栗本薫さんは元々「二番もあるんだぜ」で有名(だと思う)小説道場をちょっと読んだことがあるってくらいだったんですが、この人のレビューを読んで、いくつか著作を手に取ったくらいには吸引力があります。
愛憎たっぷりに書かれたレビュー郡は、時にボロカスに叩きのめし、指をさして笑い、純粋な読者としての嘆きに満ち、しかし時折ホロリとさせられるくらいの純粋な賞賛も見え隠れし、「こんな風に一人の人間の気持ちをあっちこっちに揺るがした作家の作品ってどんなものなんだろう」と好奇心を掻き立てられます。
メディア9、グルメを料理する十の方法、ぼくらの時代など良い作品を手に取る機会を与えてくれたこのレビュー郡に感謝します。色んな逸話のある作家さんだし、手軽に手に取れる長さの作品、おいしい上澄みだけ食べてるから言えることなのかもしれませんが。
全くこの作家を知らない人が読んでも面白いです。むしろ自分のように、ほとんど作者とその作品を知らない人がちょっと好奇心で覗いてみるくらいの方が楽しいかもしれない。(コアなファンが読むと色々と触発されてつらいかもしれない)
このレビューを通して描かれる栗本薫=中島梓=山田純代という女性の「自分は何者かになりたい」「自分はここにいる」「自分を見ろ」という無言の叫びは、少なくとも突き刺さる読者もいるはずだ。
読書が好きで、臆病者で自意識が強くて、その癖控え目で、他人から否定されるのが嫌いで、その他にもコンプレックスを山のように抱えた、多分どこにでもいるオタク少女。
こんな栗本薫だからこそ筆者は天才に憧れた凡人であり、新人賞以外の賞とは無縁の、永遠の若書き作家だったという。またこのような作家であったからこそ、(商業的にはともかく)正道だったとは決して言い難い作家人生を送ったのもまた必然だったのかも知れないという気がする。
筆者がこのレビューを行なったのは、長年に渡る栗本薫への愛憎の為せる業だろう。だが愛は間違いなくあったのだ。