イン熊本!

れなれな(水木レナ)

サマーエンドサマー

 八月。熊本の震災から二か月目に次女の家に身を寄せていた祖母が、実家の様子を見に熊本へ帰るというので、母とついていった。

 一時避難所に逃げていた伯母が、娘の愛車ラパンで空港まで駆けつけてくれた。

 日々震度一から三の揺れが襲ってくる、そんなときに不謹慎ではあるが、照り返しのきついアスファルトの坂道にさしかかると、そこはかとなく楽しい気分になる。

「T美もここへ来るとワクワクするって言ってたとたい」

 しみじみとうれしかった。なぜなら、いとこ同士、烏瓜を探すんだと言って一緒に駆け回って遊んだ場所だからだ。

 夏休みに遊びに来たときの想い出がよみがえる。探してると、どこからともなく道に烏瓜が現れて、それは一度ならず通り過ぎたところなのだけれど、幼いわたくしは全然気づくことなく珍しがって喜んだ。いとこたちはわたくしを驚かすつもりでそこいらへんの生け垣やコンクリートの隙間に烏瓜をちょいとひっかけておいたのだろうと思う。

 わたくしは次から次へと現れる赤い烏瓜を見て、

「あんまり摂りすぎると来年実がつかなくなってしまう」

 と言って、遊びをしまいにしたのであった。

 ついに、烏瓜の秘密のありかは教えてもらえなかったが、古い想い出である。

 当時は青々と美しい遠くの山なみや、透明な水の中をすいすい泳ぐつやつやのカジカガエルが珍しくてならなかった。それらは横浜ではめったにお目にかかれない、貴重な田舎の田園風景で、今となってはゴルフ場の広がる、面影ばかりが懐かしい場所である。


 祖母の家は、熊本市の震源地から西で、あらかた親族が片付けておいたのでぱっと見はどうということもないが、実は家の裏側が大きくひびが入って陥没していた。業者さんに頼んで直したばかりで、よく神経を澄ましてみると畳は踏むとぼこぼこっとしていたし、亡き祖父の趣味だったゴルフのトロフィーは軒並みゴミと化していたのだ。

 祖母はかねてより震災のニュースを見て、防災対策を欠かさずして、箪笥ならすべり止め、食器棚なら天井につっぱりを施すなど、常に常に用心をしていた。それによって祖母はタンスの下敷きにならず、食器は割れずに済んだ。災害に備えるというのは大事だなと思いつつひとしきり家の中を見て、その日はホテルに泊まった。


「みんなやさしかねえ! くれるから、ラーメンなんて人に売るほどたまったって隣の奥さんが言ってたごたい」「温泉なんて(被災者に無料でサービスしてくれていた)ね、まるでお客様のような扱い。いらっしゃいませ、お荷物お持ちします!」「余震に注意してください、だなんて。(二度目の大震災は)裏切られたような思いたい」などなど。一つ一つが胸につき刺さるような震災時の出来事を伯母ちゃんが「おかしかねぇ!」っと笑い飛ばし、笑わせ、時に真剣な顔つきをして「親が丈夫でしっかりしていたら、子供はみんな大丈夫!」と情熱をこめて言い切った。なにか必死なものを感じた。

 おかげさまで親族は全員無事だったのである。そして、再度書類を取りまとめて役所に提出した結果、一部損壊扱いだった祖母の家は半壊扱いとなった。それはそうだ。ご近所を見回してみても、屋根の上のブルーシートもまだとれていなかった。地下からくみ上げたという水道水は水道管が陽に温められていたため、時間がたつほどにぬるくなっていく。その水道管も柔らかい素材のためか、破けてまるでスプリンクラーのようにしぶきをあげて路面を濡らしていた。


 祖母が毎日お仏壇に向かってお線香をあげたり、神棚を祀っていたせいだろうか? なにか信仰に目覚めてしまいそうだ。お話し上手な伯母ちゃんが、笑わせ笑わせして、次の日疲れのあまりふさいでしまわなければまだよかったが。なんたって、震災があったからといって、仕事が休みになるわけでなし。伯母ちゃんのお仕事は司法書士の旦那さんのお手伝いで、測量を行う。朝早くから午前の十時まで、家と家の境目や断層の具合などをみるそうだ。今は震災特需といって、特に忙しい。体力勝負だ。なのに時間は常に流れ作業。やれやれである。

 飛行機で何時間かのみちのりだったが、行ってよかった。疲れている被災者に面倒をかけてもよくない。伯母ちゃんといとこにはいつかお礼ができるだろう。

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