しろとあか

宮城 由貴

ささやかな冒険譚

 あかねはふと立ち止まった。

 手元の携帯端末スマートフォンとしばらくにらめっこし、もう一度顔をあげてその小さな分かれ道を見やる。

「ここ……かな」

 小川の上に簡素な板を渡した、その向こうにある小道をのぞきこむと、奥に赤い鳥居が見える。

 茜は自分の来た道を振り返った。

 閑静な町だった。JRの横須賀駅からたった一駅のところに、こんな場所があるとは思ってもみなかった。異国情緒のある、いつもにぎやかな横須賀市街とは真逆の、静かな町だ。

 再び眼前の小道に視線を戻す。どうにも入るには気後れする、本当に小さな道だった。

 意を決してその道へ踏み込み、鳥居の正面に立って見あげてみる。中央の扁額へんがくには「伏見白赤稲荷大神」と書かれていた。

「やっぱり、ここだ」

 茜は小さくつぶやきながらうなずいた。目指す場所にたどりついた高揚感が、小柄な彼女の身体を淡く包み込む。

「……よし」

 バックパックのストラップを握って気合いを入れ、鳥居をくぐりかけて茜ははたと立ち止まった。二、三歩後退しながらベルトポーチにしまったデジカメを取り出し、鳥居にレンズを向け、角度を変えて五、六回ほどシャッターを切る。

 デジカメの背面にあるディスプレイで画像を確認し、茜は満足げにうなずいた。改めて鳥居を見あげ、デジカメを両手に持ったままその下をくぐる。

 それが、茜のささやかな冒険の始まりだった。


 ほんとうは、一人でここに来るつもりはなかった。

 二週間後に迫った中学校の文化祭で、茜が所属する歴史部は、市内に点在する寺社の来歴を調べよう、ということになっていた。

 小学校のころから仲良しで、歴史好きの史佳ふみかにつられるように入部した茜にとって、文化祭はそれほど入れ込むものではなかった。それでも、イベント前に特有のふわふわした雰囲気にあてられて、なんとなく高まったテンションで図書館のパソコンを使って調べものをしていたとき、それに遭遇した。

 林の中に並ぶ、いくつもの鳥居。うっそうと茂る広葉樹からこぼれる木洩れ日に照らされ、別世界へつながる門のような雰囲気をかもし出すその光景に、茜は心を奪われた。

『ねぇねぇふみたん』

 となりで分厚い横須賀市史と格闘していた史佳に声をかける。

『んー?』

『こんな神社あるみたいだよ、すごくない?』

『どれどれ……へー、面白いね。この神社、ウチの市内にあるの?』

 興味をかれたらしい史佳が、ディスプレイをのぞきこんできた。

『そうみたい……ね、これも展示に入れようよ。きっとウケるよ』

『ウケ取るための展示じゃないけどね……』

 一風変わった神社のため、部員達の間ではすぐに展示に加えようという話にはなった。だが、一緒に訪れるはずだった史佳が数日前に体育の授業で足をくじいてしまった。文化祭まで日は少なく、他のメンバーは別の寺社の調査にまわらなければならない。

 そんなこんなで、茜ひとりがこの神社を訪れることになったのだった。


 足取りも軽く歩き出した茜の高揚感は、なだらかに、だがどこまでも続く坂道を前に早々に消えつつあった。ちょっと歩けばあのたくさん並んだ鳥居を見つけることができると踏んでいたのだが、両脇から広葉樹が枝を広げる薄暗い山道が続くばかりで、いっこうに神社の姿が見えてこない。

「なんなのよ、もー」

 ぶつくさつぶやきながら、それでも歩きやすいように段のつけられた坂道を登っていくと、丁字型の分かれ道にぶつかった。枝分かれする道の根元に、「白赤稲荷大社」と書かれた手書きの看板が、小さな矢印とともに掲げられている。

「……え? こっち?」

 茜が呆然と声を上げるのも無理はなかった。最大限好意的に評価しても、けもの道と言った方がふさわしい風情の道が続いている。

 だが、ここまで苦労して山道を登ってきて、タダで帰るわけにもいかない。萎えそうになる気力を奮い起こして、茜はその細い道に足を踏み入れた。

 常に木々に覆われているためか、黒く湿った道を注意深く登っていくと、左手が開けて畑が見えてきた。先ほどの分かれ道のもう一方は、この畑に続いているのだろう。

 緩やかな勾配が続く、人が踏みしめただけの細い道を進み続け、先ほどの畑が崖下に見えるくらいまで登りきったところで、茜は足を止めた。

「……あった……」

 朱色の鳥居が、一列に並んでいた。鬱蒼とした木々に囲まれた中で、鳥居の間だけがぽっかりと異世界の入り口のように開けている。

 しばらく茫然とたたずんでいた茜は、我に返るとデジカメを掲げ、鳥居の列に向けて何度もシャッターを切った。一度はしぼみかけた高揚感が、再び身体の奥からよみがえってくる。

 たかぶったテンションのまま、茜は鳥居の列をくぐって参道へ入った。

 あちこちにレンズを向けながら進んでいくと、ふと居並ぶ鳥居の柱の裏に書かれた文字が視界に入った。比較的新しいその鳥居は、茜が生まれた年に奉納されていた。なんとなく親近感を感じて、その文字も写真に収める。

 そうして鳥居の列をいくつもくぐっていくと、ふいに視界が開けた。

 小さく開けた、広場のようになっている場所の右手に、慎ましやかな社があった。

「うわ……ちっちゃ」

 思わず茜がそう声を上げてしまったほど、その社はささやかだった。

 拍子抜けしたようにデジカメに視線を落とし、茜はふと気づいてこれまで通ってきた鳥居の列を見やった。

 あの鳥居には、古いものも新しいものもあった。ここの人達は、このお社を大切にしている。こんな山の奥の小さな神社だけれど、少しずつ鳥居を新しいものに換えながら、ずっと守っている。

「そっか……うん、そっか」

 茜は何度も小さくうなずいた。最初は本当に興味だけで訪れた場所だけれど、文化祭で発表したい内容は、彼女の心のなかで形になりつつあった。

 史佳や他の部員達に、話したいことがたくさんある。

 茜は社に近づいた。二頭の狐の真ん中に立ち、深々と頭を下げる。

「おじゃまします」

 柏手かしわでを打つ涼やかな音が、木々の間にすいこまれていった。


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しろとあか 宮城 由貴 @miyashiro_yoshitaka

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