第3話

転移現象について、判っていることは少ない。

多くは墜落や衝突など、何らかの運動エネルギーを伴う事故の際に生じていると考えられている。当初は人間が跡形もなく蒸発する怪現象と捉えられてきた。

数々の実験により、蒸発が純然たる物理的現象ではなく「意識」に左右されているらしいことが明らかになってきた。無生物による実験は一例も成功せず、また動物実験も失敗に終わった。明らかに、人が対象となった時にだけ生じる現象であったが、成功すれば蒸発、失敗すれば圧死では人体実験をするわけにも行かない。

それが蒸発でなく転移であると判明したのは、「還ってきた」者がいたからだ。


蒸発したはずの人間が還ってきて、異世界のことを語ったとしても、そんな話を真に受ける人はそういない。事故のショックで頭がおかしくなったんだろう、普通ならばそう片付けられるのがオチだ。

しかし生還者がこの世界のものでない品を携えていたとなれば、話は別だ。異なる世界に転移し、再びこの世界へ帰還したという当人の言が俄に真実味を帯びる──少なくとも、この事件を報じたゴシップ誌の読者が信じる程度には。


異世界が存在し、そこへ移動できるという"事実"は熱狂と共に受け入れられ、多くの「この世界に見切りを付けた」者が転移を──あるいは自殺を──試みた。結果がどちらであれ、「別の世界へ行ける」のだ。その多くは若者で、中には未成年、それも義務教育さえ終えていないような年端の行かぬ子供らまでもが少なからず含まれていたことで社会問題にもなった。

俄に異世界転移現象に注目が集まったことで、物理学界には多額の予算が下り、この現象の解明を求めて各国で研究が始まった。現在、我々審問官が利用している転移装置や、質量移転検知の技術などはすべてこの頃の研究が元になって開発されたものだ。


当初、異世界への転移に関して世間は楽観的だった。それは「逃げ」であるとか、「自殺と同様の行ないであり神の御許を離れようとすることは罪である」とかいった程度の扱いを受けはしたものの、せいぜい消極的な批判に留まっていたと言える。

風向きが変わったのは、異世界に於いて転移者のもたらした知識が元となって世界大戦が生じてからだ。


転移先世界の文明程度はおおむね中世程度であることが多かった。理由ははっきりしなかったが、世界の持つポテンシャルの差ではないかという仮説が、検証不能なまま通説として受け入れられている。

現代とは格段に技術差があるため、いくつかの知識が持ち込まれるだけで飛躍的に技術が発展する。問題の世界では黒色火薬と砲の製造知識が伝えられたらしく、それを得た国が急激に軍事力を伸ばしたことで周辺諸国を併合し、わずか十数年で大帝国を築き上げるに至った。

更なる征服を求めた帝国内の動きと、それに抗すべく連合を組んだ国外の動きにより世界各地で激しい戦争が勃発、資源──とりわけ人命と森林を著しく消費しながらも三十年に及ぶ大戦の末に世界は帝国に征服され、世界人口はおよそ1/5にまで減じた。

かつて地球でも経験したことのない展開が地球に伝わるにつれ、人類は自らの罪に思い至った:我々は世界の可能性を奪ってしまったのだと。


かくて喧々囂々の議論の末に、転移の制御技術に関しては国連が厳重にこれを管理すること、自殺あるいは事故による偶発的な転移現象そのものは禁じようがないため、転移先世界の監視と影響の抑止を目的とした専門機関を設立することで合意し、ここに異界審問官という職が誕生することになる。

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異界審問官 芹沢文書 @DocSeri

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