第40話 好きな人

 展望台の下から子どもの声がした。

「ねぇお母さん。あの上で、ぎゅってしてるのが見えるよ〜!」

「こら。大きい声でそんなこと言わないの。」

「え〜だって〜。あれって「コイビト」って言うんでしょ?」

「もう行きますよ!」

 聞こえた可愛らしい会話にフッと笑みをこぼすと遥から離れた。

「子どもがまだ遊ぶ時間だ。帰って家で話そう。」

 顔を上げない遥に手をさしだす。

「ほら。手出せよ。」

 おずおずと顔を上げた遥は泣きはらした目をしていた。その姿にたまらなくなって、もう一度抱きしめる。

「帰るぞ。」

 そうつぶやくとまだ離したくない遥から腕を離して、代わりに手をつかんだ。小さい手。もう離したくない手。


 帰り道。ボソボソと遥が質問した。

「どうしてあそこにいるって分かったんですか?」

「俺たちは似てるって言っただろ?」

 大切な場所。誰しも落ち込んだ時はそういうところに行くんだろう。俺なら…迷わずハルのところへ行きたい。俺の方が他に居場所がないんじゃないか。そう嘲笑したが、俺にはハルがいたら十分だとも思った。


 マンションにつくと待ちきれなくて玄関で遥を抱きしめる。

「あの…ちょっと…アキ?」

 戸惑う遥に苦笑する。

「悪い…。またハルがどっかに行っちまって嫌な日々が始まるのかと…。」

 そんなに必要として…。でも私はアキが思ってるような人間じゃない。遥はまだ晴れない表情のままだった。

 リビングのソファに座ると晶は遥の両手を握って遥の目を見つめた。綺麗な顔立ちの晶に真正面から見つめられて遥はドギマギする。

「昨日も言ったが、もう一度言う。必要なら何度でも言おう。俺はハルが…。いや。遥が好きだ。」

 遥はドキドキして目を伏せたいのに、晶の真剣な瞳から目が離せなかった。

「俺はハルのことが好きだ。ハルの丸ごと全部がだ。…女としてのハルも。」

 女として…。その言葉につらそうな顔をしたのが分かった。

「嫌なら言ってくれ。絶対に嫌なことはしない。だから…。」

 そう言った晶は遥を抱きしめた。そして頭を撫でると遥の顔に自分の顔を近づけた。遥が固まっているのが分かる。

「好きだ。ハル…。」

 そうつぶやいて首すじにそっと唇を触れさせた。その後また抱きしめると質問する。

「…嫌か?俺に触れられるの。」

 胸の中で小さく首を振る遥にホッと息を吐く。ここからは聞かない方がいいんだろうが…これは俺のエゴかもしれない。でもあんなクソヤローの嫌な記憶を上書きしたい。もう思い出して欲しくもない。

「あいつにどんなことされた?同じことをしたい。」

「え?」

 俺もクソヤローだな…。

 遥が戸惑っているのが伝わる。それでもやっぱりやめようとは言いたくなかった。

「急に抱きしめられて…。」

 言われて晶ももう一度抱きしめ直す。

「耳元で…好きだよって言われて…。」

「好きだよ。ハル。」

 ささやかれた甘い声に遥は胸がキュッとする。

「そ、それで、なんか首の辺りが気持ち悪くなって…。」

 気持ち悪いか…。そんなことしたくないな。

「ひゃぁ!」

 のけぞった遥の顔は真っ赤で、耳を押さえて抗議する。

「い、今、耳かじった!」

 ククッと思わず笑って「ダメか?」と質問する。

「ダメです!そんなことされてない!」

 晶は遥をまた抱き寄せる。

「気持ち悪いことはしたくない。でも…俺も男だったらしい。好きなやつに触れたい。他の男のことなんか忘れさせたい。」

 好きなやつって私のことだよね?遥はいつもと違うド直球な晶に動揺する。

「今日のアキはなんか変です。」

「変か?…嫌か?」

「…嫌じゃ…ないけど…。」

 …ッ。こいつ、こういう無自覚なところがあるんだ。

「…煽ってんのか?」

「あお…?」

「いや…。なんでもない。」

 やばい…。ちゃんと抑えられるか…。

「遥。」

「あの…遥って呼ぶのずるいです。」

 ハハッと笑うともう一度わざと「遥」と呼ぶ。諦めた声で「なんでしょう」と返事が聞こえた。

「俺はハルが好きだ。ハルは…どうなんだ。」

 しばらく沈黙があった。ここまでのことをして、まだばあさんと同列だったら笑っちまうな。

「分からないです。」

 まさかの分からないかよ。おかしくて泣けてきそうだった。

「アキのこと好きです…けど…それがアキと同じなのかは分からないです。」

 晶は腕の中からそっと遥を離した。そして瞳を見つめる。

「ちゃんと目を見て言ってくれ。この際、ばあさんと同列でも構わない。俺が好きだと…言ってくれないか。」

 もうなんだっていい。明確な言葉が欲しかった。

「…好きです。アキのことが。」

 恥ずかしそうな顔をした遥がたまらなく可愛い。

 顔をそっと近づけると遥がうつむいた。

「…嫌か?」

「…ずるいです。」

 フッと息をもらす。

「何がだ。」

 何も言わない遥にまたフッと笑う。

「遥。好きだ。」

 そうささやくとゆっくりと顔を近づけて、うつむいた遥の顔をのぞきこむ。そして遥の唇に自分の唇をそっと重ねた。温かい吐息がもれる。

 そのまま首元に優しく唇を触れさせた。すると遥がぎゅっと晶にしがみつく。

「…やです。今日のアキなんか…。」

「悪い…。我慢する。」

 遥の気持ちを知って、ちょっと歯止めが効かなくなってたか…。どんだけ俺は…。

「我慢って!なんか…。」

 …エロじじい。

 ボソッと言った遥の言葉にハハハッと笑えてしまう。

「なんでアキが笑うんですか!」

「ククッ。悪い。そうだな。エロじじいだった。でもハルも悪い。可愛くて俺をその気にさせる。」

「なっ…。」

 甘々で、だけど意地悪な晶に遥は赤面する。

 ほらまた…。

 そっと赤くなった頬を撫でる。そんな晶に遥は急いで自分の手で頬を隠した。

「ダメですってば!」

「まだあのヤローを思い出すか?」

 切ない声を出した晶に遥は胸がギュとした。

「そんなこと…。もうお兄ちゃんよりすごいことされて、なんかお兄ちゃんのことどうでもよくなったっていうか…。」

 すごいことって…。表現の仕方、んっとに大丈夫かよ。

「じゃ思い出しそうになったら言ってくれ。いつでもキスしてやる。」

「な…なんでそうなるんですか!」

 真っ赤な顔が愛おしい。

「違うのか?」

「ちが…そういうことじゃなくて、していいなんて言ってない!」

「そうか。許可がいるのか。じゃ…今していいか?キス。」

「!」

 どれだけ側にいて今まで我慢してきたと思ってるんだ。少しくらい意地悪させろ。そう思っていた晶の耳に思わぬ声が届く。

「…いいですよ。」

「なっ…。」

 今度は晶が赤面して動揺することになった。

「私も好きな人に触れたいです。」

 ぎゅっとしがみついてきた遥に晶は動揺しつつもそっと腕をまわした。

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女嫌いと男性恐怖症 嵩戸はゆ @Takato_hayu

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