頬張る日々
穂張 はる
1食目 女子力とパンケーキ
思わず喉が鳴った。
健全な甘い香りが鼻をくすぐり、食欲を誘う。
目の前に出されたパンケーキはバランスよく3つ重ねられており、見るからに柔らかそうだ。
ブルーベリーとおうぎ形にカットされたイチゴが皿の淵にそってまばらに並び、その中心でバターが踊る。
少女のような可愛らしさがこの一皿に詰まっていた。
そうか、これが…
「女子力。」
するりと零れ落ちた言葉に、正面に座っていた後輩が重おもしく頷く。
彼女もこのふわふわのパンケーキを前に同じことを思ったのだろう。
きっかけは、女子力のあることをしたーい!という後輩の叫びだった。
そこで、とりあえずパンケーキを食べることになり、今に至るのだが…。
言い出しっぺの後輩、パンケーキを前に目をぱちくりさせている。
それもそうだろう。
女子が手っ取り早く女子力を補給し、SNSでさりげなく女子力アピールするのに食べるともっぱらの噂だ。
これがあれば、私でさえもキラキラ女子になれるのか。
女子、パンケーキ万能説を間に受け、来たはいいが、いざ前にすると…。
普段あまり縁のない女子力を前にいささか緊張した面持ちで右手側に置かれたシルバーのナイフとフォークに手を伸ばす。
「あっ。」
小さく呟いた私を、後輩が不思議そうに見る。
「どうしたんですか?」
「いや、ほら…。」
重要なことを思い出し、シルバーに伸ばしていた手をかばんの中へと進路を変える。
緊張のあまり私はすっかり忘れていた。
女子力には女子力の作法がある。
それすなわち…写真。SNSにあげる写真を撮らなければならないのだ。
おもむろに携帯をパンケーキに向けると、後輩は、あぁ。と得心したような声をあげ、私と同じく携帯を取り出す。
危ないところだった。
と画面に写る被写体のバランスを調節しながら安堵する。
いまどき、SNSでは男女関係なく女子力を発揮する時代だ。
もう本気?をマジで?と言うのは古い。今は、マザイ?だ。
なんならマザイ?もやや古く、今やその進化系、マザインゴ!?、マザインゴカーニバル!!などが流行っており、所属する地域やグループのパリピ感によって差があるのだが…と、何を言ってるんだ私は。
そんなことはどうでもいい。
携帯をかばんにしまうと、再びシルバーに手を伸ばす。
ひんやりとした冷たさが、私を少々落ち着かせる。
右手にナイフ、左手にフォークの戦闘態勢を整えてから一呼吸置いた。
一度落ち着かせた高揚感がまた戻ってくる。
「いただきます。」
小さめな声で、しかし嚙みしめながら言う。
それが開戦の合図であることは、誰の目から見ても明白であった。
いざ、尋常に勝負。
はやる手を抑えながら、フォークをあてがい、ナイフでちょうど良い大きさに切る算段をつける。
目下0.001秒。
躊躇いなく、ナイフを滑らせた。いや、滑った。
衝撃が私をぶん殴る。
おいおい、まてまて…
「やっ柔らかい…。」
予想外の柔らかさに声が震える。
柔らかいってもんじゃない。溶ける。溶けていくのだ。ナイフをその柔らかな体に差し込むと、反抗するでもなくすべてを受け入れされるがまま。
こんなに、柔らかくなるのか…。
衝撃は口に含んでもなお続く。
と、溶けるっ!
今度は、紛れもなく。
ほろほろと崩れて、バターの濃厚さとパンケーキの優しい甘さが混ざり合って口いっぱいに広がる。
甘さも攻撃的でなく、無邪気なあどけない少女の笑顔のようであった。
あまりの優しさに心がほろっと陽だまりに変わる。
や、やりよる…。
家ではまず、無理だ。この柔らかさはありえない。
「わぁ、美味しいですね!」
満足そうに満面の笑みを浮かべる後輩に、ただただうんうんと頷くことしかできない。
わけのわからない敗北感。もはや語彙力は奪われた。
うまく形容できず、んんんんんんっという唸り声しかあげられない。
奪われた語彙力をカバーするかのように顔がゆるっゆるに緩みだす。
それでもう十分だろう。
どこを切ってもどこを食べても柔らかい。
一体どう焼いているのか。魔法か。
その食感を楽しみながらあっという間に1枚目を食べきってしまった。
次は…
と皿の周りに並んでいるブルーベリーとイチゴに視線を移す。青紫と赤の色鮮やかさに心が踊った。
どちらにしようか少し迷って、ブルーベリーにフォークを刺す。確かな弾力が新鮮さを伝える。
転がり落ちないように注視しながら一口サイズに切り分けたパンケーキとともに口に運ぶ。
咀嚼を始めるとともにブルーベリーの酸味が口いっぱいに広がった。
なんということでしょう!
咀嚼を始めた途端、口の中の優しい陽だまりはそのままに、フレッシュな酸味が加わることで、口内は爽やかな草原へと変化したのです!
脳内ナレーターがあまりのビフォーアフターに勝手にナレーションを始める。
爽やかさの匠 ブルーベリー と紹介しかねない勢いだ。
味の表情の変化に驚きつつ、イチゴはどうだろうと好奇心のままに口へ運ぶ。
ブルーベリーとは違う、少女が女性に変わろうとしている時のようなどこか大人びた甘酸っぱさがあった。
それに加えさすが王道。
イチゴというオーソドックスな安心感に包まれる。
そこでやっと冷静さを取り戻し、もくもくと黙って食べていたことに気づいた。
二人ともパンケーキに心を奪われ、話すことを忘れていたのだ。
まずい。これでは、パンケーキになれてない低級女子力者というかとがばれてしまう。
これは勝手な憶測だが、上級者はパンケーキを食べながら会話に花を咲かせるのではないか。
今回のテーマは女子力だ。
ここは、先輩として人肌脱がなくては。
「美味しいね。」
「美味しいですね〜!」
「ね〜!」
…終了。
ニコニコしたまま、また食に戻る。
おいちょっと待て。
コミュ障。
いや、そうじゃない。まさか。
美味しさを前に言葉は力を持たないのだ。
違う?
そうか。なるほど。ごめん。
ちょっとした申し訳なさを胸に、また食に没入する。
イチゴとブルーベリーの表情変化を交互に楽しみながら二枚目もペロリとたいらげた。
大きくはないが、二枚目ともなるとほどほどにお腹も膨れてくる。
残りはあと…一枚。
離れた場所にちょこんと置かれた小さな白い器に手を伸ばす。中にはテラテラと魅惑的に光るカラメル色の液体。パンケーキパートナーの代表、メープルシロップだ。
パンケーキの上を何度も横断するようにメープルを垂らしていく。艶やかなメープルがソフトなパンケーキの色っぽさを引き立てる。メープルが染みていくその様はいささか官能的でもあった。
これは、最強だ。
確信した。ただでさえ組み合わせの良いこの2つ。片方のレベルが高ければ高いほど、期待は膨らんでいく。すでにパンケーキのレベルは証明されている。
シルバーを両手に、改めて一呼吸置く。
いただきます。と心の中で二度目の合掌をすると、はやる気持ちそのままに口へ放り込んだ。
これぞ…!
想像した通り、いや、それ以上に上品な甘さが口の中に広がった。
甘さが重ねられたからといって攻撃的でなく、だからといって弱いわけではない。
まるで、幼稚園の時に仲良かった近所のお兄ちゃんに恋したときのような優しい甘さ。
安心する甘さだ。
口に含むたびに感じるメープルの香りは激しく主張するのではなく、ただそこで見守ってくれる。メープルの柔らかな眼差しを感じながら、わたしは残りを止まることなくたいらげた。
「はぁ…幸せ。」
ため息とともに吐き出た言葉に後輩がこくこくと頷き、残りのパンケーキを口に含む。
美味しそうに頬を膨らませる後輩を眺めながらふと、自分は間違っていたのかもしれないと思う。
ただの女子力アピールだと思っていたSNSへの投稿は、本当はこの幸福感を広げるための行為だったのかもしれない。
幸福のおすそわけだったのかな。
なんて、心まで柔くなったらしい。空になった白いお皿はどこかあたたかさがあった。
おだやかな心もちのまま、すかさずSNSに投稿する準備を始める。
『後輩とパンケーキ食べてきたぁ(≧∇≦)』
顔文字も小文字もいれ、あえて短文にすることでくどさを防ぐ。
こうすることで、写真とのバランスを図るのだ。
それから思わずドヤァっと打って、すぐにそれだけを消した。
人間、そんなに柔くないな。
ふっと苦笑いすると、投稿ボタンを押した。
手を合わせ、空となったお皿を前に軽く頭をさげる。
「ごちそうさまでした。」
頬張る日々 穂張 はる @Houbari_haru
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