ベッドの上でただただぼーっと天井を見つめた。
天井を見つめるにも飽きたので寝返りを打つ。壁にかけてある制服が目に入る。その向こうの部屋は今はただの物置になっている。本来なら、姉の部屋になるはずだったらしい。姉も交通事故で死んだという。私がまだ母のおなかの中にいた時に。
もちろん、写真くらいは見たことがある。真っ白なウサギのぬいぐるみを抱えてあどけなく笑っている。ケーキをほおばって口の周りがクリームだらけになっている。ブランコに乗って笑顔を見せている。つかまりだちをしている。はいはいしている。眠っている。母の胸に抱かれている。アルバムの中では若い母と父、時折父方の祖父母、そして快活そうなおばちゃんが映っていた。このおばちゃんこそ祖母だという。生前私が見た祖母には全く見えなかった。祖母は遊んでくれたことも、誕生日にプレゼントを買ってくれたことも、笑いかけてくれたことすら私の記憶にない。祖母の心の中を占めていたのは、姉だった。
むっくりと上体を起こす。おなかがすいているわけではないが、そろそろ何か食べなければ、と立ち上がった。
ふと机の上の封筒が目に付く。真新しいもので、ブルーの地に雪の結晶が描かれている。「あおいへ」と書かれているので私宛なのは間違いないようだ。切手すら貼られていない。雪の結晶のシールをはがして便箋を取り出す。便箋のほうは少し色あせていた。
あおいちゃんへ
おたんじょうび おめでとう
うまれてきてくれて ありがとう
これからいっぱいあそぼうね
そらより
文章はこれで終わっていた。他には何も書いていない。
何かのイタズラだろうか。それにしてはタチが悪すぎる。そらと言うのは、私が知る限りは死んだ姉しかいない。その姉はまだ文字もかけなかったはずだ。
気味が悪いことに、確かに今日は私の誕生日だった。
長いお通夜が終わり、参列してくれた人たちが帰っていく。両親が入れ代わり立ち代わり挨拶をしていく。ほとんどが親戚の人だという。そのほかは町内会長さんとか、隣の家の人とか最低限の付き合いだった人や、警察の関係者っぽい人しかいなかった。加害者には遺族がいないらしい。その中で若い、いや幼いという印象を与える、明らかに連れのいなそうな女性が目に付いた。見たことはないが、私の学校関係者だとすると挨拶もしないと後で面倒になりそうだ。私は彼女に駆け寄った。
「あの」
彼女は振り向いた。きれいな人だ。そうじゃなくて。私たちは無言で数分見つめあってしまった。
「もしかしてお孫さんですか?」
彼女がそう聞くので、「あ、はい」と返事をした。私のことを知っていたわけではなかったようだ。
「祖母と、どういったご関係で?」
彼女は名刺を差し出す。そこには探偵と書かれていた。後から思えば中高生なら制服で来るだろうから学校関係者という可能性は低かったのだ。
「探偵が、何の用で?」
「おばあ様のことは、お悔み申し上げます」
彼女が頭を下げるため、それに倣って私もぴょこりと頭を下げる。
「おばあ様の事故の目撃者から、メールをもらいまして」
……はあ。
「もしかしたらその方から調査の依頼が来るかもしれない、そう思いまして、まずはお通夜に参加させていただきました。このような無礼な真似をお許しください」
重ね重ね頭を下げる。
「いや、いいんです。別に私も――」
まだ人が残っているので口をつぐんだ。
「ではお暇します」
彼女、名刺には小宮山とあった、が去ってしまう前に、「待って」と再度呼び止めた。
何を話したかったのかは考えていなかった。呼び止めてしまった以上、何か話さなきゃ。
「手紙」
小宮山さんが首をかしげる。
「手紙が届いたんです。祖母が死んだ次の日に。
探偵、なんですよね。調べてくれませんか。誰からその手紙が届いたのか」
ほとんど絞り出すように声を出した。小宮山さんが近づいてくる。
「場所を移動しましょうか」
ロビーの端っこで私たちは身を寄せ合う。
「現物は、今持ってますか?」
「いや、家に置いてきた」
「そうですよね。なら、詳細をご説明願えますか?」
私は祖母が亡くなった日の翌日の朝に机の上に手紙が置いてあることを発見したこと、封筒には私の宛名しかなかったこと、封筒や便箋のデザインや文面、そして差出人の名が私が生まれる直前に亡くなった姉だったことまで話してしまった。
「まず、あなたのお名前はひらがなで『あおい』なのですか?」
「そうです」
小宮山さんは少しだけ考えるそぶりを見せた。
「同居しているご家族は?」
「両親だけです」
「ご両親の職業は?」
「父は会社員、母は専業主婦です」
「今年のお誕生日当日は、ケーキを食べたりプレゼントをもらったり、何かお祝いにあたるようなことは?」
「私の分のケーキだけ母が買ってきてくれたので、1人で食べました」
リビングに母が冷蔵庫にケーキがあるので食べてね、と置き書きしてあったので、両親の目を盗んで口に入れたのだ。パサついていて、むせてしまった。
押し黙っていた小宮山さんが、口を開いた。
「なら、お手紙はその亡くなったお姉様からでしょうか」
私は息をのんだ。そんなわけない、と思っていた。でも、そうだとしか思えなかった。だってあの手紙は、あの文章は――。
「亡くなったお姉様の言葉を代筆した手紙をお父様が封筒に入れて届けたんですね」
……うまく聞き取れない。
「あくまでこれは私の想像になりますから、納得されるかどうかはあおいさんに任せます。ですが、私の推理にしばしお付き合い願えますか?」
それは、まったく構わないので、続けてもらった。
「まず便箋ですが、あれはお姉様からのメッセージだと思います。お姉様はあなたが生まれる頃に、あなた宛てにメッセージを送ろうとした。ただし年齢からして文字が書けるとも思えませんので、誰か周りの大人が代筆したのです」
もしかして、祖母が。妊娠した母と仕事があった父に代わって姉の世話をしていたのは祖母のはずだ。
「それがどういった経緯かは存じませんが、引き出しにしまい込んでいたのか何かに挟まっていたのか、あなたの誕生日の前日に出てきたのでしょう。例えばあなたの親戚の家の連絡先などがまとめられたノートなどに」
電話帳だ、と思った。両親は親戚に連絡するのに、連絡先をまとめた電話帳を引っ張り出していた。おそらく祖母の死を知らせるべき人はパソコンの住所録にすべては載っていなかったのだろう。だいぶ埃をかぶっていたし、最後に使ったのは私が生まれたころ、姉が死んだときくらいだろうから。
「ここで便箋の方は用意できました。では封筒は? まずお母様はケーキを用意してくださったのですよね」
「ええ」
「置き書きがあったということは、あなたは少なくともお母様の筆跡は知っていた」
「そう、ですね」
「となるともし封筒の宛名を書いたのがお母様なら気付いたはず。誰からか分からなかったのは、その筆跡を見たことがなかったから。お母様でなければ、封筒を用意したのはお父様しかいません。何せどこからか出てきた便箋を封筒に入れ、あなたのお部屋の机に置けるのは、同居している家族くらいでしょうから」
私は言葉を失った。
「父は、なぜそのようなことを?」
「おそらくお父様があおいさんに宛てて書いた便箋がどこかにあるはずです。間違えて偶然出てきたお姉様からの便箋を入れてしまったのですよ。だから便箋だけ新しかったし、宛名に敬称をつけていなかった」
「そんなことあるわけないじゃないですか、だって――」
小宮山さんは私のことをじっと見つめた。
「封筒の中身を間違えて入れてしまうことですか? それとも、あなたに向けて手紙を書くことですか?」
視界がぼやける。小宮山さんはティッシュを差し出してくれた。
「だって、私は、私はっ」
「充分愛されていますよ。誕生を待ち望んで手紙を書いたお姉さんと、不幸なことがあっても娘の誕生日ケーキを用意してくれたお母さんと、あなたにお祝いの言葉を伝えたかったお父さんと」
小宮山さんが優しく私の頭をなでる。その小さい手はとても暖かかった。
家に帰ったら、電話帳を探してみるつもりだ。
「冬の墓標」を読みたい方はこちら
https://kakuyomu.jp/works/1177354054882046943/episodes/1177354054882645392
大学生探偵小宮山杏奈の四季 平野真咲 @HiranoShinnsaku
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