異界審問官
芹沢文書
第1話
「──ようこそ、
転移者が扉をくぐったところで、くるりと身を翻してそう挨拶をする。扉の陰で待ち構えていたスタッフが転移者を床に引き倒し、身柄を素早く拘束した。
私は机の上の水差しから杯に中身を注いで、転移者に差し出す。
「まずはこれを飲んで落ち着いて欲しい」
両手を後ろで固定され、床に引き倒された転移者が杯を受け取れるはずもないし、黙って飲むはずもない。私はその顎に手をかけ、頬を掴んで口を押し開けながら、中身を流し込む。咽せて半分以上は噴き出されてしまうが、それも想定済みだ。
「うん、騙したんだ、済まない。これも仕事なのでね、謝って許してもらおうとも思っていない」
薬の効果で朦朧としつつある相手に向かって語りかける。
「でも、言葉が通じる相手に出会ったとき、君は、きっと言葉では言い表せない安堵みたいなものを感じてくれたと思う。元の世界に戻っても、そういう気持ちを忘れないで欲しい」
奥の扉を開け、転移者を抱え上げたスタッフと共に、異界審問官だけに使用が許された転移装置の元へと向かう。
「じゃあ、元世に戻ろうか」
異世界転移という現象が発見されて以来、現世に見切りを付けて転移先での一攫千金を夢見た馬鹿どもが増えた。
一般に、転移はよりポテンシャルの低い世界へと移動する形になるため、転移先世界の文明レベルは現世よりも低い場合が多い。ということは元世界では義務教育程度の知識であっても、持ち込み先では高度な知識となり得るわけで、つまりは「現世では何者でもなかった個人が来世では世界を揺るがす有名人になれる」可能性がある、というわけだ。
──まあ、「来世でまともに生存できれば」の話だが。
まず、転移の成功率自体が決して高くない。転移のために列車に飛び込んだりビルから飛び降りたりした者の多くは転移に至らず、単に即死する。
転移が成功したとしても、転移先世界が人間の生存できる環境かどうかという問題がある。
転移世界は現世と極端に離れた世界線には移動しにくい傾向があるため、酸素がないとか物理法則がまったく違うので肉体が形を保てないといった問題に遭遇することは少ないが、しかし転移先位置が海上だったりするのはよくあることで、転移者のおよそ七割はまずその時点で落命する。
運良く生き延びた3割ほどは、次に「人里に近い位置に出られるかどうか」が試されることになる。文明レベルが低い世界であるほど手付かずの自然環境が多く、そのような場所に出てしまった場合は食料の不足や野生動物による被害、あるいは病などに倒れることになるだろう。
世界の状況にもよるが、人里に出られる転生者はおよそ1割ほどに過ぎない。しかし彼らは次に、転移先世界で言葉が通じないことに絶望する。当然だが現世と共通の言語体系があるはずもなく、単語レベルで全て対照してゆかねばならない。
他言語の学習というのは、体制が整っている状態でさえ大変だ。たとえば単語の意味ひとつ取っても、他言語と一対一で対応する部分はせいぜい基本名詞ぐらいのものだ。林檎=apple、ぐらいの対応はできても、概念を含む語になると、たとえば「神」と「god」はイコールではないし、あるいは慣用句のように単語の意味からでは類推の難しい部分に至っては何を意味しているのかの理解そのものが難しい。
まして教える側もプロでなく、互いに理解可能な共通語もない状態での学習など、容易に行なえよう筈もない。
言葉の問題だけではなく、しばしば社会構造の差からくる風習・常識など社会通念の違いにも悩まされる。厳格な身分制度を持つような世界の場合、何もわからぬうちに高位身分者の不興を買い問答無用で処刑される、といったことも珍しくない。
結局、人里に出て生き延びられた幸運の持ち主の中で、まともにこの世界に溶け込めるのは十分の一に満たない。それ以外はせいぜい「頭の悪い奴隷」程度の扱いを受けて生きることとなる。
だが、百人に一人ぐらいの割合で、「うまいことやってしまう」者が出る。たまたま街に転移し、たまたま優れた教育を受けた者と知り合い、たまたまその世界で名を上げるに適した知識を持っているような者が。
するとどうなるか?たとえばその世界の文明レベルが、ある国だけ異常に高まる。急激な発展は周辺社会とのバランスを崩し、人口の増加により広い領地を求めたり、富の集中により他国からの妬みを買ったりして、しばしば戦争を引き起こす。人口にせよ財力にせよ技術力にせよ、当事国は他国を明らかに凌駕しているから戦争は一国支配体制を確立し、強大な帝国が成立する。そして、それを引き起こした当事者たる転移者はしばしば、皇帝に匹敵する名声と地位を得ることになる。
また、中には転移の性質を生かして現世から物質を持ち込む者もいる。
転移は意思のないものには生じないことが知られている(そうでなければ物質がどんどん入れ替わってしまう)が、「意思のある部分のみ」ではなく連続性をもって転移する。そのため、所持品でも肌身離さずに持ったまま転移に入れれば、あるいは体内に埋め込むなどすれば確実に、持ち込みが可能となる。
武器程度ならばそれほど影響は及ぼさないが、植物種子の持ち込みなどは厄介だ。現世間でさえ、海外からの持ち込み・海外への持ち出しには検疫の必要があるものを、まして異世界間である。外来種による生態系破壊や病原体・害虫なども考えれば、一体どんな破滅的問題を引き起こすかわかったものではない。
こうした移転者問題に対応するための専門職が、我々「異界審問官」である。
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