第2話

異界審問官の朝は早い。

先輩達は「まぁ好きではじめた仕事ですから」などと言うけれど、決して楽な仕事ではない。


転移者を元に送り返すのは仕事のうちごく一部に過ぎず、むしろそれ以外の仕事の方が圧倒的に多い。

主な仕事は移転先世界の調査だ。まず、情報の入念なチェックから始まる。

異界審問官の活動は移転先世界の独立性を保護する目的で行なわれるため、世界情勢や風習などを詳しく調査し記録しておく必要がある。こうした調査は継続的に行なわれねばならない。世界は刻々と変化するものであるから、常に現時点での正常状態把握に務め、一早く異常を察知するのが最も重要な役割となる。

業務の一部を自動化できないか、というのはずっと以前から言われてきたことだが、「世界ごと、時期ごとに事情が違う。機械ではできない」というのが関係者の共通認識だ。


転移の発生自体は質量の差分として検出が可能なのだが、世界内での転移位置まで確認するのは難しい。そのため転移者の捜索は主に現地の情報網頼みとなる。

現世からの持ち込みによる影響を抑えるためには送り込める人員はごく限られるので、情報網は現地世界民の協力を得るしかないが、彼らに対しても事情を明かすわけには行かない。しかも大規模な情報ネットワークを形成してしまうとそれ自体が世界に対する影響力として機能することになる。そのため細切れで限定的な情報網を複数用意し、それらを総合して得られる漠然とした情報を分析するしかなく、その効率の悪さはいつも悩みの種となっている。

審問官の活動による異世界への干渉が不可避的に発生させる問題が取り沙汰される度に、現地活動は一層制約を受ける。最近は良い情報源が少ない、と愚痴をこぼしたくもなろうというもの。


理想的には異世界に影響を与える前に転移者の身柄を確保したいところだが、現実問題としては影響が何らかの形で現地の話題となってからでなければ情報が上がってこない。

既に発生してしまった影響の後始末もまた異界審問官の仕事だ。行き過ぎた技術で作られたものを破壊し、記録を焼き捨て、知ってしまった者を殺し、影響をなかったものにする。それでも、「そういうものがあった」という記憶までをすべて消すことはできないが、情勢を元の状態に近いところまで戻すことはできる。

本当は発想自体から現地世界のオリジナルであるのが望ましいが、概念だけが伝わったところですぐに実現可能な技術が発生するわけではない。独自に歩んだのと大きく違わないだろう結果に落ち着けば良し、ということになっている。


転移汚染で一番問題になるのは、病原体や外来生物の持ち込みだ。技術知識の類と異なり影響範囲が人間社会だけに留まらないため、よほど自然環境への関心が強い社会でもなければ、こちらが気付いた時には影響が広がりすぎて封じ込めも困難な状況になっている場合が多い。

事態を一層困難にするのは、下手に現地社会へ疫病や外来種対策を伝えることもできないというジレンマだ。そうした技術もまた社会の発達と共に自力で獲得すべきものであるから、審問官がそれを現地に与えることは厳に禁じられるが、一方で広まってしまった外来因子の影響は速やかに封じなければならない。

これらを両立する最も簡単な手段は区画焼却なのだが、それもまた環境や社会への著しい影響となるのは間違いないところだ。過去にそうした大規模な汚染の生じた事例ではいずれも影響を払拭することはできず、大きな爪痕が残された。


「やっぱり一番うれしいのは誰かから感謝される時ですね、この仕事やっててよかったなと」

とはいえ、感謝されるような時というのは大規模汚染の生じた時ということでもあり、それを食い止めたのが審問官であると知られた時でもあると思えば、好ましいことではない。我々は裏方であり、ひっそりと誰にも知られず任を全うするのが本来のあり方なのだ。最大限にその職能を発揮した時ほど評価されず、失敗すればたちどころに責められる……というのは、維持を本分とする仕事ではよくあることとはいえ、苦々しい思いがないではない。

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