プロローグ

パチパチと、炎の爆ぜる音がする。


「……ここまで、か」


弓を手にし、至る所から血を流す信長は諦めたように息を吐いた。


「殿。最期までお供いたします」


同じく至る所から血を流す男……信長の小姓である森蘭丸がそう彼に伝えた。


悲観した様子はなく、ただただ信長に最期までついて行くことのできる我が身を誇っているかのような様子だった。


「うむ。では、ここは任したぞ」


「はい!」


蘭丸にその場を任せると、信長は寺の内へと入って行く。


「……人間五十年、か。駆け抜けてみれば、存外あっという間であった……」


道半ばで死ぬことに思い残すことはあるが、けれども辿ってきた道に悔いはない。


それが、信長にとっての誇りだった。


「この世に飽いたと言っておった童子の、影も形もないさね」


ふと、懐かしい声が耳に届く。

慌てて前を向けば、いる筈のない女がそこにいた。


何十年と時を経ているというのに、その女性は彼が初めて会ったその時のままの容姿と格好であった。


「何だ……我はもう常世の者となっておったのか」


出迎えが彼女ということが、何だかおかしくて彼は思わずケラケラと笑う。

それは、彼女の笑い方そのものだった。


「何を勘違いしているのだか。私はちゃんと足があるだろう?」


ムッと彼女は眉間に皺を寄せると、チラリと彼に足を見せた。


そんなやり取りをしている間にも、寺に広がっている炎が部屋にまで迫っていた。


徐々に、部屋の中が暑くなっている。


……暑い?

その感覚に、彼は首を傾げる。


ここは常世ではないのか……?と。


「……お前さんと、『約束』をしただろう?最期に私の舞で送ってやると」


彼女は、そう言って笑った。


……確かに、約束をした。

今となっては、遠い遠い昔。既に記憶に埋もれたそれ。


「出雲は私の字名。本当の名は……天鈿女命(あめのうずめ)と言うんだ」


天鈿女命……それは、記紀に記された女神の一柱。

なるほど……と、彼は疑うどころか納得してしまった。

色々と説明がつく。あの夜の不思議な出来事も、今尚同じ姿でいることも、ここにひょっこりと姿を現したことも。


「まあ、お主の正体が何であっても良い。約束を果たして貰おうか」


彼の言葉に、彼女は嬉しそうに頷いた。


そして、静かに踊り始めた。それは、かつて彼が町で見たもの。彼女が彼に捧げた踊りと、同じ。


炎がどんどんと部屋を侵食していた。だというのに、出雲は踊ることを止めない。信長もまた、一時も目を離さぬとばかりにただただ魅入っていた。


「……お主は、本当に当代随一の舞手よ」


彼は満足気に呟くと、微笑んだまま死んでいった。


「……お粗末様でした」


凛としつつも寂し気な彼女の声が、炎に飲み込まれていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

傾奇者 四谷 愛凛 @Yuuui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ