彼が教えてくれた加太の町

夢沢 凛

彼が教えてくれた加太の町

 いつも賑やかな加太かだの町が今日はやけに静かだった。海岸で遊ぶ子どもの声、魚貝類を食べに訪れる観光客、地元の人の声。みんなみんな、いなくなってしまったかのように静まり返っていた。

 私は1人、淡嶋あわしま神社の本殿の前に立っている。この神社は本殿の中、本殿の外回り、絵馬をかける板の周りにも供養される人形がずらりと置かれている。初めて見る人は少し不気味がるかもしれないけれど、私にとっては大好きな場所。彼と過ごした大切な場所。

 海からの潮風が私の頬をかすめて、髪をなびかせる。

 この町は私の宝物。いや、彼が宝物にしてくれた。彼が私の世界に色を付けてくれた。

 でも、彼はもういない。いなくなってしまったんだ。

 私は彼への思いのたけを伝えたかった。せめて届け。風に乗せて、この思いよ。




「行けそうで行けないんだよね、淡路島あわじしまって」

 加太の砂浜で腰を下ろした彼は前方に見える淡路島を眺めながらそう呟いた。

「目の前に見えているけど案外遠い。泳いで行けそうに見えるけどね」

 どこにでもいる普通の高校生。運動が出来る訳でもなく、勉強が出来る訳でもない。でも時々ぶっ飛んだことを言う面白い人物だった。

 この日は天気が良かったから、淡路島のさらに向こう側には四国も見えた。

「あの淡路島にも沢山の人が住んでいる。その向こうの四国にはもっと。僕も早く大人になって広い世界を見に行くんだ。どんな人がいるのか、ワクワクしないかい?」

 彼は私に笑みを見せてくれる。この話をする時の彼が私は1番好きだった。

 この町はそれほど大きな町ではないが目の前に違う島が見えて、外の世界が目の前で見える。彼はそんなところがこの町の魅力の1つだと誇らしげに語っていた。そしてもう1つ。

「・・・お、いいにおいだ。そろそろお腹が空いてきたね」

 そんな時、彼が不意に立ち上がり、早足で歩き出した。

 そして、神社の近くの店の前で立ち止まった。店先からは貝を焼く煙が漂っており、そのにおいが彼の胃袋を刺激していた。

「ここで昼食を食べていこう」

 彼は店に入ると空いている席に腰かけた。店の中は沢山の人で賑わっていて、それぞれ思い思い貝や魚を頬張っている。彼いわく、しめのうどんが最高だとか。

 この町のもう1つの自慢は魚貝類がとっても美味しいことだと彼は語った。

 昼食の後、彼は必ずすぐ近くにある淡嶋神社に訪れる。

「本当にいつ見ても圧巻だね、この人形の数は。・・・でも1つ1つの人形に人の思いが込められているんだよ」

 彼の人形を見つめる目はいつもとても温かい。お賽銭さいせんを入れて鈴を鳴らしては2礼2拍手をしてから手を合わせた。長い間の沈黙の末、顔を上げて1礼した彼は私の目を覗き込んだ。

「待たせてごめんね。・・・おっとこんな時間。帰ろうか」

 もう終わってしまうのか。

 今日は月に一度の彼と2人で出かけられる日。次はまた1ヶ月後。

「また1ヶ月後、出かけられるのを楽しみにしてるね」


 でも、それからちょうど1ヶ月後の約束の日。

 彼が私をくれることはなかった。

 その代わりにのは病院の一室だった。

「どうしてまた私の子どもなんですか!!どうして・・・こんな・・・こと・・・っ」

 病室に響く母親の泣き声。その隣に立つ父親。そして、その父親の腕に私。

「落ち着いて。まだ助からない訳では・・・」

「でもあなた!娘も同じ病気で死んだのよ!!」

「お母さん・・・お父さん・・・」

 そんな時、彼が目を覚ました。その瞳に宿る光はあまりにも弱々しく、こんな彼を見たことはない。

「お願いがあるんだ・・・」

 彼の言葉に母親と父親は彼にぐっと近づく。

あいを淡嶋神社で供養して欲しいんだ」

 彼はゆっくり私に目線を向けた。

 愛。

 そう、私は愛。彼の妹さんが数年前に病気で亡くなり、その時に作られたのが私。妹さんによく似せられて作られた私は、彼にとても可愛がってもらった。でも時々見せる切ない顔が苦しかったけれど、彼はいつも私に笑顔を見せてくれた。

「彼女には沢山の幸せをもらったから・・・だから・・・」

 彼は父親から私を受け取るとぎゅっと抱きしめてくれた。

「ありがとう」


 それから数日後、彼は17の若さで病死した。




 静かな境内に風が吹き込んでくる。

 もう時間だね。

 静かだった境内に人が集まってきた。砂浜にも子どもの声が戻ってくる。

 また、賑やかな加太が戻ってきた。



 さようなら。大好きな加太。

 沢山の思い出をありがとう。



 少女の体はみるみる薄くなり、そして潮風に吹かれて消えた。












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彼が教えてくれた加太の町 夢沢 凛 @Rubii7yumesawa

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