すいか

@se_k_i

すいか

 傍らに蝉がぼとぼと落っこちている長い坂道の下で、僕と彼女は待っている。

 麦わら帽子に白いワンピース。足元は涼しげにブルーのサンダル。足首に紐が絡みつくようなデザインの、オシャレなサンダル。そして右手には黒い金属バット。

 どこにでもある、夏のいでたち。僕はというと、しなびた緑のTシャツに膝までのジーンズ。そして右手のキャッチャーミット。

 どこにでもいる夏の男女。

 しいていえば、年齢の割に恰好が幼いぐらい。


 彼女はロージンバックを持って両手でぱたぱたとはたく。バットのグリップに巻きついている黒いテープが白く染まりつつある。くるくる巻かれたテープは一部が擦り切れていたり、剥がれたりしている。

 彼女はバットを使って体をほぐしたり、軽く素振りをしてイメージトレーニングに励んでいた。僕は特にイメージすることもないので、意味もなくしゃがんでは立って、しゃがんでは立ってを繰り返している。

 彼女が持っているバットはそこらじゅうへこみだらけだ。きっと軟式用なのに硬球を打っているせいだ。プリントされていたメーカーのロゴも消えた、ただのまっ黒な鉄の棒と化したそれを、指揮棒でも振り回すかのように軽々と扱う。

 彼女の現在の打率は3割とんで7厘。得点圏打率はそこそこ高いものの、内角を重点的に攻められるとなかなか手が出ないようだ。

「もうそろそろね」

 彼女の緊張がバットにも伝わり、何も変わっていないはずのバットが急にとんでもなく重い物に見えてきた。

「きた」

 空との境界線である坂道のてっぺんから、第1球は投じられた。

 もの凄い勢いで転がってくる、まるくてでっかいそれ。

 緑と黒の縦縞。

 彼女は横縞と言って譲らない。


 すいかだ。


 えらい勢いで坂道を転がってくる、すいか。坂道のてっぺんからここまで100メートルはありそうなのに、みるみるスピードを上げて僕らに迫ってくる。

 彼女がさっとバットを構えたので、僕も慌ててミットを構える。

 もうすぐそこに、最初のすいかが転がってきた。


 ゴスッ


 思い切り振り下ろされた彼女のバットがすいかに当たる。鈍い金属音が響き、打たれたすいかが横に転がった。

「ファウル」

 彼女はすぐさまバットを構えなおす。

 すいかは続けて転がってきた。彼女は転がってくるすいかを次々に打ち、打率を上げ、また下げていく。僕は時々、彼女が空振りしたすいかをミットで捕球する。

 これはえらく重い球だ。長打は難しそう。

 転がってくるすいかの量は次第に増えていく。それもひとつやふたつじゃない。雪崩のようにすいかが転がってくる。3割を超えていた彼女の打率も次第に2割7分を下回り、僕のミットに収まるすいかが増える。

「危ない!」

 彼女の叫び声で僕は初めて気がついた。しかし時すでに遅く、僕の目の前にすいかが飛び込んできた。

 どうやらそこらに落っこちていた蝉に当たって弾かれたらしい。避ける間もなく、直撃した。

「ちょっとキャッチャー!」

 顔面にすいかを受けた僕は、しゃがんだままバランスを崩し、後ろへ倒れた。すると次から次へと押し寄せてくるすいかがこれみよがしに僕を襲い、気づいたら僕もすいかと一緒に転がり始めていた。

 坂道のいちばん下にいたはずなのに、僕もすいかもどこかへ向けて転がり続けている。

 聞こえていた彼女のスイング音が、ふと途切れた。僕は転がりながらなんとか彼女が立っていた場所を探した。

 そこに彼女の姿はなかった。かわりに、白い何かがすいかにまみれて転がってくるのが見えた。


 ああ、打ち損じたな。


 たまにあるんだ、自打球ってやつが。顔とかに当たったらもう最悪。

 転がっているすいかの中にはぶつかり合って割れたすいかもいっぱいあった。赤々と、黒いてんてんを忍ばせて。

「早くバッターボックスに戻るんだ。このままじゃ2軍行きだぞ」

 僕が声を上げても、彼女は「ぎゃあ」とか言ってばかりで全然取り合ってくれない。このままでは2人ともすいかと一緒に2軍一直線だ。

「打て、打つんだ。せめてバント、バントなら打率は下がらない、すいかを」

 彼女の声が少しだけ聞こえた。

「無理だって。すいか」

「じゃあせめてフォアボールかデットボー、すいかすいか」

「すいかすいか、でも変化球が、すいか」

「すいかすいか」

「すいか」

「すいかすいかすいか」

 すいかすいかすいかすいか

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