万歩計 (山形県・山寺)

深海

万歩計  

 つまりありていに言えば、ケンカした。

 猫も食わないよほんと。まだ夫婦じゃないけど。

 あれ? 犬も食わないだっけ? まあいいや。うちにいるのは猫だから。

 ソファで香箱座りしてるタマが、あきれてそっぽむいてる。

「千七十一段です」

「それ、わかったからミカさん。マジよくわかったから」

「いいえわかってません、セージさん」

 三連休の中日を使って山寺に行った。

 お寺のほんとの名前は、立石りっしゃく寺というらしい。

 山寺というのは通称で、その名の通り、切り立つ崖山のてっぺんにお寺がある。

 行きは狭い石段を登って。登って。登って――

 途中で玉こん買って食べて。また登りまくって。

 てっぺんのお寺に詣でて。岩山の上からまっかな紅葉の絶景を楽しんだ。

 そして帰りは石段を降りて。降りて。降りて――

 途中でまた玉こん買って食べて。また降りまくってきた。

 そのあと、足がだるいんでドライブ中止して、俺んちに直行。

 家に上がるや、ソファに鎮座なさったミカさんが異議を唱え始めたわけですよ。

 メガネすちゃっと指で押し上げて。キャリア系の短いタイトスカートから、見えそうで見えないすてきな足組みアングル見せつけて。そして左手に万歩計を持ちながら、きっぱり。


「セージさん、あなたのカウントは間違っております」


 それから何を言っても「わかってない」の一点張り。

「確かに俺は指折り数えて、千七十段って数えたよ。だから正確性は微妙だろうけど、看板には千五十段って書いてあったし」

「千七十一段です」

「わかったってば。それより撮った写真一緒に見ようよ。ほら」

 俺はスマフォを、ミカさんの前に印籠のごとく見せつけた。

 石段登りは山登り。一日中パソコン使ってる職業の俺には、かなり辛かった。

 でも登りきった後の、あの爽快感はやばいなんてもんじゃない。マジ、おどげでない。

 崖の上に建ってる納経堂の、あの幻想的な姿。てっぺんから見渡せる山々は、紅葉で赤や黄色に染まっていて、まるで燃えるよう。あれぞ絶景。鮮やかな色の波……。

「もう、すこだま撮っちまったんだぜ」

 スライドショーで撮った写真を見せる。これで石段からミカさんを離したかったんだけど。

 画面に映るのは、お寺。紅葉。お寺見上げてるミカさん。

 お寺。紅葉。納経堂眺めてるミカさん。

 お寺。紅葉。万歩計を覗きこむミカさん。

 ……って、うああ。やぶへび!

「ええ、万歩計で確認しましたから、間違いありません。石段では、千七十一段です」

「石段、では・・?」

 ミカさんは理数系脳で暗算得意で、すこだま秀才。

 正確に数えるのが好きで、そこに非常にこだわる。かなり病的にこだわる。 

 デートの時はなぜかいつも腰に万歩計。歩数を数えて歩いてる。数十分おきに出してのぞいて満面の笑み。食べに入ればポテトの本数を数えながら食べてるし、たぶん何回噛んで飲み込んだかも数えてる。

 むろん階段の段数は必ず数える。絶対数える。数えないはずがない。

『きりのいい数だと、気持ちいいですよね』

 というわけで今日。俺にもミカさんの癖がうつった。

 山寺の果てしない石段を数えながら登りきったら、千七十段。

「千七十一段です」

「も、もういいー!」 

 職場でこっそりこくって、OKもらって付き合いだして三ヶ月。

 ちょっと年上のミカさんは、草食系な俺の理想通り。

 仕事は完璧にフォローしてくれるし、うちの母ちゃんより目端がきく。曲がったネクタイとか、もう何べんも直してもらってる。

 でも今。このままいつか、教会の鐘リンゴロンして大丈夫? と、心の奥の片隅でちょっとだけ不安になってる俺がいる――。

「千七十一段でいいってばもうー」

「セージさんは、わかってません」

「わかってるよ!」

 冷蔵庫から缶ビールを出す。

 飲んじゃったらミカさんを車で送れない。でも運動して疲れたから、ぷはーってしたい。それに正直なところ、泊まっていってほしかったりする。

 だって俺たちまだ最後の段階までいってないから、今日こそはって気持ちが、そこはかとなく……あるん……だけど……

「せんななじゅうと、いち……です」

 え。

 ちょっと待ってミカさん。

 な、泣いてる?! え!?

「一段目で……」

 無表情な顔が崩れている。メガネにガードされた大きな瞳から、涙の粒がぼろっとこぼれてる。

 一段目? 数え始めに何か、あったっけ? 

 必死に思い出す。入り口の所で二人並んで石段見上げて。一緒に一段目に足乗せて。それから――

「あ」


『ふああん!』

『あっ? セージさん、子どもが転びました』

『えっどこ?』


 あのとき振り向いたら。はしゃいで走ってきた小さな女の子が、すっころんでた。ミカさんは泣いてる子にかけ寄って助け起こして、親が駆けつけるまで慰めてた……。

「あの時の一段? あれも入ってる?」

「もちろんです」

「な、なんで?」

 ミカさんが万歩計を握りしめる。

「今日はふもとで三。石段で千七十一。頂上で三百。下りで八百二十三です。帰りのふもとではゼロ。トータル二千九十七歩です」

 ふもとで? 石段で?? 頂上で???  

「いつも数えてます」

「それってまさか……」



『この石段。登るのきつそうですね』

『大丈夫だよミカさん。いつもみたいに手ぇつないで、一緒にのぼろ。俺が引っ張ってやっからさ』


 まさか。ミカさんがデートの時、いつも万歩計で数えてたのって……


「ご! ごめん! マジごめん! マジでそれ? その数なの?!」

 俺はミカさんにあたふたと、手近にある布を手渡した。涙を拭いてもらおうとしたんだが、それが台所の布巾だと気づいてさらに慌てる。七転八倒する俺を見たミカさんは、ようやく口元をほころばせた。

 その隣で。なんか悟りきった顔でタマがにんまりしてる。

「あの……さ。今までのトータルって、どんぐらい?」

 おそるおそる聞いてみたら。ミカさんはすぐに答えてくれた。

 みるみるその顔に満面の笑顔を咲かせながら。

 

 その、桁がおどげでない数は。

 すこだま恥ずかしくて、人には言えない――。

 


 

 了



  

 

 ※方言

 すこだま:沢山。

 おどげでない:とんでもなく。

 

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万歩計 (山形県・山寺) 深海 @Miuminoki777

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