鶴岡は大丈夫

@Matu-Kurou

第1話

 月山。

 いい名前だ。響きがいい。

「がっさん」という響きとともに、月の山と書く日本語の漢字から見た意味が一瞬でつかむことができる。きれいな表意文字である。

 庄内平野から眺める月山は、これだという風に指すのが難しい。特徴的な山頂がないので、誰かに解説してもらわないと分からない。なだらかな稜線が幾重にも連なっている山塊なのである。山塊といっても高山でなく、どれも標高2千メートル以下の山々である。

 月山はまたの名を臥牛山と呼び、臥した牛の垂れた首を羽黒山、背にあたる頂を特に月山、尻と太ももの間にあるのを湯殿山といい、これを出羽三山という。

 古くから修験道で栄えた。法螺貝を吹く山伏のイメージにぴったりの信仰の山である。羽黒山神社、月山神社、湯殿山神社は今も訪れる人が後を絶たない。

 西の伊勢参り、東の出羽三山参りとも称される。

 山形と名古屋を結ぶ航空会社がこれをキャッチコピーにして

「べっぴんの伊勢参り・すっぴんの出羽三山。私がわたしに還る旅」

 というチラシを作っていた。

 面白い。若き乙女は気に入るか否か。


 出羽三山の麓に位置する町が鶴岡である。庄内平野の米どころで、町の中心部から車で1、2分も走れば一面の田んぼが広がる。

 すでに日本海がそこにある。

 湯野浜の海岸に沈む夕陽は絶景だそうだ。鶴岡を紹介するパンフレットにはたいがい湯野浜の夕陽の写真を使っている。私は2016(平成28)年7月に2泊3日で湯野浜温泉に泊まったが、あいにくの曇天で夕陽を見ることはできなかった。従って月山もそこからは見ることはできなかった。

 天気が良ければ牛の背のような起伏の山並みと、きっとそれが月山の頂だろうと思われる一点が田んぼの奥にたたずんでいるはずである。

 朝は真東にかまえる月山の上から一日の日が差しはじめ、日暮れになると日本海の水平線に沈む日を見ることができる場所が鶴岡である。


「ンでがんす(さようでござりまする)。」

「今日はお寺参りに行く日でがんした。」

 藤沢周平は庄内・鶴岡の出身で、庄内弁をよく使う。

『蝉しぐれ』や『たそがれ清兵衛』など江戸時代の庄内を舞台にした小説を多く書いた作家である。

 出羽三山や鶴岡市内の多くの観光スポットは藤沢周平の小説の舞台になっており、その旨の看板がたっている。町をあげて藤沢を盛り立てている。

 その一番は藤沢周平記念館である。

 著名な作家はたいてい文学館や記念館があるが、それが天守閣のあった場所に建っているのである。

 鶴岡市の中心部に鶴岡城址がある。内濠に囲まれた本丸跡は、「跡」であるから既に城はない。二つの神社と藤沢周平記念館があるのみである。

 本丸の中にある記念館、それも作家の記念館とは珍しい、と思った。

 藤沢周平は武家の出でもなく藩政に貢献した人でもない。実家は鶴岡郊外の農家で昭和の生まれだ。それでも特等地に記念館を建ててもらったのである。

 上田城の本丸内に誰かの作家の記念館はあるだろうか、熊本城の中に誰かの作家の記念館はあるだろうか。

 県や市がここまで持ち上げるのは矢張り藤沢文学が鶴岡市および山形県に与えた影響であろう。数々の受賞歴をもち、ドラマや映画の原作でいくつもの作品が取り上げられた作家であり、藤沢周平によって山形、特に庄内に対する理解を促進することができた、と考えたのだろう。

 岩手県遠野市が『遠野物語』によって遠野の町全体を整備し、その本のイメージ通りの町づくりを目指したことと根っこのところで共通する潜在的な意識があるのではないだろうか。

 藤沢周平記念館は2010(平成22)年に出来た。直接的には地方交付税のばらまきの恩恵によったのかもしれないが、建設を決めた背景には「遠野物語の遠野市」のような考えも無意識のうちにはあったと思われる。

 藤沢周平先生で町おこしをしてみっがの、と。


 藤沢作品の多くが庄内各地の風景を取り入れている。そして彼の原風景を我々に見せてくれる。

 実際に月山から鶴岡あたりをドライブしてみると、あらためて庄内における藤沢周平の影響を目の当たりにすることができる。ここまでくい込んでいるとは思わなかった。

 遠野市が遠野物語で町づくりをおこなっているように、鶴岡市では藤沢周平を大きくかついでいる。しかし、遠野が遠野物語だけに依存しているのに対して、鶴岡では仮に藤沢周平がいなくても、出羽三山や温泉、世界に誇れる食文化で生きていける。

 地場企業もそれぞれ独自に生き残り戦略があるように見える。それだけの消費を負担できる地域の力、地力が備わっているようである。それでもそこに藤沢文学が乗っかっている。乗っかることができるだけの土台ができている、といえる。


 山形の鶴岡という町は全国的にも決して有名ではない。鶴岡ってどこ、という人のほうが多い。行ってみて、ここは大丈夫、と思った。

 江戸より120里(480キロ)、北国の小藩だが、映画の舞台になるだけのことはある。決して江戸時代のことではない。小藩の力が、そこに暮らす人の力が今も続いている。そう思った。

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