ライト落語『コミュ障姫』

OOP(場違い)

本編

 えー、近頃の若者には『コミュ障』ってのが多いそうで。

 コミュ障とは何ぞや、と申しますとこれは、コミュニケーション障害の略称。上手いことコミュニケーションを取れない人のことを言うんですね。

 まぁ、病気でも何でもなく、ただ口下手なのを指しても使うそうですが。

 SNSやメールでならちゃんと自己表現できるのに、いざ面と向かって、目を見て話すとなると、てんでダメ。インターネットが普及したことも影響した、現代病であるとも言えます。

 しかし、こうも思うわけです。ひょっとすると、インターネットなんて関係もなく、もともと日本人の性質として口下手なのは当たり前なんではないかと。

 かの大俳優もおっしゃいました、「自分、不器用ですから」と。昔の映画の父親像といえば、それは口下手で頑固で、言い方を変えればコミュ障とも言えるようなものでございました。

 今は昔、江戸の時代にも、それはそれは口下手を、コミュ障をこじらせた、困った姫様がおりまして……。




 とある大名の小さな城、その奥の間に、姫様の部屋はありました。

 奥側の左右の壁に扉が1つずつ、そして手前にも1つ。手前の扉から入ると、高級な金屏風の向こう側に、大名の娘……姫様の影が見えます。

 奥の左側の扉から入ってきた爺が、座っている姫様の隣に膝まづいて話しかけました。


「姫様、そろそろ客人が到着する頃ですぞ。先日盗人を捕まえた若者が、褒美をもらいにやってきます。支度をお願いします」

「…………………………」

「ああ、これは失敬。こちら側からではないと駄目なのでしたな」


 そう言って爺は、姫様から向かって屏風の向こう側へ回りました。

 こういった時代では、下々の者たちは、姫などお偉い人たちの姿を直接見ることはできなかった。父である領主や側近の爺など、内部の限られた一部の人間以外は、滅多なことがないかぎり、このように屏風とかを挟んででないと、話すことも許されなかったのです。

 そういった暮らしを続けてきたせいか、この姫様、少し面倒な事情を持っているようでございます。


「しかし姫様……いい加減、目を見て話せるようになってはくれませぬか」

「ご迷惑をおかけします、爺や」

「いや私は良いのですが、せめて姫様のお父様……ご領主様とくらい、直接顔を見てお話ししてあげてください」

「お父様の顔……長いこと見てないから、どんなだったか覚えてないわ」

「絶対に本人の前で言ってはなりませぬぞ。我々の首が飛ぶやもしれませぬ」

「もういっそ、爺やが本当のお父様ということでよいのではないかしら」

「何てこと言うんです! ばかなこと言ってないで早く支度してくださいますか!」

「直接顔を見て話すことができないとはいえ、ここのところ一番話し相手になってくれるのは、爺やだけですもの」

「勿体無きお言葉でございますが……しかし、そのようなままでは、夫を見つけることもままなりませぬぞ?」

「もういっそ、爺やが夫ということでよいのではないかしら」

「何てこと言うんです!」


 姫は話すことが苦手な上にものぐさです。別に会話ができなくても死ぬこたぁないだろう、ってな感じに考えていらっしゃる。

 さてさて、それから数刻ののち、褒美の品や別室での茶の席の用意などをし終わったころ、若者が城に到着したとの報せです。

 2人の家臣に連れられてやってきた若者に、姫様は威厳を持って、高圧的な言葉と声で労いの言葉を与えます。


「よくぞ参った。この度の手柄、褒めて遣わす」

「はっ、ありがたきお言葉。いたみいります」

「爺、この者に褒美を」

「御意。……では客人よ、受け取るがいい」

「身に余る幸せ。ありがとうございます」

「簡素ではあるが、控えの間に茶の席を用意してある。私は参加せぬが、急いでいないのならくつろいでいくとよい」

「ありがとうございます。それでは、失礼します」


 失礼します、と言って、若者は茶の席へ向かおうと立ち上がります。

 しかしこの若者、うっかり出口を間違えて、屏風の向こう側、奥の右側の扉の方へと歩いてくるではありませんか!


「き、客人! そっちではない!」

「え、あ、ああ! 申し訳ありません!」


 その時姫には、若者の姿が一瞬だけ見えました。

 キリッとした眉、ほんの一瞬だけこちらへと向けられた流し目。そして、父親や爺やから教えられてきた、素朴で芋臭いという偏見の農民像とは全く違う、高貴な顔立ち。

 今も昔も、価値観に多少の差はあれど。アレです、『イケメン』というやつです。


「まったく……。領主様が留守だったからよかったようなものの」

「領主様の前でそんなことしてみろ……姫が危険に晒されたと思った瞬間、お前の体は真っ二つであるぞ」

「申し訳ございません! なにぶん作法を存じ上げないもので……」

「姫様、いかがいたしますか?」

「そ、そのようなことでいちいち怒るでない! 早く茶の席へ向かわせてやれ!」

「姫? なんだか、お声がうわずっているように聞こえるのですが……」

「……気のせいであろう! 早く客人を案内してやれ!」

「は、畏まりました」

「ご無礼、失礼しました……」


 そう言って若者は、先行する家臣のあとを追い、逃げるようにして姫様の部屋を出ていきました。


「まったく、近頃の平民ときたら……作法の教育が必要ですな、姫様」

「………………………………………………」

「おや、どうしました姫様? まさか、屏風越しでも話せなくなってしまったのではないでしょうな」

「もういっそ、あの方が夫でよいのではないかしら……」

「は?」

「いえ、あの方がよいです! あの方と結ばれたい!」

「……ご、ご冗談ですよね、姫様。あんな一瞬見たくらいで……」

「お父様も以前、お母様と出会ったときに一目惚れして、そのまま結婚してしまったと言っていました……だからこれは、運命の出会いなのです!」

「顔を見て話もできないくせに、よくもまあ……」


 呆れて文句を言う爺ですが、姫のときめく心には届きません。

 姫様、とうとう城下町へ出て若者を探すと言い出した。


「無茶はせんでくださいよ」

「分かっています」

「私と護衛の者数人もついてゆきますからな」

「邪魔なんですけど」

「…………ご領主様に言いつけますぞ」

「わーわー、全然邪魔じゃないです! 是非ついてきてください! お父様にはナイショで!」

「分かればよいのです」


 後日準備を整えて、いざ城下町へ。

 必ず若者を見つけるぞ、と意気込んで町へと繰り出した一行でしたが、その気合が実ったというか肩透かしを喰らったというか、若者は城を出て少し歩いたところですぐに見つかりました。


「おや、姫様! 先日はとんだご無礼を……」

「あっ、ん、う……………………」

「姫様? あ、あぁ、申し訳ございません! 私のような農民が気安く声をかけるべきではないと、そういうことですね」

「勘違いするでない、若者よ」


 爺はそう言うと、パンパンと手を叩いて家臣を呼びつけます。

 すると2人の家臣がどこからか屏風を運んできて、姫と若者との間を隔ててしまいました。


「客人よ、先日の失態なら気にしなくてよいぞ!」

「……え、あの、これはどういう……?」

「姫様は極度の口下手での。このように何か壁を隔ててでなければ、ちゃんと会話することができんのだ」

「まいったか!」

「あ、ああ、なるほど……よかったです、嫌われたのかと思ってしまいました。姫様がお心の広いお方でよかったです」

「て、照れます……」

「……姫様、一応下の者の前なのですから、演技してください」


「して、今日は何用で町へ?」

「ああ、姫様がお前のことを探してな。思ったより早く見つかってよかった」

「ぼ、僕をですか? そりゃまた何故……」

「姫様がお前のことを好」


 すき、と言い終わる前に、姫様の右ストレートが屏風を突き破って爺の後頭部に突き刺さりました。


「僕のことを……『す』?」

「なんでもない。老いぼれの戯言だ、忘れてくれ」

「は、はあ……」

「少し爺と話すことがある、しばし待っておれ」


 姫様は爺やを引きずり、屏風ごと、若者から距離を取ります。


「爺や! なんであんなこと言うんです!」

「い、いや、なんでと言われましても……まずかったですかな?」

「まずいとかではありません。爺や、あなたには人の心というものがありますか」

「この年にして、そんな道徳的なお説教を頂くとは思ってもみませんでした」

「爺や。あなたが誰かを好きだったとして、友人からその相手に、『爺があなたのことを好きなんですって』と勝手に言われたとしたら、どう思いますか?」

「え……別に……。自分で告白するも他人からばらされるも変わらないでしょう」

「あなたには人の心というものがありません」

「この年にして、人格を全否定されるとは思ってもみませんでした」

「ともかく嫌なのです。爺や、ここからは、私のあの男性への想いは、隠しておいてくださるようお願いします」

「はいはい、分かりましたよ……」

「はいは一回!」


 数分のミーティングを終えて、姫様ご一行が若者の前に戻ってきます。


「お、終わりましたか」

「えーと……客人よ、今日はお前に町を案内してもらいたいと思ってな」

「町の案内ですか? それならお任せください、ここらには知り合いのツテがいっぱいありますので!」

「おお、それは頼もしい」

「では客人よ、早速案内を頼みたい!」

「はい、喜んで!」


 多少無理やりな流れではありますが、若者はそんなことにいちいち突っ込めるほど頭がよろしくない。

 彼は姫様のぶしつけな願いを2つ返事で承諾し、姫様ご一行は新たに若者を迎え入れ、改めて町へと繰り出します。


「ちなみに、姫様はどのような場所へ行ってみたいですか?」

「遊べるところがよいな」

「遊び、ですか。この時間で遊びといえば、賽子賭博とかですけど……賭博場には柄の悪いのも来ますから、姫様には危険かもしれませんね」

「賽子賭博……楽しそうですね! ……いや、楽しそうだな!」

「この時間だと、ちょうど『ピン転がし』してると思いますよ。うちの仕切りでは、壺の中の賽子の目がピン(1)かそれ以外か賭ける、簡単な博打です」

「博打なんて、お父様には絶対やらせてもらえません……爺や、いいですよね!」

「まぁ、私らがついていますから、危ないことにはならないでしょうし……あまり面倒ごとは起こさんで下さいよ」

「やった! じゃあ早速行きましょう!」

「はいはい、若者、案内してもらえるかな」

「はいは一回!」


 こうして姫様ご一行は賭博場にやって来ました。

 賭博場とは言っても、茶店の屋根裏部屋を借りた明るい場所で、柄の悪い者も多くいますが、普通の町人や娘っ子も遊んでいる、とても平和なものでした。

 これなら安心だと爺たちが胸を撫で下ろした矢先。


「おうおう、こいつは驚いた! ご領主様の娘さんかい!」


 いかにもという感じの、強面で入れ墨入りの男が、姫様を見るなりこちらへ近付いてきました。

 咄嗟に家臣が屏風で隔てますが、入れ墨の男はそれで機嫌を悪くしたようです。


「おいおい……何もそんなに邪険に扱うことはないんじゃねぇかい、ええ?」

「邪険に扱ったわけではない……私は、相手の顔を見て話すことができぬのだ! まいったか!」

「……そ、そうかい」

「威張るところではありませんぞ……」

「まぁ何だ、せっかくだから俺らと一勝負、どうだ? 酒はまだ飲めねぇだろうから、茶と茶菓子くらいならご馳走させてもらいますぜ、姫様」

「いたみいる!」


 こんな奴についていって大丈夫なのかという爺たちの心配をよそに、姫様は屏風を隔てたまま入れ墨の男に連れられ、強面でいかにもやくざという感じの者たちが集まる卓へ通されました。


「まずいですね……奴らは、別に喧嘩とかは起こさないのですが、少なくともこの店の常連では、一番柄の悪い連中です」

「姫様には危機感というものがありませぬな……むう、仕方がない……」

「どうしたものやら……」

「若者よ、少し頼みがある」

「はい?」


 その後、なんと爺は、姫様の代わりに席に着きました。


「もう、爺や! 私にやらせてください!」

「まぁ、一度私のを見て、遊び方を覚えてくださいな」

「ほお、爺さんがやるのかい?」

「このところ、金の入りが良いのでね。だが、博打など久々だし、年を取ったせいか目もおぼつかん。おまけに耳も遠い……せいぜい手加減してほしいものですな」

「へへへ、そこまで言われちゃしゃあない、筒(どう)をやらせてやるよ」


 筒とは、壺の中に賽を入れて振る人のことです。

 爺は目の前に差し出された筒にも気付かず、ふむふむと、何やら意味もなく頷くのみ。入れ墨の男たちは、にわかにニヤつきます。


「で……壺はどこかの?」

「おいおい爺さん、そこまでか? 壺ならアンタの目の前だよ」

「おお、おお。こいつを触るのも久々じゃな……さて、振るか」


 そう言って爺は、ピンの状態で賽子を台の上に置き、その上に壺を被せて振ろうとします。

 しかしなんということか、賽子は壺の中には入らず、壺の外側に出たままになってしまいました。これでは振れるものも振れません、ピンに賭けた瞬間、勝ちが確定してしまう。賭けにすらなっていません。

 しかし爺はそれに気付く様子もなく、賽子が入っているはずもない壺を、ぐるぐると回しているのみです。入れ墨の男たちは悪い笑みで、こぞってピンに大金を賭けました。

 さすがに心配になった姫様が、声を上げます。


「ちょっと、爺や、これでは……」

「大丈夫ですよ、姫様。博打は最後まで分からないものです」

「だけど……」

「僕を信じてください」

「…………は、はい」


「俺、ピンにこんだけ賭けるぜ」

「うへえ、兄貴、張るなあ! じゃあ俺はピンにその倍賭けよ!」

「なーんか、この回はピンが出そうな気がしやがる。ピンに有り金全部賭けるぜ」


「ほう……私以外全員1とは、随分とすっきりした賭けですな。では姫様、どちらに賭けますか?」

「……客人を信じよう。『ピンではない』に、20両」

「さすが姫様、初めての賭けで10両だってよ!」


 当時のお金で20両といえば、だいたい200万~400万くらいの価値があったそうでございます。

 始めは遠巻きに眺めていたのが一気に観戦にかけつけ、店中が姫様たちの卓を見物しに来ました。


「本当にピンでいいのかね? 勝負は壺の中ですぞ?」

「ああ、ああ。分かってら、いいから開けな!」

「勝負は壺の中。最後まで分からんものですぞ?」

「分かってら分かってら!」

「とっとと結果を拝ましてくれや!」


 ほっほっほ、と爺は朗らかに笑って、次の瞬間。


 目を、見開きました。


「では、この『看板の賽子』は持ち主に返しておくとしよう」


 そう言って、壺の外側にいつまでも置かれていた賽子を、若者に手渡しました。


「はあ!?」

「ちょっと待ちな! その賽子は……!?」

「言っただろう、『勝負は壺の中だ』と。博打なんてのは所詮騙しあいとちょっとの運だ。この中で1人でも、賽子が外に飛び出てますよっと言った奴がいましたかな?」

「ぐ、こ、このジジイ……!」


 入れ墨の男がダンッと机を叩き悔しがる様に、観衆たちはどよめき立って、爺を称えます。

 まさに、相手を欺いて誰もが予想できない大逆転を巻き起こした。これほど気持ちのいい見世物もないだろうと、観衆は湧き上がります。


「ついでに当ててやろう、この壺の中身は……5だ」


 そう言って、爺は壺を持ち上げます。

 すると、壺の中の賽子が示していた目は……。


「……ありゃ、本物もピンですな……」


 ………………………………………………………………。


 場が、一気に凍り付きました。

 賽子からゆっくりと顔を上げた爺は、一気に席から立ちあがって叫びます。


「逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 姫様も若者も、一目散に駆け出して行った爺のあとを追って、店から逃げ出します。


「あっ、この野郎待ちやがれ!!」

「20両置いてけ、俺らの勝ち分払えってんだ!!」


「ああもう、結局、私できなかったじゃないですか!」

「め、面目ない……」

「あの男が台を叩いたせいで、出目が変わっちゃったんですね……」


 姫様一行がチンピラ連中を撒くのには、1時間を要しましたとさ。



 さてさて、昼間に酷い目に遭ったにも関わらず、そろそろ暗くなってきた時間帯で姫様はまだまだ遊び足りないご様子です。


「次は、なにか美味しいものが食べたいぞ」

「美味しいものですか……いつもなら、この通りにそろそろ蕎麦屋の屋台が来るはずですけどね」

「お、あれではないですか?」


 若い男性が、こぢんまりとした屋台を軽々と運びながらこちらに近付いてきました。当時は2×8=16、16文で蕎麦を提供する蕎麦屋、『二八蕎麦』というものが流行っていました。

 ダシのいい香りにお腹を空かせた姫様、手持ちの扇子で顔を隠しながら、一行を引き連れて蕎麦を頼みます。

 するとどうしたのでしょうか、姫様が夢中になって蕎麦をすする隣で、若者が饒舌に店主を褒めちぎるではありませんか。


「ああ、この割り箸、これこそ至高だね。他のやつがすでに割ってある箸は、どうも嫌だね。先が濡れてて湿ってて、ちょっと潔癖な僕には考えられないよ。さてさて食ってみるか。おおっ、うん、鰹節がよく利いていて最高のダシだ。それにこの麵、やっぱり蕎麦といやぁ細麺に限るね。おお、おお。こんなに太いちくわに、こんなに香り高いネギ。きっと高いだろう、こんなものを二八蕎麦でやって、商売になってるのかい? やってけるのかい? 儲けあるのかい? ええそうかい、それならいいんだ。いつぞや食った蕎麦なんか、もやしで麺をごまかしたり、ああいうのはいけない。こんな蕎麦だからこそ何度でも食いたいと思えるんだがねぇ。……うん、うまかった。いやいや、ここの蕎麦は今まで食った中でも最高にうまいんだが、どうも今は小銭の手持ちが少なくてね。今日のところは一杯で勘弁してほしい」

「十分ですよ。まったくお兄さん、口が上手いんだから」

「へへ、よく言われるよ。先に会計済ましちまおうかな、いくらだい?」

「具入りの並だから、ええ……16文です」

「へいへい。えっとね……ああ、悪いけどちょっと細かくなっちまう。ちょっと1文1文、手で受けてくれるかい」

「はいよ。ここに願います」

「悪いね。えっと、ひー、ふー、みー、よー、いつ、むー……あ、今何刻だい?」

「えー、ななつで」

「やっつ、ここのつ、とお、11、12、13、14、15、16っと」

「毎度あり!」


 姫様もちょうど完食して、今のやり取りを見ていたようです。

 食事の際は仕舞っていた扇子を顔の前に広げ、若者と話します。


「あの、今のって……」

「ちょっとしたワザですよ。一つ先の時刻を言って、1文ごまかすんです」

「……すごい、かっこいい!」

「え……貧乏くさいと思うから、やめた方がいいですよ」

「あとできっちりお布施として払うので、問題ありません! ちょっとやってみます!」


 そう言って、姫様もお会計を。

 姫様は必死に思い出します。若者はどんなことをやっていたかな。


「えー、あれです。今夜は月が綺麗になるそうですね」

「は、はあ……」

「割り箸は割れてなくてよかったです」

「どうも……失礼ですが、なんで顔を隠していらっしゃるんでしょうか」

「先が濡れてて湿ってる麺よりも、鰹節で取ったダシですよね」

「お客さん、気はたしかですかい? 何言ってるか分からないですよ?」

「ちくわがあんなに太くて、先が濡れてて湿ってるなんて……あんなんでヤッてけるのかい?」

「は、はしたない! まだそんな年じゃないんだから、もっと自分を大事にしてください!」

「この蕎麦は今まで食った中でも最高に上手い、今日のところは先が濡れてて湿ってるから勘弁してほしい」

「『先が濡れてて湿ってる』、大好きですねお客さん……」

「よーし、じゃあ代金払います! いくらですか!?」

「そんな力まんでも……えー、16文になりやす」

「小銭しか持ってないので手で受けてください! いきますよ!!」

「こんな路上のど真ん中で変に声上げないでください……」

「ひい! ふう! みい! よお! いつ! むう! ……あ、そういえば関ヶ原の戦いって何年でしたか?」

「なんで今関ヶ原なんですか!? え、えーと、1600年ですね」

「1600文、1700文……うん?」

「明らかにおかしいですよね!」

「もう面倒くさいわ、これでも取っておいてください」

「こ、これは……20両!? そ、そんな! お代は16文なんで、こんなにもらっちまうと……!」

「あー、それじゃあ、爺やと護衛2人ぶんも一緒ということで。ご馳走様でした」

「それでも貰いすぎですって! ちょっとー!」


 叫ぶ店主を置き去りにして、姫様ご一行はその場をあとにします。


「うーん、多く払ってしまいました。何がいけなかったのでしょう?」

「……金銭感覚、ですかね」



 笑い話をしながら、夜の町を城まで帰っていく若者と姫様ご一行でしたが、その前に立ちはだかる影がありました。


「よう……賭けたモンは払ってもらうぜ」

「い、いつぞやの博打の……!」

「いつぞやのって、今日の昼だろうが! さっそく忘れようとしてんじゃねぇ!」


 入れ墨の男はやいやいとガンをつけてきますが、しかし、姫様は首を傾げるばかりです。


「お連れの方たち……2、3人くらいいたような気がするのですが、いかがなされたんですか?」

「奴らは……『別に金を取られたワケでもないんだし、姫様に免じてチャラにしてやろうぜ』とかふざけたコト抜かすから、置いてきた」

「まあ……ありがとうございますとお伝えください」

「うるせぇ! そんなノンキな話しに来たんじゃねぇんだよ! とっとと金払いやがれ!」


 入れ墨の男は痺れを切らして、とうとう暴れ始めました。

 脇差を振り回して、屏風に……もとい、姫様に襲い掛かります。


「きゃあああああっ!」

「ひ、姫様!」

「させるか!」


 爺も護衛の2人も咄嗟に動けない中、若者だけが俊敏に動いて対応。

 振り下ろされた脇差を、若者が隠し持っていた木刀で振り払います。

 どうやら相当腕が立つようで、ちょっと木刀を脇差に当てて捻ったような、少しの動作だけなのに、入れ墨の大男は脇差を構えたままよろめきました。


「次に姫様を狙ってみろ、脇差もろとも、頭の骨を叩き折ってやるぞ!」

「く、クソが……ナメやがって!」

「あ、あの……お金ならお父様が嫌ほど持ってるので、今回の負け分程度なら喜んで差し上げますが……」

「え?」

「へ?」


 大の男2人が固まるなか、姫様は懐から、それはそれはいかにも高そうな小判を3枚ほど取り出しました。


「今日のところは、これだけで足りるでしょうか?」

「あ、ああ! もらいすぎなくらいだけどよ……」

「いえいえ、負けたのに、こちらが逃げたのが悪いのですから」

「……なんか悪かったな姫様、また町に来てくれたら、今度はちゃんとやろうか」

「はい! 楽しみにしています!」


 小判を手に入れた入れ墨の男は、ほくほくと小判をさすりながら帰っていきました。

 若者は木刀を取り落とし、その場にひざをつきます。


「こ、怖かった……」

「助けていただいて、本当にありがとうございます」

「……姫様、やっぱり、いつもの高圧的な口調とかは、演技なんですか?」

「え……ええ、そうです。お父様が、人の上に立つものはそれ相応の言葉遣いをしなければならない、と……」

「そうなんですか……なんか、安心しました」

「ふふふ」


 2人の間に、暖かな空気が流れました。

 姫様は、最初に感じた一目惚れが単なる気の迷いなどではなかったことを、今初めて自覚しました。


「……もう遅い時間ですね。そろそろ、僕は帰らないと……」

「ま……待ってください!」


 姫様は、扇子を自分の顔の前に広げるのも忘れて、若者の腕を掴んで引き止めました。


「姫様……顔を……」

「あっ…………う、うう……」


 相手の顔を見て話した、と自覚した途端、とんでもなく恥ずかしい気持ちになって顔を真っ赤に染めた姫様でしたが、同時に、何か疑問に思うような気持ちも湧き上がってきました。


 どうして自分は、いつまでも顔を隠してきたのだろう。

 一度顔を隠すのをやめてしまうと、今まで何故自分がかたくなに顔を隠し続けてきたのかが、急に分からなくなりました。

 自分には顔があって、相手にも顔があって、目と目を見て話す。

 思えば、客人の顔を見るのだって、真正面から向き合って見たのはこれが初めてです。

 人はそれぞれ、言葉に出ない部分の意志を、表情に乗せて伝える。姫様には、若者の純粋な気持ちが、そして少し紅潮している頬が、非常に鮮明に見えました。


 思えば、父親や爺に自分の気持ちが伝わらなくて苛立ったこともありましたが、そりゃあ、表情を見せていないのですから、伝わるものも伝わりません。

 淡々と、言葉だけのやり取りには、欠けている何かがあって、自分はやっと今、その欠片をつかみ取れた気がしました。


 伝えなければ、伝わらない。


「……あなたが、好きです」

「ひ、姫様……」

「……まだ私のことを好きじゃなくていい。どうか、私の気持ちを、受け止めてくれませんか?」


 姫様の瞳と、若者の瞳が重なります。

 若者は、姫様以上に顔を真っ赤にしながら、答えました。


「わ……私も、今日一日を過ごして、姫様の人柄に惹かれました。それに……隠しているのが勿体ないくらい、美しい」

「あ、ありがとう……ございます……」


 いつの間にか、爺たちはどこかへ消えていました。

 隠れて自分たちの様子を見守っている、もとい盗み見ているに違いありませんが、姫様にとっては、目の前の出来事が嬉しすぎて、どうでもよいことでした。


「………………………………」

「………………………………」


 2人はそっと、口づけをしました。


 そして、笑いあいながら、姫様は若者の手を握りました。

 指と指を絡めあった、いわゆる恋人つなぎです。


「それじゃあ、夜の町を案内してください!」

「え、ええ……? けど、僕、明日の仕事のために早く帰らないと……」

「じゃあ、あなたのお家までだけでもいいです。一緒に散歩がしたくて」

「もう遅いし、危ないですよ? また今度に……」

「もう……私が満足するまで、この手は繋いだままにしますからね!」

「そ、そんなぁ……」


 城の物陰からその様子を盗み見ていた爺が、ぼそっと呟きました。


「せっかく姫様が話せるようになったのに……今度は相手が、はなせなくなってしまいましたな」


 おあとがよろしいようで。

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